会の仲間内では、飲み会などの度に、それが話題になりました。
詮索好きな仲間が、ピッケルを持って店主に事情を聞きに行ったりもしました。
注文の後、出来上がる前に事故か病気で亡くなり、怨念のこもったピッケルかも?〜、などと怪談めいた話で脅かす先輩もおりました。
当時の私の考えは、注文したものの、気が変わったか、残金の金策が付かなかったかでそのまま放置し、店主も不良在庫にしたくなくて、ピッケルに詳しくない私が、格好の客だったのだろうと軽く考えていたのです。
ピッケルにも随分とぞんざいな扱いをしました。
あるとき他のグループが全員のピッケルのシャフトの下半分に、色とりどりのビニールテープを巻きつけているのが格好良く見えて、私も真似をしてブルーのテープを巻きました。
何しろまだ無分別な若者ですから無理も無いと思います。
会では誰もやってない新しいファッションだし、打痕や擦り傷も防げると得意になって合宿に持って行きました。
すぐに幹部の目に留まり呼び出されました。
最初のお目玉でした。
すぐに除去するように指示されたのです。
剥がし取りましたが、粘着剤がこびり付いてシャフトがべたべたになってしまうと、先輩がラジウスからガソリンを手ぬぐいに着けて渡してくれました。
そして「お前もか〜」、と言うような顔でニヤリと笑いました。
ガソリンで拭くとベタベタは何とか落ちましたが、せっかく毎日少しずつ亜麻仁油で磨いて綺麗な薄い琥珀色になったシャフトが粉を吹いたように白茶けてしまい、手入れのやり直しになりました。
シャフトはすぐに元どうりになりましたが、苦い思い出が残りました。
先輩の説明によりますと、氷雪の斜面にシャフトを深く打ち込み、ザイルを掛けてビレイするときにシャフトにクラックが有っても、テープで見えないので気付かずに危険だからなのです。
云われてみれば全くその通りです。
富士山の合宿で井上小屋に宿泊したとき、他のグループの客にピッケルを間違えて持って行かれそうになりました。
気付いてすぐに取り戻しましたが、それに懲りて彫刻刀で自分の苗字を大文字のローマ字でシャフト上部に彫り付けました。
これが2発目のお目玉になりました。
シャフトをわざわざ傷つけてどうするんだと、前回を遥かに超えるお叱りとなりました。
この傷は前回のように消すことが出来ません。
後悔先に立たずです。
しかし訓練や山行を重ねるうち、私にも次第にピッケルに対する愛着が出て来たのです。
そして中堅会員として後輩を指導する頃には、いつの間にか自らが刻んでしまった傷痕を慈しむように、ピッケルを大切にするようになっていたのです。
ピッケルの注文主について、私は今では当時と違う思いを持っています。
私がピッケルを初めて手にしたあのとき、やはり注文主は既に亡くなっていたのではないか、と思っています。
長年にわたって山を愛し、登って来て今ではそうした人の心が解るのです。
当時、金策や、心変わりが理由と簡単に考えた自分を今では恥ずかしく思っているのです。
だからといって怨念などを感じることもありません。
大切にされ山好きの仲間達に注目されて、「尺一寸」の注文主も喜んでくれたと思うのです。(つづく)相仲 廉(ainakaren)
*続き http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-9727
よく人の縁もありますが,1本1本手作りされた物には“物としての縁”というのも存在すると思っています。
進めてくれた方との“縁”,物を手にする人の“物との縁”,まさに来るべくして手にしたピッケルの様に感じました。
門田氏にしてみれば,この丹精込めて作ったピッケルは,山でのお守りとして大切にしてくれる気持ちのある方の所にお嫁に行ってほしいと想いながら創ったと思います。
結果としてテープを巻いたりイニシャルを彫ったりしても,愛着があるからこそ若気の至りでしてしまった結果であって,心の奥底にあるピッケルに対する気持ちは伝わってきました。
私も,注文主が何らかの理由で受け取りに来られない状況・・・にあったと推測致します。
細かな事でも「大目玉」をくれるセンパイが今はいませんね。山に限らず、人が人に世話を焼いてくれたわけですね。理由に合理性はあるといえばある、無いと言えばないかもしれませんがある経験に基づいた知恵には違いないと思います。新人にとってはそういう知恵を伝えてくれるセンパイこそが大切なものと思います。
今、そういう知恵の伝わり方は無いですね。
kayo-piさんコメント深謝です。
本当にkayo-piさんの仰る通りだと思います。
青年が分別ある大人になる大切な時期に、一本のピッケルをめぐる数々の出会いが、私に素晴らしい思い出を残してくれました。
山岳会の人々だけに留まらず、好日の店主、それに一面識もない「尺一寸」の注文主にさえ、私の精神が多大な影響を受けたと思っています。
思えば不思議な縁でした。
yoneyamaさんコメント深謝です。
昭和30年前後の山岳会には、厳格な指導をする会が他にも多かったようです。
夏冬共に登攀を目指し、縦走は歩荷訓練のために行っていました。
趣味の同好会の雰囲気ではなく、訓練所のようでした。
入会した新人も一年後には3割程しか残りません。
当時は男子ばかりでした。
確かに今、同じような運営であれば、入会する者は居ないでしょうね。
辛いことも多かっただけに、山から得られる喜びも最高のものでした。
懐かしい思い出です。
読んで下さった皆様へ
ガソリンでの汚れ落ちは、水よりはまし程度で、適当とは思えませんでした。
先輩の好意なので使いましたが、お勧めは出来ません。相仲
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