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Yamareco

記録ID: 127761
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
剱・立山

黒部平〜一ノ越〜立山〜劔

2005年10月07日(金) 〜 2005年10月10日(月)
 - 拍手
GPS
80:00
距離
30.9km
登り
3,757m
下り
3,757m

コースタイム

10/7 自宅(横浜市鶴見区)→扇沢(自家用車、車中泊)
10/8 扇沢0730→黒部平0830→東一ノ越1120→一ノ越山荘1305→雄山1510(ビバーク)
10/9 雄山0410→真砂岳0650→別山乗越→剣沢キャンプ場0730→剣山荘0800→劒岳1130→剣山荘1345→剣沢を巻く→劒御前小屋1505→真砂岳1600→大汝山1730(ビバーク)
10/10 大汝山0510→雄山0530→一ノ越山荘0605→東一ノ越0640→黒部平0810→扇沢0920→自宅
天候 10/7:雨
10/8:晴のち雨
10/9:曇のち晴
10/10:曇
過去天気図(気象庁) 2005年10月の天気図
アクセス
利用交通機関:
自家用車 ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
大町市の扇沢駐車場に自家用車を停め、
トロリーバス&ケーブルカーを乗り継いで黒部平へ。
そこから室堂へ行かずに縦走をスタートしたが、
あまり一般的なルートではない。
http://www.kurobe-dam.com/access/index.html

室堂まで乗り、富山側からアクセスしたほうが遥かに楽である。
コース状況/
危険箇所等
1.黒部平〜一ノ越
アプローチがものすごく長いため、かなりの体力を要する。
このコースは、元来登山者の通行が大変少ないため、あまり踏まれておらず、
草が背丈ほどもある箇所も結構あり、かなり辛い。
しかし、秋口は立山連峰の景観が素晴らしく、穴場ルート。
傾斜は急だが、峻険な岩場などは全くなく、危険度は低い。
東一ノ越まで達すれば、だいぶ楽になる。

2.一ノ越〜雄山〜大汝〜別山分岐
黒部平からの長い登りでだいぶアゴが上がっている中での雄山への登りはたいへん辛い。
一ノ越までと違い、ガレ場の急登なので、足元がおぼつかない場合は、
一ノ越で1泊してから臨んだほうが良い。
大汝を過ぎて、富士の折立を巻くと鞍部が連続する。ここが案外辛い。
が、見晴らしがよいし、足場も安定しているので、危険度は低い。

3.別山分岐〜剣沢小屋〜剣山荘
剣沢小屋まではザレた急な下り。落石に特に注意が必要。
下りてからテントサイトまではゴーロ帯なので、足を痛めないよう、慎重に歩く。
剣沢小屋から剣山荘までは、割合安定したトラバース。

4.剣山荘〜一服劔〜前劔〜劔岳
一般登山道では比較的難度が高いので、初心者のみの通行は慎むべき。
一服劔までは、危険箇所は(このエリアにしては)少ない。
一服劔と前劔とのコル(武蔵のコル)を過ぎてからは、岩場の急登。
浮石多く、鎖場も出てくる。
岩と岩の隙間を通るルートがあり、横幅の広いザックは要注意。
前劔からはルートがさらに痩せる。
登山者が多い季節は、このあたりから渋滞が始まる。
有名なカニのタテバイ(登り)、ヨコバイ(下り)は、
ヨコバイのほうが難度が高い。鎖にぶら下がるような格好を強いられるので、
確実に三点支持を取れないと非常に危険。
早月尾根との分岐まで来れば、あと少し。最後まで気を抜かずに。

5.剣山荘〜劔御前小舎(別山乗越)
室堂へ下りるにせよ、立山へ縦走するにせよ、
劔アタックを剣沢でのテント泊ピストンにしていないのであれば、
剣山荘から劔御前(2776.5m)の東山腹をトラバースすることで、
体力的にも、時間的にも温存できる。
剣山荘から、全体的に緩やかな登り。ややガレているが、
剣沢から別山分岐への登りよりは遥かに易しい。
予約できる山小屋
扇沢駐車場から大町市街を見る
扇沢駐車場から大町市街を見る
扇沢駐車場から立山方面。泣き出す直前の雲。
扇沢駐車場から立山方面。泣き出す直前の雲。
黒部平から一ノ越方面を見る。この直後に雨が降り出した。
黒部平から一ノ越方面を見る。この直後に雨が降り出した。
雄山から霧の中移動したが、あまりに視界が悪いので、大汝山で夜が明けるまで待機中。
雄山から霧の中移動したが、あまりに視界が悪いので、大汝山で夜が明けるまで待機中。
雄山から霧の中移動したが、あまりに視界が悪いので、大汝山で夜が明けるまで待機中。
雄山から霧の中移動したが、あまりに視界が悪いので、大汝山で夜が明けるまで待機中。
真砂岳付近からご来光。
真砂岳付近からご来光。
別山乗越から劔。
別山乗越から劔。
剣山荘から劔。
劔山頂の祠。
劔から前劔、一服劔。
劔から前劔、一服劔。

感想

立山、剱岳へのアクセスは主に3通りある。
1つ目は、富山県の立山駅まで車で行き、
ケーブルカーとバスを乗り継いで、室堂高原まで行き、
そこから入山。これがもっともポピュラーなものだった。
2つ目は、室堂の北北東あたりに位置する、
馬場島(ばんばじま)まで車で行き、
そこから入山、早月尾根を経て剱岳に向かうというもの。
最後に、長野県大町市の扇沢というところまで車で行き、
トロリーバスとロープウェイで黒部湖上部の黒部平まで行き、
そこから入山するというものだった。

富山県方面からの入山は、そこまでのアクセスが遠すぎるので、
ぼくは扇沢から入山する計画を立てた。
そこで、まずは中央自動車道に乗り、ひたすら西へ向かう。
長野県の岡谷ジャンクションから
中央自動車道と別れて北へ進路を変え、
長野自動車道をしばらく行くと、
豊科というインターチェンジがある。
そこで高速道路を下りて、北へ走り続ける。
信濃大町駅近くまで達したら、進路を西へ変え、
山深き道路を10kmほど上っていくと、やがて行き止まりになる。
そこがトロリーバスの始点である扇沢である。

そこの駐車場に愛車を停め、車中で一晩を過ごした。

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朝5時半ごろ。車内での寝心地がよくなかったせいか、
眠りが浅い状態で目覚める。
気分としては、あまり良いとは言えない。
しかし、登山では早朝出発、昼過ぎに到着が原則なので、
すぐに食事をし、出発の準備をすることにした。

7時過ぎまでに出発準備を整え、トロリーバスの乗り口へ行く。
この時間ではまだ乗客がまばらで、悠々座ることができた。
このトロリーバスは赤沢岳という山の下をくり貫いたトンネルを通る。
そもそも、関西電力が慢性的な関西地方の電力不足を解消させるため、
黒部湖にダムを作ることになった昭和30年代に、
ダム建設のための資材運搬用トンネルとして作られた。
このダムが、有名な黒部第四ダムとして完成したあと、
観光用としてトロリーバスを通すようになった。
このトロリーバスの動力源は全て電気で、
排気ガスは一切発生しない。
こうした、電気式のトロリーバスの運行は、
日本でもこの扇沢〜黒部湖間と、
立山東部斜面の後立山から室堂高原までを通す2箇所だけだ。
座席にいて聞こえてくる走行音や加速感は、
まるで電車に乗っているように思えるが、
外観はタイヤがついていて、路線バスそのものだ。

そのようなバスで15分ほど走ると、黒部湖畔に出る。
ここは完全に観光地化されていて、
黒部湖を望む展望台もあれば、レストランや土産物屋もある。
そして、黒部湖を横断する通路を15分ほど歩くと、
今度は山をくり貫いたケーブルカーに乗り換える。
乗車時間は約5分、一挙に300mほどの標高を稼ぎ、
降り立ったところが黒部平である。

この先、さらにロープウェイに乗り換え、
後立山を望む大観峰を経て、
そこから再びトロリーバスに乗り換え、
室堂高原まで行くと、立山連峰の西側のすぐ下にまで達する。
そこからゆっくり3時間も歩けば、立山山頂だ。
この「立山黒部アルペンルート」のおかげで、
かつては不踏の地と言われた立山は、
いまや老若男女が訪れる観光地と化しているのだ。

ともかく、ぼくはここに観光しに来たわけではない。
黒部平で観光客たちに別れを告げ、
ロープウェイを右手に見ながら、
午前8時15分、斜面をゆっくりと登り始めた。

曇りながらも黒部平からの紅葉は美しかったが、
山の上のほうは雲がかかっていて、その天候の悪さを予見できた。
今日は立山を越え、剱岳下の剱沢小屋でテントを張る予定だが、
天候によっては、そこまで達せられない可能性もある。
そのことを念頭に入れておかなくてはならなかった。

歩き始めて20分もしないうちに雨が落ち始めた。
空は時々日が差したり、青空が見えたりしていたが、
雨はやむどころか、その足を少しずつ強めていった。

雨は、登山道を滑りやすくさせるということ以外に、
視界の狭窄や体温の低下などの問題を誘発させる。
それによって、ペースが大きく落ちることも多い。
しかも山に入って初日で、まだ高度馴化もできていないのに、
いきなりの雨だったので、思った以上にペースが上がらない。
加えて、いくらトレーニングをしてきたとは言っても、
9年前とは比べるべくもなく落ちた体力では、消耗も早い。
背負っている荷物は、約23kg。
荷があるとないとでは、ペースは雲泥の差である。

黒部の西側を沢伝いに上がって行く。
標高2480mの東一ノ越まで達したのが、午前11時20分。
この頃になると、ほとんど樹木が生えない、
いわゆる森林限界点が近く、視界は開けているもの、
雲と霧のせいで、辺り一面、白、白。
そこから、進路を北西に変え、尾根伝いに標高を上げる。

その辺りから次第に風雨が強くなっていき、
風でよろめく頃もしばしば。ペースはさらに落ち込む。
樹木がないので、風をさえぎってくれる要素がなく、
強風がもろに登山者を叩きつける。
ぼくはぼんやりと上のほうを眺めてみるが、
相変わらず白一色の世界で、何も見えない。
いつになったら稜線上の一ノ越に達するのか、見当もつかない。

何か考える余裕もなく、
ただその足を山の上に向けて前に進めるだけ。
進んでいればそのうち着く。

そして午後1時過ぎ、
ようやく後立山からの斜面を登りきり、
一ノ越という稜線上の鞍部(山と山との間のくぼみ)に達した。

そこにある山荘で一休みして、今後の計画を練る。
ここから1時間ほど登ると、立山三山の雄山山頂に達する。
雄山まで達すれば、あとは急な登りはなく、
3時間もあれば剱沢まで行くことができる。

しかし、問題は雄山までの急斜面でどれほど体力が残るかと、
稜線上でますます激しくなる風雨である。
最後、剱沢テント場に降りていく時に、
非常に急な斜面を下るが、このときに滑る恐れが大きいので、
状況によっては、途中で山行を打ち切り、
ビバーク(不慮の事態で目的地まで達していないところで
野営をすること)を判断する必要がある。

30分ほど休息したあと、
ますます強くなる風雨の中、ぼくは進路を北に変え、
雄山の斜面をゆっくりと登り始めた。

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一ノ越山荘から北へ向くと、眼前は急斜面になっており、
これを登りきると、立山三山の最初の山、雄山に辿り着く。
しかしながら、視界は約20mといったところで、
どこまでその斜面が続いているか、見ることはできない。
地図を見ると、僅か350m程度の距離で、標高が220mほど上がる。

この天候なので、ちょっとした戦慄を覚える。
悪天候、しかも高度馴化をし切れていない。
ガイドマップでは、約1時間のコースタイムとあったし、
9年前に登った時も、約1時間15分程度の所要時間だったので、
多く見積もって1時間半程度と考えた。

しかし、この予測は全く甘かった。
標高を上げるに連れ、さらに強まる風雨。
まっすぐ歩くのもやっとの状態で、
地面はいびつな岩がごろごろしていて、滑りやすい。

結局、雄山山頂に登るのに、1時間45分ほどかかった。
このとき、既に時計は午後3時を回っている。
雄山山頂の休憩所の屋根の下で、
休憩を兼ねながら天候の経過を様子見るも、
当面は回復の見通しは感じられない。
ここからさらに岩だらけの滑りやすいルートを通っていくが、
正直言って、雄山に登るのに予想以上の体力を消耗し、
これ以上進もうという気力も沸いてこない。
このまま行けば、剱沢に達するまでに日が暮れる恐れがあったし、
そのルート上にテントを張れるような場所もない。
その点、雄山であれば休憩所の屋根の下が平坦になっていて、
そこにテントを張ることができた。
翌日、剱まで行き、さらに下にまで帰ってこられるかどうか、
非常に微妙なところではあったが、
無理をして翌日の体力を失っては、意味がない。
風雨はさらにが激しくなり、
視界はとうとう10mほどしかなくなった。

不本意ではあったが、雄山でビバークすることにした。

大学時代、テントをいかに早く張るかということに関して、
相当に厳しい訓練を積んでいたため、こういう非常時でも
勝手に身体が動いてしまう自分に少し苦笑いしながら、
すばやくテントを組み立て、荷物を中に放り込んで、
ようやく一息つくことができた。

防水対策はしていたものの、
この激しい風雨のせいで荷物の多くが湿ってしまった。
幸い、食料や服は無事だったので、濡れた身体を拭き、着替える。

とにかく、猛烈に寒い。
冬用の装備を持ってきていたので、凍えるほどではないが、
汗と雨ですっかり身体が冷えてしまい、震えが止まらない。
ひとまずはお湯を沸かし、温かい飲み物を作る。
火器使用時はテントのベンチレイター(換気口)を
開けるのが必須だが、そこから逃げていく暖気すら惜しかったので、
火器から立ち上る炎を身体で包み込むようにして、暖を取った。

テントというのは、2名用であれば、1名〜2名まで、
というよりも、2名で使う、という意味合いである。
2名用を1名で使うと、デッドスペースが多くできてしまい、
寒くて仕方がないのだ。
荷物を隅に押し込んで寒気が入るのを防ぎ、
なおかつ人間が定員通りいることで、
体温によってテント内が暖められる。
残念ながら、テントには1名用というものがないため、
どうしても2名用のものしか使うことができない。
単独テント縦走において、寒さ対策をしっかりしないと、
こういう部分でも泣きを見ることになる。

それを見越して、厳冬期用の装備を持ってきていたことは、
まだ幸運だった。
シュラフに加え、シュラフカバーというものを使うことで、
寒さは大分凌げる。足先に新聞紙を巻いておくと、なお良い。

そんな、芋虫のような状態で2時間ほど眠ったあと、
起き上がると、すでに辺りは真っ暗だった。
時間を見ると、午後6時半になっていたので、夕食を作り始めた。
電池がもったいないので、あまり使いたくなかったが、
ヘッドライトをつけ、なるべくすばやく準備をする。
山では緊張状態に入るので、あまり腹は減らない。
その代わり、こうした状況下では「身体を温める」ということを
第一に考えなければならないので、汁物は必須だ。
ご飯少しとレトルトのカレー、多目の味噌汁で事足りる。
あとは、ひたすら夜が明けるのを待つだけだ。

寒いと尿意が近くなるので、困りものなのだが、
この風雨では外に出るのも億劫になってしまうので、
衛生的にいいとは言えないが、ペットボトルに用を足す。
大便は、山に入っているときはほとんど出ない。

とにかく、寝ることにして、ヘッドライトを消す。
しかし、突風でテントが歪んだり、激しい音がして、
不安でなかなか寝付けない。

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寝入った後も、時々、ばたばたとテントが風で煽られる音で目が覚め、
び眠りに落ちるということを
何度か繰り返しているうちに、次第に眠りが浅くなった。

午前3時頃。
とうとう眠ることが出来なくなり、シュラフからそっと抜け出した。
予定よりも少し早く起きてしまったけれども、
もう眠ることなど到底出来そうになかったので、
仕方がなく朝食の支度を始めた。

午前4時過ぎにはすべての準備が終わった。
テントの外に出ると、風はひどく吹き荒れていたものの、
雨は上がっており、雲が少しずつ劔岳の方角である北へ流れている。
夜明けまでには晴れそうだった。

テントを片付け、真っ暗闇の中、
霧が世界全体を覆っているかのように立ち込めていて、
ヘッドライトの頼りない光で目前を照らしても、
乱反射するだけで、全く役に立たない。

視界は約5m。ほとんど何も見えないに等しい。
しかし、この心境にぴったりの状況だな、と思った。

風に吹き飛ばされないように。
先の見えない道を見失って、迷ってしまわないように。
一歩一歩、ゆっくりと。

ヘッドライトを足元に当てながら、ぼくはその歩を進め始め、
やがて、闇の中に消えていった。

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白と黒の闇の中に閉じ込められたぼくは、
それでもヘッドライトの僅かな光と、コンパスを頼りに進み始めた。
夜明けまで待って進めばよかったのだが、
この日中に剱岳に行って下山したかったから、
前日の遅れを取り戻すべく、少しでも早く進もうと思ったのだ。

視界は、ほぼない。
やっと足元が見える程度で、
踏み出す先の地面がどんな形をしているかも、よく分からない。
立山の稜線上は、岩稜地帯になっていて、地盤もゆるい。
頻繁に落石も起きる。
こんな状態で歩くというのは、かなり無謀なわけだが、
心理的にそういう状態で歩いてみたいという作用もあった。

雄山の北に大汝山(3015m)という山がある。
ここの標高が立山の標高ということになっている。
通常であれば雄山から2、30分もあれば辿り着ける距離だが、
何しろ、白と黒の闇の中でほとんど何も見えない状態だったので、
その倍はかかって、どうにか達することができた。
さすがにこれ以上進むのは精神的にも堪えたので、
大汝山の脇にある倉庫で夜が明けるのを待つことにする。

猛烈に風が強くて、寒い。
霧は段々とその風に吹き飛ばされ始め、
視界がぼんやりと開けてきた。
空を見上げると、雲がすごい勢いで南から北に流れているのが見える。

40分ほどすると、視界が随分とはっきりしてきたので、
再び立ち上がり、荷を背負って出発。

大汝山からさらに北に向かうと、立山三山の最後の山、
富士の折立(2999m)がある。ここのピークには登らない。
西側から巻き、今度は一気に下っていく。
その頃、空が白み始めた。

富士の折立から下り、真砂岳との鞍部に達した時、
夜が明けた。時間は朝の6時15分ごろ。
周囲の景色ははっきりと見えており、
相変わらず雲が南から北へと、猛烈なスピードで流れていた。
鞍部から緩やかな上りを40分ほど歩くと、真砂岳(2861m)の山頂。

ここに至って、ようやく剱岳が顔を出し始める。
9年ぶりに見る剱だったが、その姿は記憶に焼き付けられたそれと、
ほとんど変わっていなかった。
唯一違ったのは、山肌の色が緑と紺の2色ではなく、
赤や黄色の紅葉色に染まっていたという点だ。

ここで、不要な荷物を置いていく。
ここの分岐から富山県側の室堂、長野県側の黒部湖に降りられるため、
これ以上余分な荷物を運び続ける必要がないからだ。
そして、ここで判断を誤ってしまった。

真砂岳から再び緩やかな下り。
しばらくすると別山(2874m)が見える。
別山も登らない。南から西へと巻き、別山乗越
(のっこし、と読む。一種の峠のようなものだ)
の手前の分岐にある北の急斜面を一気に40分ほど下ると、
広大な鞍部になっていて、ここに剱沢小屋と剱沢野営場がある。
9年前にここで野営し、
本来ならば前日にも野営していたはずのところだ。
まだ時刻は7時30分ごろで、朝寝坊した登山者のテントが散見される。

眼前には、剱岳の雄大な姿が見える。
荷物が軽くなったせいか、気分的にも盛り上がってくる。
休憩もほどほどに、また歩き始める。

30分ほど北に歩くと、剣山荘(けんざんそう)という山小屋に達する。
野営派は剱沢、小屋泊まり者はこの剣山荘が剣アタックへの基点となる。

ここから、剱のピークまではずっと急登となる。
体力的にも厳しいが、ここまできたらもう引き返すわけにはいかない。
身と心を引き締めて、北へその歩を進め始めた。

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この週末で、剱沢小屋は閉鎖し、5月まで休業する。
剱アタックの拠点となる剣山荘と、
1時間ほど離れた剱御前小屋はもう2週間ほど営業を続けるが、
テントを張れる拠点は剱沢が一番近いため、
ひとまずは夏シーズンはこの週末終わりを告げる。
したがって、秋にしては多くの登山客がおり、
剣山荘の入り口の前は、賑わっていた。

剣山荘から剱岳のピークまではコースタイムとしては約2時間。
ぼくは8時15分に剣山荘を出発したので、
大体11時ごろに剱のピークに到達できれば、と見込んでいた。

9年前に記憶していた剱岳へのルートは、
基本的な部分は変わっていなかったものの、
風化や崩落等によるものなのだろうか、
その形は微妙に変化していた。
以前、ザックが挟まり、進むことに難儀した岩は、
すっかりと削り取られ、悠々と渡ることができた。

一服剱。まず剣山荘からひと登りするとある、小ピークだ。
ここまではおよそ30分。
休憩はせず、そのまま続行。
雄山から歩いてきているぼくは、
他の登山者よりも明らかに体力的に消耗しているので、
ペースそのものはどちらかと言うと、遅い。
明らかに登山慣れしていると思われる30代と思しき夫婦が、
ぼくをパスしていった。

前剱は、剱岳の直南にある比較的大きなピークで、
一服剱からここまでに達するのが、ひとつのヤマとなる。
この前あたりから、鎖場やハシゴが増えてきて、
ペースはがっくりと落ちる、
次第に渋滞が始まる。先行者が鎖場やハシゴで詰まるのだ。
それが空くことを待っている時間が増えてきた。
また、上りは傾斜が45度を越すような部分もあり、
削られた体力が、さらに削られる。
それでも、前剱には9時45分ごろに到達。
このペースなら、11時ごろに到達できそうだった。

ところが、そこから剱へのピークにかけて、
いっそう渋滞が激しくなり、
止まっている時間のほうが長くなった。
名物のカニのタテバイと呼ばれる、長い鎖場では、
15分以上、先行者が上りきるのを待つことになった。

ようやっと剱岳のピークに到達できたのは、
午前11時30分ごろだった。
明らかに遅れている。
午後5時30分までに黒部湖に下りていかないと、
この日じゅうには帰れなくなってしまう。

しかし、体力、精神力共に激しく消耗したぼくは、
しばらく立ち上がることができなかった。
やっとの思いでデヂカメを使って画像を撮ると、
あとは座り込んで、ぼんやりと周りの景色を見ていた。

数年前であればここまで疲れることはなかっただろう。
生活の変化、習慣の変化、そして加齢。
そういったものは、
ぼくに9年前の体力を維持することを許さなかった。
剱に登って、何よりも感じたのはそのことだった。
もう一度、しっかりと鍛えなおさないと、
これ以上テント縦走での登山はできなさそうだった、

30分ほど経ち、やっとの思いで立ち上がると、
ぼくは下り始めた。
その頃には、9年ぶりに到達した
剱のピークに対する感慨に浸るよりも、
この日に下山できるかどうかのほうが気になって
しようがなかった。

しかし、はやる気持ちとは裏腹に、
急降はとてつもなく膝に負担がかかるため、
ペースをあげられない。
まして、ぼくは膝に古傷を抱えているので、なおさらだ。
それに加えて、登山者の渋滞は相変わらずで、
下りだというのに、上りとあまり変わらないペースだった。

剱からの急降は、体力的にはそれほどの負担はなかったが、
足に大変に堪えた。

午後1時45分ごろ。ようやく剣山荘に帰ってきた。
あと3時間半で下山するのは、物理的に相当厳しくなった。
もしここで室堂に直行すれば、最終のトロリーバスには間に合う。
しかし、ぼくには真砂岳ピークにデポした荷物があった。
(※デポ:荷物の一部を登路の途中に置いておくこと)

体力が満タンの状態であれば、
何とか間に合う可能性があったが、
消耗しきっていたので、その可能性はほとんどなかった。
しかし、どちらにしても進まないわけにはいかないので、
剣山荘で水を補充し、午後2時ごろに出発。

往路では剱沢小屋経由だったが、
もう剱沢から別山方面の急登を上がっていく自信はなかったので、
剱沢の鞍部を東に巻くルートを取った。
気力を振り絞り、一気に駆け上る。
このルートは、剱沢の鞍部を東に巻くのと同時に、
剱御前(2777m)を西に巻くルートでもある。
剱御前を北から南へ向かうルートは、
夏道屈指の難所として知られているので、
行程に余裕があれば登っておきたかったのだが、
この状態では到底不可能なので、諦める。

次第にガスが出てきて、
西側の視界が白く染まっていった。

約1時間弱で剱御前小屋に到達。
設定コースタイムよりもかなり速いペースではあったが、
既に時刻は午後3時に近い。
ここから大急ぎで下って、
辛うじて室堂の最終トロリーバスに間に合う程度だった。
もちろん、真砂岳にデポしているこの状態では間に合わず、
まして黒部湖へ降りていくのは、まず不可能。
この時点で、この日じゅうの下山を諦めることにした。

それでも、日が出ているうちに可能な限り進みたかったので、
休憩はほどほどに、再び出発した。

ルートを東に取った。
その直後に1つ、小ピークを越える。
ものの10分程度の上りだったが、この足には堪え、
このあとは一気にペースダウンを余儀なくされる。
再び別山を巻いて、デポ地点の真砂岳ピークに戻ってきたのは、
午後4時ごろだった。

デポした荷物を再びザックに詰め込んで、30分後に出発。
消耗しきった身体に、再び20kg以上の荷物を背負うことになり、
ペースは極端に落ちた。
10m歩くごとに息を整えるような状態になり、
下山どころの話ではなくなった。

真砂岳から緩やかに下ると、
往路はなんとも思わなかった富士の折立の急登。
コースタイムは20分とあったが、もはやそんな脚力はなかった。
その倍以上の時間をかけてやっとの思いで登りきり、
転がり込むようにして大汝山に戻ってきたとき、
とうとう太陽が西の雲海に沈み始めていく。

せめて一ノ越山荘まで戻ろうと思っていたが、
体力、気力共にこれ以上の山行の余地はなく、不可能だった。

こうして、再びビバークを余儀なくされることに。
長年登山をしてきたが、2日続けてビバークするのは、
初めてのことだった。

この計画に無理があったとは思わないが、
結果的に1日延期になることになった上、
連日のビバークというのは、あまりに情けなかった。
装備を慎重に揃えすぎて、重量が大きくなったのも原因だったが、
なによりも自身の体力の消耗が、予想以上だった。

しかし、どちらにしても暗くなってからの山行は命取りだ。
ぼくは諦めてザックを降ろした。
大汝山のピークの脇には、倉庫がある。
テントを張る気力もなかったので、その中に荷物を入れ、
途方に暮れながら暮れ始めた空を眺めた。

この頃には、再び猛烈な突風が吹き荒れ、
気温はあっという間に1桁になった。

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太陽は、沈み始めたら、あっという間に沈む。
雲の中に、一筋一筋太陽の線が吸い込まれ、
次第に半円になり、それが刻一刻と欠けていくのだ。
やがては最後の1本が、テレビがぷつりときれるように消える。

太陽が沈むと、空がオレンジ色から茜色になり、杏色になる。
そしてライラック色になると、もうあたりは暗い。
最後に紺色となり、漆黒の黒と混ざって、やがて闇になる。
それが、夜の訪れだ。

ぼくはそんな姿を、突風吹き荒れる大汝山のピークに座り込み、
ぼんやりと見ていた。

やがて全てが闇にかえってしまうと、
ピークの脇にある倉庫の中に入り込み、暖を取る。
倉庫内はそんなに物が入っていなかったので、
なるべく隅のほうを選んでマットを敷き、寒さを凌いだ。

手早く食事を済ませ、温かい飲み物を飲むと、
抵抗しようがない睡魔が襲ってきた。
思えば、この日は朝4時に出発し、夕方5時30分まで歩いていた。
どう考えても、歩きすぎだった。

疲れ切っていたぼくは、何かを考える余裕もなく、
あっという間に眠りに落ち、朝まで目が覚めることもなかった。

翌朝、4時ごろに目が覚める。
身体の節々が痛むが、体力はそこそこ回復していた。
夜が明けると同時に出発したかったので、
なるべく急いで朝食を摂り、撤収の準備をした。

外は相変わらず猛烈な突風が吹き荒れていて、
視界も約30mとよくはないが、雨は降っていない。
うっすらと空が明るくなると同時に、出発した。
時間は、午前5時10分ごろ。

一晩ゆっくり休んだことで、体力も脚力も大分戻っていた。
とにかく早く帰らないと、翌日からまた仕事だったので、
最初からハイペースで飛ばした。

20分ほどで雄山に辿り着く。もちろん、誰もいない。
ぼくは立ち止まりもせずに、一気に一ノ越に向けて下りる。
一ノ越から雄山に向かう登山者数人と会った。
彼らはみな、この時間に雄山から降りてくる登山者を
予想しなかったのか、「どこからきたのか」と聞いてきた。
ぼくは事実そのままを答えると、
雄山から剱へ行って帰ってきたことに驚いていた。

ぼくとしては、デポを真砂岳ではなく、剱御前小屋でしていれば
恐らくはどうにか帰られたので、不本意なことこの上なかったのだが、
確かに前日、かなりのコースタイムと距離を歩いた。
それだけ歩けば、疲れ切ってしまうことなど、
考えてみれば当たり前だったのだが、
前日、何故それでも下山しようと苦闘したのか、不思議だった。

一ノ越山荘にたどり着いたのが午前6時過ぎ。
休憩もそこそこに、すぐに出発。
ここから東一ノ越までは比較的緩やかな下りで、
とても歩きやすく、一気に距離を稼ぐ。
コースタイム1時間のところを、わずか30分で下った。

ここまで下ると、もう一ノ越山荘は見えない。
上の方はガスが出ていて、天気もよくなかった。

そしてここからは苦手な急降。
しかし、とにかく早く帰らなくてはいけなかったので、
膝や足首に伝わる衝撃と痛みに耐えながら、
そして、石で滑って転ばないように気をつけながら、
文字通り駆け下りる。

黒部平から大観峰を通すロープウェイのケーブルが
ずっと見え続ける中で下りるのは、もどかしかった。
歩いても、歩いても黒部平の建物が近づかない。
後ろを振り返ると、どんどん一ノ越の山肌が遠ざかっていくのに、
前の黒部平との距離は、永遠に縮まない気がした。

それでも、歩いていればいつかは辿り着く。
やがて夏道は熊笹が生い茂るようになった。
標高が下がってきた証拠だった。
そして、最後に夏道からそれ、黒部平のターミナルへの最後の上り。
わずか200m程度の距離だったが、
ずっと下り続けた後の上りだったので、もう足がほとんど動かない。

そして午前8時すぎ。
ようやっと黒部平に戻ってきた。

ターミナルはまだ、あまり人がいなかった。
帰りのケーブルカーの運行が果たしてあるのか、心配だったが、
8時30分に下りのケーブルカーが出ていたので、
すぐに乗ることができた。

そして、黒部湖に下り、歩いて黒部湖を渡って、
行きに乗ったものと同じトロリーバスに乗って、扇沢へ。
扇沢からの観光客は大変な数だったが、
扇沢へ下るのは、わずかな数の登山客だけだった。

そして9時20分、やっとスタート地点の扇沢に帰ってきた。
駐車場に戻ると、3日前の朝と同じ状態で
愛車がぼくを待っていてくれた。
すぐに登山靴を運動靴に履き替え、
汗で臭くて仕方がなかった服を着替えて、
再び高速道路を経て、自宅へ帰ることができたのだ。

身体中が痛くてしようがなかったが、
ひとまずは五体無事だった。

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