仙丈ヶ岳〜白根三山〜塩見岳〜三伏峠


- GPS
- 176:00
- 距離
- 54.5km
- 登り
- 5,524m
- 下り
- 6,226m
コースタイム
○写真は当時持っていた一眼レフのペンタックスK2で撮影した色褪せたネガフィルムからデジタル化したもの。 撮影地点が今となっては不明なものが多数ある。途中で父に買ってもらった大切なカメラを落としてしまい、なんとか持たせていたが、レンズが外れてしまって撮影ができなくなった。
天候 | 晴れ。午後雷雨の日あり。 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
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コース状況/ 危険箇所等 |
当時は三伏峠から鳥倉登山口へ下る鳥倉ルートはなく、塩川ルートで下山した。 |
予約できる山小屋 |
|
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
防寒着
雨具
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
ザックカバー
非常食
飲料
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
ライター
コンパス
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
ロールペーパー
保険証
時計
タオル
カメラ
シェラフ
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感想
1984年8月??日〜??日(8日間)【南アルプス北部縦走】
※36年前の夏の南アルプス北部大縦走の思い出※
<北沢峠、長衛荘(泊)→仙丈岳→馬ノ背ヒュッテ(泊)→仙丈岳→仙塩尾根→両俣小屋(泊)→北岳→北岳肩の小屋(泊)→北岳→間ノ岳→農鳥小屋(泊)→農鳥岳→熊の平小屋(泊)→塩見岳→塩見小屋(泊)→塩見岳→三伏峠小屋(泊)→塩川小屋>
当時私は23歳の学生。
前年1983(S58)年の夏に北アルプスを初めて訪れた僕は社会に出る前に日数をかけて雄大な南アルプスを歩きたいという強い思いから逃れることができず、バイトで貯めたお金をつぎ込んで、1984(S59)年、23歳の夏の8月に南アルプス北部縦走8日間の山旅に出かけました。
兵庫県川西市の実家を出発し、JRで飯田線伊那北駅へ。ここからバスで戸台口へ。さらにここでバスを乗り換えて、戸台川をはるか眼下に見下ろす未舗装林道を北沢峠へ向かいました。バスの窓から見える鋸岳などの山並みにこれから始まる8日間の山旅への期待がいやがうえにも膨らみました。
午後遅く北沢峠へ着いた僕は峠にある山小屋の長衛荘に泊りました。
小屋は狭い上に食事があまりおいしくありませんでした。
○1日目
<北沢峠、長衛荘(泊)→仙丈岳→馬ノ背ヒュッテ(泊)>
北沢峠から樹林帯をひたすら登って大滝の頭を過ぎ、森林限界を抜けると小仙丈岳へ続く一面のハイマツに覆われた広くて長い急な斜面が現れました。
これをじりじりと登っていくと小仙丈岳に着きましたが、廻りの高峰は雲とガスで覆われていて眺望は今ひとつでした。小仙丈岳から豪快な稜線をたどっていくと多くの人で賑わう仙丈岳につきました。残念ながら眺望はいまひとつでした。
その日は時間が遅いので薮沢カールを通って馬の背ヒュッテまで下り、ここに素泊まりしました。
狭い小屋に収容人数を大幅に上回る人が泊ったので半身で横になるしかなく殆ど眠ることができませんでした。
この夜は僕にとって山小屋で半身で寝た唯一の経験となりました。
○2日目
<馬ノ背ヒュッテ→仙丈岳→仙塩尾根→野呂川越→両俣小屋(泊)>
この日は仙丈岳に登り返したあと仙塩尾根を縦走し両俣小屋まで歩く長丁場でした。
馬の背ヒュッテを出発、藪沢カールまで登り返し、カールを流れる清冽な沢の水でコーヒーを入れて飲みました。水があまりに冷たくてなかなかお湯が沸かず、かなりの時間をロスしてしまいました。
仙丈岳の山頂につくと雄大な展望が広がっていました。
しかしすでに東側に連なる北岳や甲斐駒ケ岳の背中からはガスが吹きあがっていました。
僕の目はむしろ西側に広がる伊那谷の雄大な空間とその向こうに連なる中央アルプスの山並みに釘付けになりました。
ひとしきり展望を楽しんあといよいよ南へと仙塩尾根の縦走を開始しました。
登山者の姿はめっきり少なく静かな山歩きになりました
すぐ南の大仙丈岳までは左(東)に大仙丈カールを見下ろしながらの快適な稜線歩きでした。
大仙丈岳で少し早いお昼を食べたあと、稜線を南へ下っていくとやがて道は平坦になり樹林帯の中へ続いていました。ここから両俣へ下る野呂川越まで延々と樹林帯の中の平坦な山道を小さなアップダウンを繰り返しながら進みましたが、木漏れ陽が降り注ぐ針葉樹を主体とした樹林帯の中の道は快適そのもの、僕は初めて森林の中を歩く楽しさを知りました。
“森林逍遥派マリリン”がここに誕生しました。
野呂川越で仙塩尾根を外れて左(東)に黒土で崩れやすい急坂を滑るように下ると野呂川の広い河原に出ました。
河原を少し北に戻ると女性がひとりで仕切っている今夜の宿、河原に建つ小さな両俣小屋に着きました。昨夜泊まった小屋とはうって変わって静かな小屋でゆったりと休むことができました。
食事もとてもおいしかったです。
○3日目
<両俣小屋→北岳→北岳肩の小屋(泊)>
両俣小屋を出て東へ野呂川の左俣沢の広い河原を進みました。
1時間ほど歩いて河原を離れて左(北)の急斜面の山腹に取り付きました。
体力に劣る僕はゆっくりと登っていきました。
樹林帯を抜けると展望が広がり、中白根沢の頭のピークに出ました。
西に仙丈岳が美しいカールを抱いて巨大な山容を見せていました。
中白根沢の頭からは道は右(東)に折れて稜線を北岳目指してゆっくりと登りました。
北岳山頂に着いた頃にはガスと雲で廻りの高峰が見えないので北岳肩の小屋まで戻り、ここに泊りました。
○4日目
<北岳肩の小屋→北岳→間ノ岳→農鳥小屋(泊)>
この日は北岳と間ノ岳を歩くだけ、3000Mの巨峰2座とこれを結ぶ3000M級の主稜線をのんびりと歩きました。
肩の小屋を出発してすぐに快晴の北岳山頂に立ちました。
大展望を楽しんだあと主稜線を南へ下り、幅の広いゆったりとした稜線歩きを満喫しながら間ノ岳の山頂へ。
間ノ岳山頂からは荒涼とした岩だらけの道を南へ農鳥小屋まで下りました。
お味噌汁がとてもおいしい小屋でした。
○5日目
<農鳥小屋→農鳥岳→農鳥小屋→熊の平小屋(泊)>
5日目は山行中で一番短い行程、しかもほとんど人も歩いてなくて1日とにかくのんびり歩きました。
小屋に荷を置いてまずは南へ農鳥岳へ。
大展望を楽しんだあと小屋へ戻って荷を背負って西へ熊ノ平へ向かいました。
岩だらけで荒涼とした農鳥沢を通って尾根を廻りこむとハイマツの道に変わり、トラバース道を行くと大井川源流の標識がありました。
太平洋に注ぎこむ大河の一滴がここから始まると思うと感慨深いものがありました。
ガスの中、砂礫の平坦地である三国平でふたたび仙塩尾根に合流。
ここから左(南)へ曲がり少し進むと尾根上のオアシス、熊ノ平小屋につきました。
水の豊かな小屋で小屋もとてもきれい、お布団もきれいそうなので寝袋はやめました。
食事の内容はよく覚えていませんが天ぷらがおいしかったような気がします。
トイレは水が常に勢いよく流れる水洗?トイレでした。
ゴミを小屋のゴミ置き場のようなところへ捨てようして小屋の人にとても怖い顔で怒られました。山ではゴミは持ち帰るということを僕はまだ知らなかったのです。
○6日目
<熊の平小屋(泊)→塩見岳→塩見小屋(泊)>
6日目は塩見岳まで長い尾根歩き。
小屋を出発し、気象通報のラジオを聴くために展望の効く安倍荒倉岳のピークに登ったところ、上空は完全な曇り空。
おそらく尾根の上だけを滝雲が覆っているだけだったと思いますが、経験の浅い僕は好天続きの空模様もこれでおしまいかと思ってしまい、前後して歩いていたテン泊のおじさんに悪天になってビバークせざるを得なくなったら泊めてもらう約束までしてしまったほどです。
しかし樹林帯の尾根道を歩くうちに尾根を覆っていた雲はとれて夏空に。
北荒川岳までくると塩見岳がぐんと大きく見えてきました。
お花畑を前景にした塩見岳が素敵でした。
やがて塩見岳の東の肩にあたる北俣岳へのきつい登りにかかりました。
大学ワンゲル部のかけ声に合わせて登らせてもらいました。
塩見岳山頂につきましたがいつものごとく雲が多くて遠くの山が見えないので早々に塩見小屋に下りました。
○7日目
<塩見小屋→塩見岳→塩見小屋→三伏峠小屋(泊)>
朝、寝袋の中で目覚めるといきなり便意を催したので、小屋の少し下にあるトイレまで走っていって事なきをえました 。
荷を置いて塩見岳へ登り返し大展望を楽しみました。
ここまで来ると南アルプス南部の巨峰たちに目を奪われましたが、まだ山座同定できるほど僕には知識はありませんでした。
塩見小屋から三伏峠までは深い針葉樹の森の中を歩きました。
途中から僕より重い荷を背負った同年代ぐらいの女性と前後して歩くようになりました。
三伏峠に着いた僕はそのまま塩川小屋まで下ってもよかったのですが、その女性に勧められるままに一緒に泊ることにしました。
○8日目(最終日)
<三伏峠小屋→塩川小屋>
いよいよ8日間の南アルプス北部大縦走も最終日を迎えました。
この日も朝から晴れ。8日間ともほぼ毎日午後の雷雨はあったもののほぼ晴れの天候に恵まれて幸運でした。
南アルプス北部縦走を成し遂げしつつあった僕は早くも南アルプス南部への興味をかきたてられていたので、南部の道を少しだけ烏帽子岳の方へ歩いてみました。
一面のハイマツの海が烏帽子岳の方へと続いていました。
長かった稜線歩きとお別れし、樹林帯の急坂を一気に下っていきました。
2時間ほどで尾根を下りきり、小渋川の河原に出ました。
見上げると稜線が雲に覆われていました。
僕は8日間の長かった山旅を終えた充実感と寂しさで胸がいっぱいになりました。
塩川小屋からバスでJR飯田線伊那大島駅に出ました。
駅には大学のワンゲル部のみなさんがすごい匂いを放っていました。
僕は昨日から前後して歩いていた女性とほかの男性一人と3人でJRに乗りました。
二人は東京へ帰りますが、僕は松本駅?長野駅?から大阪へ夜行列車の急行「ちくま」で帰ります。時間はまだたっぷりあるので茅野駅あたりまで東京方向へ逆流して車中でいろいろお話をしました。
お別れするとき女性は涙を流していました。
僕もとても寂しい思いでした。
松本駅?長野駅?で夜行列車を待つ間も駅前には大縦走を終えた大学ワンゲル部の人たちがたくさんいて、みなさんよっぱらっていました。
その夜、僕は眠れない夜行列車で信州をあとにして家路につきました。
最後の2日間行動を共にした女性とは数年間文通が続きましたが、いつの間にか返事がこなくなり、それっきりになってしまいました。
※このレコは2009年02月22日、47歳時にmixiの日記用に作成したものに少し手を加えて、2020年4月29日 58歳時にアップしました。
※47歳時に作成した時、こんなことを書いていました。
「もう20年以上も前のことなので記憶も瞼に残っている映像も断片的ですが、書いているうちにふと鮮やかな映像や風の音が蘇ってくるようでとても懐かしい思いがしました。」
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