蓮華岳〜爺ヶ岳☆針ノ木サーキット


- GPS
- 15:24
- 距離
- 26.9km
- 登り
- 2,859m
- 下り
- 2,855m
コースタイム
- 山行
- 4:20
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 5:30
- 山行
- 8:30
- 休憩
- 1:21
- 合計
- 9:51
天候 | 1日目;晴れ 2日目:晴れのち曇り |
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過去天気図(気象庁) | 2025年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
針ノ木大雪渓は軽アイゼンかチェーン・スパイクが望ましいく、特に下降する場合は必携と思われる。高巻き道あり。 |
写真
感想
8/6-7は季節外れとも云える前線が日本列島を横切り、列島の各地に大雨となるが、翌日の8/8は前線が通過した後で広い範囲で晴天の予報となっている。この日から休暇を取得していたので、北アルプス方面に出かけることを考える。10日の天気予報が定まらなかったので、稜線を北上することも考えたが、日が近づくにつれ再び列島を横断する大きな前線が形成される予報となっているので、9日のうちに下山するのが良さそうだ。
扇沢から針ノ木峠に登り、篭川の源流域を周回する、いわゆる針ノ木サーキットと呼ばれる周回ルートを考える。この針ノ木岳周辺の稜線には忘れ難い思い出がある。高校時代によく山に一緒に登っていた友人と北アルプス全山の縦走した大学1年の夏のことだ。白馬岳から南下を始めたが天候に恵まれず連日、雲の中の縦走となるのであった。針ノ木岳の手前、スバリ岳への登りで雷雲の中に入ってしまったのだった。凄まじい大音量の雷鳴が頻繁に目の前や足元から轟く有様。周囲には樹木も全くない稜線で、立ち上がると自分が周囲よりも高くなることになるので、強雨にびしょ濡れになりながらも岩陰にへばりついて雷雲が通り過ぎるのを延々と待つほかなかったのだった。やがて雷雲が遠ざかり針ノ木小屋に到着した時の光景はその時の安堵感と共に昨今のことのように憶えている。
当時の縦走では稜線からの景色を眺めることが出来たのは水晶岳からだったのだが、果たしてあの稜線にはどのような景色が広がっているのだろうか・・・と思いながらも長い歳月が経ってしまっていた。少し前の天気予報では9日は曇りとなっていたので、稜線が曇っていれば針ノ木古道を辿って黒部湖に降ることも考えてはいたが、9日は少なくとも午前中はかなりの好天が期待できそうだ。
松本で始発の特急しなの号から信濃大町行きの大糸線に乗り換えるとすぐにも表銀座の山々が左手の車窓に近づいているが、稜線の上の方には雲がまとわりついている。それでも、列車が信濃大町に近づくと雲のしたから蓮華岳の大きな山容が雲の下から姿を現す。
信濃大町から扇沢行きのバスに乗り込んだのはわずかに数組であった。バスが扇沢に着くと、いずれも黒部に向かう電気バスの乗り場に向かわれるようだった。
針ノ木岳への登山道に入るとするにも広い谷に出る、堰堤の工事をしているのだろうか、荒涼とした河原ではいくつかの重機がガトゴトと音をたてて作業をしている。右手の岩小屋沢の作業林道の間を縫って登山道が付けられている。登山道に入ろうとすると、変わった色の蝶がつがいで戯れている。暗色の翅は黒緋色と形容されらしく、水色の点が並んでいる。さらに翅の外側を縁取る特徴的な黄色からキベリタテハ(黄縁立羽)と呼ばれる珍しい蝶のようだ。
登山道が樹林に入ると樹高の高いブナの樹林となる。登山道脇には朽ちつつある古い案内板に林床のササの説明が記されていた。日本海側のブナではチシマザサが広がるの対し、太平洋側のブナではスギタケが広がるらしい。ここは日本海側であり、周囲に広がっているササはチシマザサのようだ。そもそも日本海側と太平洋側ではブナの樹形も異なり、日本海側のブナは樹冠の上で枝分かれする箒状の樹形になるのに対して、太平洋側では幹の低いところから枝分かれする樹形となるのも興味深いところだ。
大沢小屋は「雪渓の水できんきんに冷えたビールがあります」と宣伝があるものの、小屋のドアは「準備中」とあり、この日は営業していないようだ。小屋の前には、レンタルのためのものだろうか、軽アイゼンが二つほど架けられていた。
沢にかかる木橋を渡るといよいよ雪渓に取り付く。この雪渓を歩くためにミニ・アイゼンを携行してきたので、早速にも装着して雪渓を登る。雪渓の脇の右岸にも道がついている。対向する登山者はほとんどの人が雪渓を避けて歩いている。雪渓の上は流石に涼しく感じられるが、登っているので程よく感じられるものの、立ち止まるとむしろ寒く感じられるほどだ。
雪渓の斜度が増すところで、何人かの登山者が対岸に渡ろうとしている。谷の左岸に高巻き道がついているらしい。アイゼンのお陰もあって雪渓を直登すると、軽アイゼンをつけて上から降ってくる男性とすれ違う。「登りはまだいいが、降りはかなり慎重になる必要がある」と仰っておられた。確かにこの雪渓のはチェーン・スパイクか軽アイゼンが必携だろう。なければ高巻き道を通ればいいだけの話なのだろうが。
斜度の急な区間は呆気ないほどにすぐに終わってしまう。あとは針ノ木峠まで源頭の急登をのぼるばかりだ。地図でもわずかな距離で、峠も見えているのだが、意外と時間を要するのは斜度がきついからだろう。背後には赤沢岳から岩小屋岳を経て爺ヶ岳に至る稜線が綺麗に見えている。
ようやく針ノ木峠に辿り着くと、一気に槍ヶ岳に至る北アルプス主脈の展望が広がる。小屋に入りテントの受付をすると、山小屋の小屋番の男性が「今日は異常な寒さだ」と仰っておられた。まずはテントを張る場所を探す。狭いスペースに張ることの出来るテントの数は15張ほどだろう。到着したのは14時過ぎではあったが、テントを張るスペースを探すのに時間を要する。
テント場の下部には平坦地があるがNemoのテントが四つほどずらりと並んでいる。少し前はモンベルのステラリッジが圧倒的に多かったように思うが、最近ではこのNemoのテントが人気なのだろうか。いずれのモデルも10万円近くする高級テントである。
南側斜面になんとかスペースを見つけてテントを設営することができるが、地面がわずかに傾斜している。我がテントはトレッキング・ポールを使って張るワンポール・テントなので自立式テントに比べて地面の傾斜に弱いのが大きな欠点である。テントの設営に時間を要してしまったが、夕方までにまだ時間はあるので、蓮華岳を往復することにする。雲の高さがいつしか低くなり、彼方の槍ヶ岳や三俣蓮華のあたりは既に雲の中だ。
針ノ木小屋から見上げるピークが蓮華岳かと思っていたが、追いついた先行者が「あれは有名な偽ピーク」であることを教えてくれる。背後に見える針ノ木岳には雲がかかり、翌日たどる予定の爺ヶ岳にかけても稜線も雲に飲み込まれていく。
偽ピークを超えると山頂まではもう一声あるが、確かになだらかな稜線が続いている。登山道の周囲には驚くほど多くのコマクサの群生が連綿と続いている。あたりにはイブキジャコウソウが点在するが、他の高山植物はほとんど見かけない。極度に水捌けの良さそうな砂礫地帯では生育出来る植物は限られるのであろう。
蓮華岳の山頂の先にはすっきりと青空が広がっているが、ここだけ空が晴れているようだ。蓮華岳の山頂からは南に北葛岳、船窪岳、烏帽子岳、鷲羽岳といったピークの度にかなり厳しいアップダウンが繰り返されることになるようだ。特にこの蓮華岳と次の北葛岳との間には地図上でも500m以上の下降がある。大学時代の縦走の時には鷲羽岳に至るまで稜線がすっかり雲の中だったので、この蓮華岳からこんな景色が広がっていたのか・・とこの景色を感慨深く眺める一方で、このアップダウンの続く山並みを見なくて良かったのではないかとも思う。
山頂のあたりは風がかなり強い。上空の青空から日差しがあるからいいものの、陽が陰ると急に寒く感じられる。ひとしきり展望を確認すると早々に往路を引き返す。
テント場に戻ると、下のテントのあたりから「息が白くてヤバい!」という声が聞こえてくる。確かにテントの外に出てみると吐息が白いのだった。外はかなり寒いので、テントの中で早々に寝袋に足を突っ込んで、夕食を調理する。調理といっても三度豆とソーセージを茹でながらハンバーグを温め、その汁でインスタントのフォーに作るといった簡単なものだ。赤ワインと共に夕食を食べると早々に就寝した。
南から強い風がテントを頻繁に大きく揺さぶるので、頻繁に目が覚めることになった。外がかなり明るいと思えば、東の空から満月が昇ってきているのだった。補助のロープを岩に括り付けているせいか、有難いことにテントは倒れることなく保ってくれた。
翌朝、4時前に目が醒める。既に周囲の多くのテントでは光が灯り、出発の準備に取り掛かる音が聞こえてくる。夜通し風がテントの中を吹き抜けていったせいだろうか、テントの中には結露は全く見当たらない。外に出てみると空の高いところにうっすらと雲があるせいか星は見えないものの、周辺の山々にかかるような雲は全く見当たらない。
テントを撤収し、テント場を出発したのは4時20分だった。既に数組のライトが針ノ木岳に向かっているのが見える。東の空の一端が鮮やかな橙色にそ余っている。歩き始めこそライトを灯したものの、樹木がないせいもあり、すぐにライトは要らなくなった。
登山道の脇でクークーと聞き覚えのある可愛らしい鳴き声が聞こえてくる。雷鳥である。薄明の中で鳥が歩む方向に目を凝らすとその先にも二羽、小さな鳥がいる。どうやら雷鳥の親子のようだった。綺麗に写真を撮るには光量が足りないのが残念であったが、朝焼けに照らされた茜色の斜面を逍遥する雷鳥の姿はなんとも幻想的な光景であった。
針ノ木岳への登りは寒さを覚悟していたが、北側斜面をトラバース気味に登るせいで風の陰に入っているのだろう、風の冷たさを感じることなく快調に登ることが出来る。雲の上から朝陽が顔を出したのは針ノ木岳の山頂の直下であった。山頂に到達すると、既に登頂していた先行者達が一様にご来光を拝んている。やがて彼方の槍ヶ岳、薬師岳、その右手では赤牛岳の山頂部が朱く染まる。
山頂の西の端まで歩いてみると眼下の黒部湖を挟んで立山と剣岳の岩肌が圧倒的な迫力で目の前に迫る。東の空の朝陽はすぐにも再び雲の中に入ったようだ。途端に山頂からの景色は色彩を失い、鼠色のモノトーンの世界にとって変わる。
ご来光に満足した登山者達が次々とスバリ岳への鞍部への急峻な尾根を下降してゆく。スバリ岳への登り返しで多くの先行者を追い越しさせて頂く。山頂に辿り着いた時には一人の年配の男性と二人の女性から成るパーティーが写真を撮ろうとしているところだった。三人の写真を撮って差し上げると、年配の男性が代わりに私自身の写真を撮って下さる。
スバリ岳からの次の赤沢岳への鞍部へは250mほど下降することになる。以前、雷雲の中でへばりついた岩がどれだろうかと探しながら尾根を下降する。それにしても左手に立山と剱岳、目の前には鹿島槍ヶ岳へと至る稜線を眺めながら、こんな景色が広がっていたのか・・という感慨に再び見舞われるのだった。
次の赤沢岳は鞍部が深いせいか、山頂部は見えてはいるものの到達するまでに時間がかかる。スバリ岳とは異なり、それほど急峻でないのと尾根の周囲にハイマツの緑があるせいでそれまでの険阻な世界から一転して、平和な雰囲気である。先行する男女のカップルが登っているのが見える。背後からはトレランの若い男性が颯爽と追いついてくる。
山頂に到達すると先行する男女は親娘ほどのと歳の差の男女であった。8/6(水)の前線のもたらす豪雨の中をずぶ濡れになりながら雪渓を登って来られ、昨日は針ノ木小屋でのんびりと過ごされていたようだ。二人ともリュックがかなり重そうだが、4時にテント場を出発されたとのこと。かなりペースがいいように思われる。
黒部ダムの反対側からは機械的な持続音が聞こえてくる。立山のロープウェイの音のようだ。その険しい岩壁に大観峰と呼ばれる終着駅が見えている。前述の男性が昔は大観峰から一ノ越にかけて登山道と避難小屋があったと教えて下さる。
赤沢岳から鳴沢岳にかけては小さな鞍部を挟んですぐに到着する。電波を確認するとアンテナが三本立っている。大観峰のあたりから電波が届くのだろう。登山道の周辺は岩稜はすっかりなくなり、低木や草原による緑が続き、色とりどりの高山植物が現れるようになる。新越小屋までは全く対向する登山者にも出遭わず、静かな山行が続く。小屋に到着すると10名ほどのパーティーが針ノ木岳の方に向かって出発するところであった。
小屋から尾根を緩やかに登り返したところが岩小屋沢岳かと思いきや、それは新越岳と呼ばれるピークであり、岩小屋沢岳はその先であった。このあたりは樹林がないせいもあり、直射日光に晒されて暑さが感じられるようになる。岩小屋沢岳からは正面に爺ヶ岳、その手前にはメルヘン風の三角屋根を備えた種池小屋が目に入る。
岩小屋沢岳を過ぎるとしばらくは広い尾根の樹林の中に入り、日差しから免れることが出来る。それでも随所に展望が広がり、山並みの眺望と高山植物を堪能する。
種池小屋に到着したのはほぼ10時。小屋の前に多くの登山客で賑わっていた。ピッツァが名物らしいが、その提供する時間は10時から12時となっている。まずは爺ヶ岳を往復することにする。
背後を振り返ると針ノ木岳から歩いてきた稜線に急速に雲がかかってゆくところだった。鹿島槍ヶ岳の稜線も東側から登ってきた雲に飲み込まれそうだ。まずは三角点のある爺ヶ岳の中峰のピークへと急ぐ。ピークに到達した時には山頂の周りはまだ雲を免れていた。
この爺ヶ岳の界隈は雷鳥が多く棲息するところらしいが、残念ながら雷鳥を見かけることはなかった。しかし、熊鈴をリンリンと鳴らしながら大勢の登山者が通過するような状況では雷鳥の姿を目にするのは難しいのではなかろうか。
再び種池小屋に戻ったのは12時10分前。ピッツァの注文時間には辛うじて間に合ったらしい。小屋の受付で注文しようとすると、隣で女の子を連れた男性が「冷池山荘に予約をしているが、バテてしまったのでここで泊まれないでしょうか?」 と受付の女性に聞いている。山小屋ではなぜかよく見かける風景である。明らかにバテているのはかなり大きなリュックを背負った父親の方だろう。「布団は一つでもいいので」「お嬢さんはおいくつですか?」「11歳です。」「それはダメです。」と女性が却下する。その可愛らしい女の子は父親と相思相愛であるのは確かなようだが・・
小屋の前のデーブルの一つでは先ほどスバリ岳で居合わせた三人のパーティーがピッツァを食べ終えたところだった。私もピッツァを一枚注文すると、丁度、座っておられるテーブルの一角が空いたので同席させて頂く。
ピッツァ一枚は一人には多いように思われたが、かなり美味であり、簡単に一枚を平らげてしまったように思う。隣のテーブルではご婦人方がミネストローネを召し上がっておられた。これもこの種池小屋の名物らしく、両方を注文しておられる人もいた。多くの登山者は冷えたコーラを注文しているようだが、コーラまで飲むと満腹になるのでここは水を補給するだけで扇沢まで我慢することにする。
食事をしているうちに遂に小屋の周りにも雲が昇ってきたようだ。急速に視界が閉ざされていく。多くの登山者達は続々と下山の途についてゆく。三人組も一足先に下山され、数分遅れて小屋を後にする。先を行く多くの登山者達を次々と追い越すことになるが驚いたことに一向に先の三人組には追いつかない。扇沢への下りの中ほどと思われるあたりでようやく女性の一人に追いつくが、服を脱いでいるうちに先の二人に追いつけなくなったとのことだ。高度が下がるにつれ急速に気温が上昇してゆくのが感じられ、大粒の汗をかくことになる。
その後も多くの先行者を追い越すもようやく先の男女の姿を見かけたのは登山口であった。男性は私よりも10歳は年上ではないかと思われるが、この速さは尋常ではない。扇沢駅の直下にある駐車場に向かって一緒に歩いていくうちにもう一人の女性からの電話が入る。登山口に到着されたようだ。
駐車場の入口で彼等とお別れし、扇沢のバス停に着くとすぐに信濃大町行きのバスが到着する。大町温泉郷で途中下車すると薬師の湯に立ち寄る。中には広々とした露天があり、快適な湯であった。湯上がりにビールと共にざるそばを一皿頂く。
信濃大町の駅に戻り、大糸線に乗り込むと、浴衣姿の若いカップルや女性の姿が目につく。この日は松本で花火大会があるようで、車内はまもなく満員になるのだった。塩尻から特急しなのに乗り換えると特急もほぼ満席であった。京都の自宅に帰宅すると流石に今回は筋肉痛から免れることが出来たようで、安堵する。
翌日は天気予報通り朝から強雨が始まる。北アルプスでもかなりの降雨となっている様子だ。扇沢への降りですれ違った大勢の登山者達や種池山荘の親娘はこの大雨の中を下山することになるのだろうかと気になるのだった。
顛末を書きませんでしたが、親娘は小屋の外でpizzaとcolaで寛いでおられたので、無事に小屋に泊まることになったのだと思います。翌日の行程を考えても、種池に泊まる方が良かったのだろうと思います。
kitaさんのレコを拝見しましたが、先週は凄いところに行かれていましたね。kitaさんも37年ぶりの再訪でしたか。術後の経過が良好であることを祈念しております。
おかげさまで検査では再発、転移は見られないとのことで次回の検診まで3ヶ月の猶予を得ることができました。それまで、山歩きします。
山猫さんのレポはいつも独特の雰囲気が漂っていて、とっても素敵です。山中でお会いできたらいいなあ。
小生のrepに過分なご評価、恐縮ですが、それはkitaさんもです。
こちさこそ、お会い出来る機会があることを願っております。
「種池山荘」でマスカットとトマトをご馳走になった3人組のひとり・おやじです。
おいしいフルーツ、ご馳走様でした。
また「スバリ岳」では写真を撮っていただき有難うございました。
仰っておられましたが感想はなかなかの長文ですね(笑)。
でも山行の行程、思い出が存分に詰まっているので
拝読させていただき楽しかったです。
また、どこかのお山でぜひお会いしたいものです。
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