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博物館で出土品を見ると土器が40個分も出土し、それ以外にも獣骨や石錘、石鏃、石器などが出ている。遺構は第一室が居間で第二室が煮炊きの場らしい。天井部分の上部には煤がつき、炉にはやや集めの土器と焼けた石が発見されている。土器形式から個々の弥生人は紀元前100年から紀元300年つまり弥生中期から後期(年代的には古墳時代初頭)まで生活の場として使われていたようだ。ここは当時も山の中であり、標高150~250mで、狩猟を主にしていたのかもしれない。獣骨、鳥の骨の他、石錘や海の貝の他貝輪なども出ているので、主稜以外に河川での漁労や海に下っての漁労か、あるいは海辺の住民との交流があったのかもしれない。3世紀になるとそれまでの縄文的文化を引き継ぐような暮らしから農耕社会への大きな変化が始まった可能性があり、高台のこの遺跡は見張り台に使われた可能性もあるという。高知県の竜馬空港建設時に発見された田村遺跡は弥生前期(早期?)の拠点集落で、松菊里型の朝鮮式住居や土器が出土し、半島から直接移住したと思われる人々の拠点集落が出ている。高知県の縄文晩期から弥生時代がどのように推移したのか興味深いところだ。
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