再葬墓と言えば、群馬県の吾妻川沿いにある「岩櫃山」の再葬墓が知られているが、これは山頂直下の鷹巣岩陰で発見、発掘されたもので明治大学の考古学教室の基礎を作った杉原教授らが調査したもの。しかしながら、この発掘では土器から骨は発見されなかった。こうした遺跡が再葬墓と確認されたのが、その後に行われたイワナ天神山遺跡で、7つの再葬墓のうち6基から人骨の入った土器が発見され、こうした土器に人骨を治めた再葬墓の存在が確認された。岩櫃山は数年前に登ったことがあるが、写真からは、その鷹巣岩陰がどの位置にあるかはよくわからない。近くを通ったかもしれない。最近岩櫃山は「真田丸」に出てくる山城・岩櫃城によって特に知られている。この岩櫃城もその時歩いた。
西北九州の甕棺墓は東日本の再葬墓と異なり、身分の高い人々のお墓だ。東日本ではまだまだこの時期は大きな階層分化は出現していないようだ。副葬品も限られているが甕棺墓からは鏡や銅器、装飾品など豪華な副葬品が出土し、王墓クラスのものが現れている。最後に甕棺から古墳時代まで副葬品として出てきて、年代推定の重要な副葬品である中国峡などの銅鏡が展示され、中国戦国時代から後漢までの鏡と日本で出土する銅鏡に関する展示とその解説があった。これまで、中国峡から、和製の鏡へと移行するように考えられてきたが、最近三角縁神獣鏡が橿原考古学研究所などの詳しい分析から、同じ鋳型d作成された可能性が高くなり、すべて中国強化すべて和製鏡か、そのどちらかである可能性が出てきた。この論争はまだまだ続いていきそうだ。
写真1)展示会冒頭の写真説明―上段が岩櫃山遺跡(上段右上)や岩名天神山遺跡の発掘(同左)、下段右は末路国王墓周辺の桜馬場遺跡出土の甕棺
写真2)岩名天神山遺跡出土品
写真3)桜馬場など西北九州の甕棺と遺跡地図
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