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展示会場(写真2)に入ると、弥生時代から古墳時代、古代へとつづく様々な発掘調査による出土品や写真が並んでいる。
最初の中西遺跡(第26次調査)は御所市にある弥生時代の水田以降を中心とする遺跡で、2年前に奈良駅からレンタサイクルで苦労して御所市・五条市まで訪ねた時に一部の調査区を見た記憶がある。5番目の巣山古墳(特別史跡=第17次調査)、6番目の猫塚古墳も同じ旅で見学した。巣山古墳は、広陵町にある著名な馬見古墳群中の最大規模の古墳時代中期の前方後円墳で、2年前には保存作業中で中には入れなかった記憶がある。
次の猫塚古墳は五條市最後の見学地の一つで周囲は耕地だったのでかなり後世の開削を受けて方墳であるらしいとしかわからなかったが、以前、古墳時代の武具副葬品を調べていた時に見た半島渡来と思われる蒙古鉢型眉庇付き兜の印象が強く、是非古墳を見たいと思ったものだった。今回の発掘調査で、北西部にある休耕地をL字形に発掘し、墳丘西角部分に葺石と堀を検出、堀周辺の覆土から円筒型、朝顔形埴輪を出土、また4年間の発掘調査を総合して、築造当初の墳丘は北東。南西方向37m、北西。南東方向で34m以上と分かったという。高さも現状より1m前後高かったようだ。
12番目の小山田遺跡は甘樫丘から南に延びる尾根上にあり、これまでの調査で一辺70mにもなる飛鳥時代最大の方墳であることが明らかになっている。除名天狼寮歌、蘇我蝦夷のどちらかのお墓という説に絞られているそうだ。
次の牽牛子塚古墳も二年前か3年前にに訪問したが、飛鳥時代終末期の八角形墳で、規模が大きくない(たいへん22m規模でも今回の調査で墳丘下の谷から47m、高さ8.5mの範囲で版築土台を造成していることが判明、80トンにおよぶ巨大な凝灰岩刳り貫きの石郭、石室や葺石など、総計550トン以上の石を運ぶ大事業で、律令国家への道を歩む天皇の巨大な権威を印象付けるものと考えられ、斉明天皇量とする説が有力となっているようだ。そのほか、飛鳥京、藤原京、平城京などに関連する遺跡の最新発掘調査の現状が所狭しと展示されていた。
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