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2018年01月07日 23:16博物館、展示会、美術館など全体に公開

豊橋渥美半島の遺跡と保見貝塚展ー衣笠山は登れず

保見貝塚展を見るために豊橋から渥美半島の三河田原に出かける。豊橋も渥美半島も初めての訪問。温暖な住み良さそうなところらしい。縄文晩期から弥生時代の遺跡などたくさんあるようだ。今日は「保見貝塚展」の展示解説会の行われる田原市立博物館に行く前後に、豊橋の国指定史跡「瓜郷遺跡」やその出土品が展示されている豊橋市美術博物館、田原市にある衣笠山などに立ち寄る予定だったが、年末に苦しめられたひざと腰の痛みがやはり残っていて、長い距離を歩けそうもない。そこで予定を変更して、最初豊橋駅からタクシーで瓜郷遺跡と豊橋市美術博物館に行き、それから渥美半島を鉄道で三河田原まで行き、自転車を借りて衣笠山のふもとにある滝頭公園まで走ってお弁当を食べ、田原市博物館に行くように切り替えた。朝8時過ぎに新幹線を下車してタクシー待ち。結構待たされる。8時半ころ瓜郷遺跡に到着、10分ほど見学して美術博物館に移動、9時までまだ少し時間があるので痛い足を引きずって吉田城を見に行く。深い堀と土塁、石垣を見ながら進み、裏御門跡を過ぎて本丸御殿跡まで行く。石垣の一部も天守も復元されている。時間がないのですぐ引き返し、9時過ぎに美術博物館に入る。二階の考古展示の旧石器・縄文とみて、瓜郷遺跡の出土品は弥生のコーナーにあった。瓜郷遺跡は渥美湾にも近い豊川河口付近の沖積平野にある。出土品展示では、農耕具(石包丁など)、多くの鹿角製漁具(銛、ヤス、釣針など)。土錘や貝輪などの装飾品、狩猟具(磨製・打製石鏃など)伐採や木材加工の磨製石斧、柱状片刃石斧が並んでいた。縄文時代の流れをくむ濃尾平野の「条痕文土器」を持つ集団の暮らしに、弥生中期、西から遠賀川式土器を伴う弥生稲作文化が到来し、新しい暮らしが始まった。周辺の他の重要遺跡橋良遺跡や環濠集落の高木遺跡など、興味深い遺跡の出土品が並ぶ。さらに古墳時代の出土品が並ぶ。磯部大塚古墳出土品や、馬越長火塚古墳出土品―特に金銅製馬具がすばらしい。美術博物館からは市電で駅に戻り、渥美半島を豊橋鉄道渥美線で終点三河田原駅に出る。足の痛みがなければ歩いてみたい車窓の風景だ。温暖で暮らしやすく、かつ太平洋に面する渥美湾に面する海上交通の要衝だったのだろう。駅でチャリを借り、まず衣笠山に向かう。チャリは何とか乗れるがママチャリ登りは苦しく、押しで進む。滝頭公園に出て、どうするか思案する。足が痛いと近くの山が限りなく遠く感じる。時間は11時をすでに過ぎているので、今日歩くのは無理と観念し、公園の中の池の東屋まで行って衣笠山などの山並みを見ながら自作お弁当を食べ、田原市立博物館まで踏ん張ってチャリをこぐ。滝頭公園から一気に下り、最後の登りを耐え、博物館に到着。ここは中世城郭、田原城の跡があり、博物館はその敷地内の復元された二の丸櫓の前にあり、漆喰の分厚い壁を持つ重厚な建物。保見貝塚の展示解説は1時間以上にわたって丁寧に行われ、大変よかった。濃尾平野、三河湾、渥美湾、伊勢湾周辺には、関東ほどではないが多くの貝塚が立地する。しかし大きな貝塚は各地域に一つくらいが普通だが、渥美半島には吉胡貝塚、伊川津貝塚、保美貝塚と三つの大きな貝塚があるのが特徴。保美貝塚は伊川津貝塚と同様、東三河とのつながりが強く、吉胡貝塚は西三河とのつながりが深いという。展示の入り口には保美貝塚の出土品などから想定した地形や住居などの配置を描いた復元図が掲げられ、展示解説はその復元図から始まる。保美貝塚を世に知らしめたのは、多数の人骨の出土で、その埋葬方法も「盤状集骨」というユニークなものも発見されている。またこの貝塚のムラは貝輪づくりを行ったムラでおそらく海上交通の要衝であることから、交易活動に使ったと考えられる。ベンケイガイ、サトウガイ、アカニシなどその近辺の海岸で採取できるもので会話を作っていたことは、未成品や破片が多数出てくることからわかるという。また出土した石器類の原石は近場の石だけでなく、豊川上流域からとれる緑顔色、下呂石など遠方の石で作られた石鏃や磨製石斧などがある。また鹿の骨や角で作られた漁撈具なども多い。また抜歯風習や埋葬方法などの解説もあった。また時間の完形で解説はなかったが、明治36年に最初の発掘調査を行った大野雲外に始まり、小金井良精、大山柏、後藤守一、酒詰仲男ら、これまでかかわった多くの考古学者の紹介とその中の大野雲外の手書きの箱書きのある資料箱やフィールドノートや実測図、当時の雑誌論文や写真など、同志社大学や東京大学博物館などで所蔵されている貴重な資料の展示があった。また展示品すべてが掲載されているわけではないがその多くが掲載されている立派な図録もある。近年歴博での再調査に参加された山田康弘氏や講演が予定されている中部大学の長田友也氏の解説も掲載されている。貴重な資料をもう少しじっくり見たかったが、帰りの新幹線の時間も気になり、同博物館の渡邊崋山に関する展示も少し見て帰宅の途に就く。三河田原生まれの崋山にちなむ崋山神社もあり、またあとから写真を見て気付いたが、二の丸櫓展示館には吉胡貝塚や渥美古窯などの遺跡の展示もあるようで、見学できなかったのは残念、次の機会にはぜひ見たいと思う。駅までチャリを走らせて返却し、予定の新幹線で帰宅した。
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