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2018年08月20日 09:42史跡ウォーク全体に公開

8月16 -19 日ー松本平の弥生時代ー講演会と遺跡巡り+乗鞍岳第一日目

写真1)大室山古墳群(長野市)、168号墳の合掌式石室
写真2)箱清水式土器群(長野市立博物館)
写真3)針塚古墳の積石塚(松本市)
第一日目ー始発の新幹線で長野に向かい到着後駅レンタカーを借りる。まず中野市に向かい、栗林遺跡を探すが無論ナビ設定ができず近くまで行っているのだがぐるぐる回ってわからず住民に尋ねてもこの辺り一帯すべて栗林遺跡だと言われ遺跡表示板の存在は知らないというので取り敢えず先に中野市立博物館に向かった。多数の銅鐸が発見された柳沢遺跡などの出土品の展示で知られる博物館で二回目の訪問だ。今回は特に弥生時代から古墳時代にかけての土器の変遷を見るのが目的で北陸や新潟など各地と交流した栗林式の時代から赤塗りの箱清水式土器の時代を経て古墳時代に突入する。学芸会の方と少し話を伺い栗林遺跡の正確な位置を地図で教えていただき、さっそく引き返す。柳沢遺跡は以前1度訪ねていたので今回はカットした。教えられた通り進むとリンゴ畑の一角の角っこに遺跡の看板をようやく見つけて一安心、次の見学地に向かう。今回は見学予定地や施設の電話番号、住所、付近の目標物など詳細に調べてリストアップしたが住民も知らないような場所を探すのは難儀だ。
次は長野市に入って古代遺跡徳間博物館に到着するもお盆休みで休館日。ここはトヨタのディーラーの建設工事の際に発見された浅川扇状地遺跡群などの出土品が展示されているらしいが、残念ながらトヨペットのお盆休みで休館だった。弥生時代から古墳・古代・中世までの遺跡・遺構などが出ているようだ。次に近くにある駒沢祭祀遺跡だが、看板一つあるかどうかの遺跡なので、徳間で聞こうと思ったが、休館だったのであきらめて、次の大室古墳館に向かう。このあたりは、柳沢遺跡同様、数年前に某大学博物館の友の会ツアーで一度見学したことpがあるのだが、古墳群までの道が狭く、当時もバスでは上まで行けずに途中でバスを降りて徒歩でアクセスした。今回は小型車なので何とか遺跡館まで行くことができたが、上っていくたびに当時の状況を少しづつ思い出したのだった。前回は見学時間が足りず、下の復元された古墳を主に見学したが、今回は上まで上がって、合掌型石室を持つ168号墳などを見学、前回見ることのできなかった古墳群を見ることができた。こうした積石塚は、朝鮮半島起源とみられ、また副葬品として馬にかかわる出土品が多く、5世紀に渡来した馬飼の専門技能を持つ集団だった可能性がある。時代はかなり離れてはいるが、7世紀以降の北東北の「末期古墳」と呼ばれる低い墳丘の積石塚を作る人々も馬飼と関係が深いと思われ、あるいはそうした渡来系の馬飼の子孫の集団かもしれないーーそんな感想を持ちながら、次の長野市立博物館に向かう。ここでは特に弥生後期の箱清水式土器とその社会に関する展示と大室古墳群に代表される積石塚、とりわけ合掌型石室に関する展示が目を引いた。赤塗りの箱清水式土器は前代(弥生中期後半)の栗林式土器時代に広げた各地との交流をさらに広げ、科野国成立へのスプリングボードになったようだ。

 天候が急変し、真っ黒い雲が出てきた。慌てて長野県立歴史館に立ち寄ったが、あいにくお盆の後展示替えのための短期休館中、雨が激しくなったので、川柳将軍塚古墳はあきらめ、激しいスコールの中、高速に乗って松本に向かう。余りの降雨と風で車の前が真っ白で見えにくいほど―慎重に運転して無事、松本市考古博物館い到着、この考古館はもしかしたら初めてか?中山という市街地南西部の山麓高台にあり、古墳や古代の牧推定値など多くの遺跡があるようだ。延喜式の記述では信濃国は牧が16と他国に比べて圧倒的に多く、各地の有力豪族が渡来系の牧の管理技術者を抱えていたのではないかと思われる。松本市の文化財HPによれば、

「 埴原牧が中山埴原に比定された理由は、鉢伏(はちぶせ)山麓という地形が牧場経営に好適であること、「埴原」の地名が残っていること、西に接する田川流域に営まれていた平安時代の集落遺跡から「榛原」(はいばら)と記された土器が出土していること、繋飼場(けいしじょう)とされる施設の存在、牧監庁跡と推測される礎石群が鳥内地籍から発見されたことなどがあげられます。 」
とある。そうすると積石塚や合掌式石室が多いこともうなづける。

 展示を見ると、鉢伏山などの東山山麓に多くの大型集落を残した縄文時代から、中小河川沿いの低地へと移動した弥生時代の遺跡、再び山沿いの土地も利用を再開した弥生後半期から古墳時代、牧野開発も行った古墳古代などの出土品などが並んでいる。その晩宿泊した新島々駅近くのゲストハウスで働いている東京からやってきた女性に話したら松本市内の考古博物館を初めて知ったと驚いていた。

 博物館を後にして、時間があれば中山の遺跡を巡るところだが、明日の乗鞍登山もあるので、弘法山古墳と針塚古墳のみを回り、宿泊地のゲストハウスに向かった。弘法山は春の桜が有名らしいが豪雨の後で、古墳の墳丘付近には高校生のアベック以外は誰もいなかった。墳長からは晴れていれば北アルプスや東山一帯がよく見えるらしいが、今日はガスの中だった。蟻塚古墳はヤマの上でなく田畑の中、こつ然と現れた。探すのに苦労し、細い農地を慎重にくねくねと運転士、2度三度と見つけられずにぐるぐる回ったがなんとか最後に発見した。こんなところに積石塚があるということはやはり牧の渡来系文化を持つ管理者の存在が推定されるようだ。

 宿に向かう前に松本市内でおでん定食を食べ(むろん酒は飲まず)、宿のゲストハウスで同宿者のカナダ人女性や明日焼岳に登るという若い男性らと談笑し、少し飲みすぎた。
 



 

 
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