午前中の花巻から、午後盛岡に移動し、駅近くの店で車を借り、二時半前に出発、15時過ぎ、最初の目的地である「都南歴史民俗資料館」に到着。「都南」とは市町村合併でできた村を「この地の都ー盛岡の南」で「都南村」と名付けたことによる。現在はさらに盛岡市との合併で、ここの住所はで「盛岡市湯沢1地割」となっており、歴史を知らなければよくわからず、戸惑うばかり。ここでは手白森遺跡の縄文時代の土器・土偶などの出土品、百目木(どめき)遺跡の竪穴住居のある集落遺跡から平安時代の須恵器など、また西鹿渡遺跡では平安時代の竪穴住居跡、集落跡から出土した土師器の坏や須恵器が出ている。また盛岡に近いので江戸時代の寺子屋関係の資料も展示されていた。館の職員の方からもお話を伺い、15時半ころ次の盛岡市遺跡の学び館に向かう。翌日のグループツアーの打ち合わせも兼ねた。16時過ぎに到着し、ここでは大量の縄文土器があり、とりわけ大木8b式期を中心に関係に近い大きな伏甕が多数展示されているのが目に付く。盛岡周辺の縄文土器を見るなら絶好の施設だ。また現在は多くが失われている上田蝦夷森古墳群出土の衝角付き冑や鉄剣、刀、や4世紀ころの続縄文人との交流を示す土坑墓(薬師寺脇遺跡)、永福寺山遺跡=1700〜1600年前の土坑墓)や奈良時代頃の終末期古墳、上田蝦夷森古墳群や大道西古墳(下永林遺跡)などの蕨手刀などの出土品が展示されている。ここの学議担当者らと翌日の打ち合わせも行い、16時20分過ぎに館を出る。上田蝦夷森古墳群を見たかったのだが、担当者のお話で現在はほとんどが消滅し、残されたものも私有地などで見ることはできないということで諦め、盛岡市内にある厨川柵擬定地と安部舘跡(厨川城址)を見学することに。擬定地は幹線道路のそばで何とか分かったが、安部舘はおおよその位置はわかるが、どこがどうなのかよくわからず、何度も幹線道路から北上川との間に道を行ったり来たりした。どうやら安部舘保育園のあたりの八幡神社付近が本丸、中心地で北上川の崖と幹線道路沿いの溝の間に広大な城址、舘跡が広がっていたらしい。帰りがけに解説板を見つけた。
車を返却する途中、荷物を宿泊先のホテルに預けて車を返却し、明日早朝利用する駅前駐輪場のレンタサイクルを確認し、夕食をとる場所を探すが、開運橋からアーケード街に入ってす超す進んだ場所で盛岡じゃじゃ麺の店を見つけて蝕する。さらにもう一軒、クラフトビールの店を見つけ、ガーリックトーストで2〜3種類の地元のクラフトビールを味見ー久々にプチ贅沢、クラフトビールについて話を聞こうとしたが、残念ながら従業員の誰一人、ビールの専門知識はなく、何もわからなかった。残念。
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