今日の講演会のテーマである中期は、勝坂、阿玉台、加曽利E式などの時期で、展示では山内清男の編年のように勝坂から加曽利Eへと変遷するように配置されている。しかしながら、今日の講師の細谷氏によれば、加曽利E時期は、房総地域が主体で、どこにでもある土器でないと言う。時期的にも勝坂式の後半に成立して、勝坂後半と並行するが、加曽利E式のある遺跡は限られるらしい。そのうちに勝坂式が終わるので山内は勝坂の後に加曽利Eが来ると考えたが実際は時期が一部重なるらしい。なぜそうなるのか
細谷氏は土器の器形や文様などの詳細な分析から土器の移動とヒトの移動、往来、婚姻関係などと土器文様、器形変化の背景にあるものを炙り出していった。これは中々聞けない土器研究家ならではの貴重な話しだった。地域を越えた交通、集落内外の婚姻関係など、ヒトや土器が移動するきっかけは様々あり、またまれに女性が遠くから婚姻で移動する場合があると、大きな土器文様の変化の要因となりうるが、その女性から別の女性が土器文様を教わるとまた違った文様の土器が生まれていく可能性があり、実際の遺跡での土器の詳細を細谷氏が分析すると、そうした様々なパターンが生まれているようだ。実際の遺跡における土器の出土状況の分析の積み重ねからの立論は説得力があった。無論推論が多く未解明な部分がまだまだ多くあるようだ。最近素人相手でも土器を詳しく解説する展示や講演が増えたことは大いに歓迎すべきだ
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