早稲田大学のエクステンション講座で日高晋氏の古墳時代の人々の講座を聴講、文献史学からは、考古学者はお墓ばかり調べるが政治の中心は宮や居館だと批判されてきたが、実際宮などは、文献には出てくるが飛鳥宮以前のものはほとんど発見されていない。首長の居館らしきものは各地で見つかっているが、掘立柱建物や、竪穴建物。井戸や濠、柵、祭祀遺構らしきものは見つかるが、実際どのように使われてきたかは想像の域を出ない。まだよく分かっていないようだ。
また、古墳時代の首長居館は、飛鳥時代の宮が天皇一代で移動したとすると居館も一代で次の首長は、別の居館を建てたとすると一つの居館と一つの古墳が対応することになるが、その関係を言い当てるのも容易でなさそうだ。
私もかつて奈良県桜井市で、文献に出てくる宮を探したことがあるが、その伝承地を訪ねても実際にそれらしき遺構が見つかった例はないようだ。唯一雄略天皇の初瀬朝倉の宮と見られる脇本遺跡だけが、今のところ発見された唯一の宮だ。
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