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2025年09月18日 07:15博物館、展示会、美術館など全体に公開

9月17日(水)「地中からのメッセージ」2=房総の古墳時代=房総のむら資料館1

資料館に九時ころ戻り、入り口わきの岩屋古墳石室と同じ貝化石入り凝灰岩を眺めてから展示室に入る。今日はとりあえず二階の「地中からのメッセージ」2を見学。
 最初の古墳時代では、前期古墳のうち、新皇塚古墳(市原市)の装身具などの豊かな副葬品が特別ケースに並ぶ。未盗掘だったようだ。白井久美子氏の解説では
「 先に構築されたと見られる南槨(図面下側)には全長9.8メートルの木棺痕跡の中に、小型の青銅鏡(珠文鏡しゅもんきょう)1・鉄製槍先1・大刀たち1・刀子とうす1・鎌1・ヤリガンナ2・斧1・管玉くだたま5・ガラス玉1が検出され、被葬者の頭位を東とすると胸部にあたる位置周辺に赤色顔料が散布されていました。
北槨では10.7メートルの木棺痕跡に小型の青銅鏡(内行花文鏡)1・石釧いしくしろ(緑色細粒凝灰岩)1・勾玉(水晶1・琥珀1)・管玉(緑色頁岩)94が検出され、棺外からも北側粘土部から鉄剣1・鎌1・刀子2・鋤鍬先すきくわさき1・錐(?)1、南側粘土部から刀子2・鎌1・ヤリガンナ1・斧1が埋め込まれたかたちで出土しています。
副葬品のほかに、墓に置くことを前提として焼き上げる前に底部をあらかじめくり抜いた(焼成前穿孔しょうせいぜんせんこう)壺形土器が検出されています。
これらの遺物は形状や組み合わせが古墳時代前期でも新しい様子を示していますので、新皇塚古墳は4世紀後半(約1650年前)に築かれたと考えられます。豪華な副葬品と大きな墳丘は、かなりの有力者が葬られていたことを、そして、ふたつ並んだ棺は被葬者が近親者同士であったことを示唆しています。」
 
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