こんな場所が王子にあるとは知らなかった。紙の博物館では「金唐紙展〜上田尚作品展〜」が開催されていたが、今日は時間がないので澁澤資料館の玄関でまで行き、どのような展示企画があるかだけ確かめて、飛鳥博物館に入る。
映画と講演会受付はまだなので、展示室に入って、概要を見るーーするとアナウンスがあったので、急いで受付に行くとすでに行列ができていた。送られたはがきを示して受付を済ませて資料を受け取り、会場に入る。まだ時間があるので、時間一杯まで、企画展の展示とビデオを見ていた。講演会の大画面でも上映される黒部と鹿島槍のビデオを見る。
講演会が始まり、大石館長の挨拶に続いて、企画展を準備した中野学芸員から、北区にゆかりのある冠松次郎氏に関しての紹介があり、これまでの同氏に関係する記録映画など関する研究と展示の概要、今回の企画展の準備段階の話などの後、「黒部峡谷探検」の記録映画を見る。今回は下の廊下の探検と関係する「黒部峡谷探検」と、「鹿島槍と下の廊下」の二本を見る。映画は文部省社会教育局が冠氏らと相談の上、企画され、当時日進月歩で性能がよくなり、軽量化されつつあった撮影機材を海外から輸入し、、様々な専門家、映画会社の協力のもと、機材が黒部峡谷などに持ち込まれた。文部省の資金により数十人の強力が雇われ、貴重な映像が残されている。当時、始まったばかりの電源開発の桟道なども使って、黒部峡谷に足を踏み入れる。厳しいヘツリの個所には固定ロープを設置し、重い機材を運んでいく。十字峡まで、野営しながらの旅だ。魚を釣ったりしながら、食料のデポ地まで移動する。まだ黒部ダムは建設が始まっていないので、現在では考えられない水量の多さで、この光景は二度とみられない貴重なものだ。これから来るであろう開発ブームに警鐘を鳴らす意味でも、冠氏らは黒部峡谷の価値を世に知らしめたかったに違いない。当時こうした記録映画がどのように公開され、どれくらいの人々の目に触れたのか、十分な資料は発見されていない。それを発掘しようとしているのが、中野氏らの博物館の研究者、学芸員だ。この映画では十字峡から先は直接進むことができず、一旦、剣沢方面に入り、仙人谷を登って三ノ窓雪渓から剣御前に出る。そこから再び、くらのすけ谷を下降して黒部に戻り、十字峡の上を探検、昭和初期の貴重な映像が残されていたことは本当に素晴らしい。
最初の映画の後、富山市立山博物館の吉井亮一氏との対談、お二人は、冠氏と黒部研究の盟友という雰囲気。互いに質問しあいながらこの文部省映画の関係者ーー中田俊三氏(文部省社会教育局)、撮影の白井茂氏など、当時の重要な関係者、スタッフ、映画会社などの話が次々と展開され、また無声映画のトーキーの塚本徳次郎氏、撮影用カメラの話などなどなど、貴重な話を聞くことができた。
最後に「鹿島槍と下の廊下」の映画を見て終了。それから企画展に戻って、残りの作品「赤石岳」と「尾瀬」を見る。昭和初年のこうした山々の状況を見ることができ、とてもよかった。ただし、せっかく常設展のチケットを購入したが見る時間が無くなってしまったーー。別の日に使えるかな――??
写真1)飛鳥山公園石碑
写真2)「冠松次郎と学芸官 中田俊造」企画展ポスター
写真3)常設展入口の豊島郡衛復元
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