午前中、伯父の告別式があり落合から歩くつもりだったが、葬儀が長時間になるかもしれないので、高齢の母のことを考えて、急遽中野駅からタクシーで、斎場に向かう。お経の後、棺へのお花や思い出の品を入れて送りだし、火葬。その後、骨を拾い、納骨の後、精進落としの昼食。予定では1時過ぎにはお暇して、考古学協会の研究集会に出向くつもりだったが、儀式の数が多く、何度も階段を登ったり下ったりして、エレベーターを使った移動ではあっても87歳の母には少々辛かったようだ。時間も想定よりも一時間以上進行が遅い。結局3時前に食事を終え、タクシーで日大文理学部に向かう。タクシーを呼んですぐ来たが、乗ったのは坊さん用のタクシーだったらしい。慌てて引き留められたがすでに出発しており、同じ名前で呼んでいたので、すぐ後から来るからと、そのまま出発。中野通に合流し、甲州街道から日大文理学部正門前に出た。私はここで降り、母を家の前まで送るようタクシーにお願いした。後でタクシー代を確認すると大分ぼられたようだ。
時間はもう3時をかなり過ぎ、正門から間違えて3号館の方に進んだが、教室を覗いて、こちらは明日のセッションで今日はすべて、100周年記念講堂でのセッション。あわてて講堂に戻り、報告集を買って中に入る。午前中の同協会総会に続いて、午後最初に日大の浜田教授が太平洋戦争から終戦直後の内地考古学調査―日大考古学会の活動」講演に続いて、今年のメインテーマの近世考古学。15時半から近世考古学に関する報告セッション。「江戸遺跡発掘調査」を巡る報告や東北(北方史と近世考古学)、金沢城址調査、長崎平戸の事例、岐阜城址、東京などでの遺跡・遺物保存と活用などなどについて、多数の演者が報告した。
大きなポイントとしては、大都市などの場合、道路その他の建設事業の前の緊急調査として発掘調査が行われることが多いので、遺跡保存などができにくいこと、また発掘で出る出土品が膨大で、とりわけ上司や大名屋敷のごみ穴などからは膨大な遺物が出る。そうした出土品・遺物をどうするのか、保存できる量は限られているので、単純に廃棄するのでなく、考古学実習、博物館などでの活用などについても多くの事例が報告された。最後に小林克氏がユネスコなどが提唱している「創造都市ネットワーク」などを踏まえて近世考古学調査による遺跡・遺物を歴史資源として、様々な分野の活動と連携して、保存と活用を形作る方向を示した。
帰路は下高井戸駅に向かい、途中の南蛮屋でハーブとコーヒーを購入し、世田谷線経由で帰宅した。
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伯父の告別式と考古学協会研究集会
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