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さて、日本列島はパレオちゃんの頃、すでに現在の列島の状態に近づいていたらしい。恐竜絶滅から三千万年以上たった三千年前はまだ、列島の姿はなく、大陸の一部だったが、その後の地殻変動などで、一千万年以上かけて徐々に日本海ができ、今の姿に変わったようだが、その道のりは複雑で、プレートの研究などの最新研究でこれまでの列島形成とは異なる姿がわかったらしい。アフリカがユーラシアと陸続きになったころ、アフリカ起源のゾウが世界中に拡散、その一部が日本にもやってきた(ステゴロフォドン)。その後、大陸と離れたり、くっついたりしたが、日本が孤立して島が形成されると、「島しょ化現象」で体が小さくなっていく。小型化したステゴフォロドンの最後の化石が発見されたのが1600万年前の地層で、その後、しばらくゾウの化石は途絶え、530万年ほど前から、ツダンスキーゾウの系統が現れ、これが再び日本で孤立し、ミエゾウやアケボノゾウのように独自の進化を見ることができるようだ。その後、再び大陸とつながる時期に(34万年前の氷期)ナウマンゾウがやってきたらしい。ナウマンゾウの化石は北海道から九州まで、至る所で見つかっている。このナウマンゾウは日本列島に人が現れる3万年前にも存在し、一緒に暮らした時期があったが、2万前の最終氷期のピークを前に絶滅したらしい。一方、ケナガマンモスは寒かった時代、サハリン経由で北海道まで入ってきて、氷期が終わって温暖化する時代の前、1万5⃣千年前頃、姿を消している。マンモス(ケナガマンモス)は、ナウマンゾウよりも後まで生き残り、1万年前頃、絶滅したらしい。アジアゾウの仲間で現生のアジアゾウとの共通の祖先から分かれた、寒冷地に適応したゾウの仲間ということだ。
展示ではナウマンゾウの親子の全身骨格があり、巨大なオスは牙は原宿の地下鉄工事で出てきた牙、頭部と体は千葉と神奈川産らしい。メスは東京都中央区で発見された二体を合体させたもの、赤ちゃん蔵は頭部の未発見されている(1歳半?)、体は未発見で、3歳のアフリカゾウの骨格をもとに復元したもので、苦労が多かったという。これらのナウマンゾウは日本列島で1万年近く人と同じ時代を生き抜いたのだ。さらにマンモスは北海道に限られるが、長く人とともに生きていた。狩猟の対象だったが、絶滅の原因はヒトの狩猟なのか、温暖化による環境変化なのか、論争の決着は見ていないー他移動では狩猟の跡のある化石が少なく、アメリカ大陸の場合とは異なり、環境変化の影響が大きかったようだ。次にナウマンゾウの歯の展示ーーゾウの歯は臼歯が前から磨滅していき、後ろから新しい臼歯が生まれて前に移動していく水平交換という面白いもので、一生(60歳くらい)に五回も入れ替わるらしい。また瀬戸内海の海底などから多数のナウマンゾウの骨の化石が出ており、研究に大いに役立っているという。年齢別の下あごの骨の展示があり、その先にケナガマンモスと現生のアフリカゾウの全身骨格が並んでいる。どちらも巨大でほぼ同じくらいの大きさ。骨格も非常によく似ている。アフリカゾウは多摩動物園で飼育されていた推定38歳のもので、ケナガマンモスとよく似た骨格だが、大腿骨や足指の骨格がやや細いー飼育されていたせいか、もともとなのかわからない。
ケナガマンモスの骨の化石は北海道からしか出ていないが、同時代の他の大型動物ーオオツノジカやヘラジカは本州などで発見されている。最大のシカ、ヤベオオツノジカは山口県や群馬県で発見され、温帯落葉樹林に適応していたオオジカは最終氷期ピーク前に絶滅している。またマンモスとともにやってきた寒冷な気候を好むヘラジカやバイソンはマンモスと異なり、本州にも進出、ナウマンゾウの絶滅した最終氷期にも生き残ったが、急激な温暖化の起こった1万六千年前ころに絶滅したのか、北に移動していなくなったのか??気候が温暖化し、縄文人の世界が始まると大型動物はいなくなり、現在の日本に近づいていく。ナウマンゾウやマンモス、オオツノジカやヘラジカ、バイソンなどの大型
動物が旧石器人とともに野山を駆け回ている姿を想像すると、ぞくぞくしてくる。そんな印象を持ちながら6時に始まった展示解説を聞いて、十分楽しんで帰宅した。
写真1)中新世ー恐竜絶滅後、ゾウの出現より前、カバに似たパレオパラドキシスなど、列島で世界最初に全身骨格が発見された貴重な化石
写真2)ナウマンゾウの親子
写真3)巨大なヤベオオツノジカ