「韓国の梁山夫婦塚で出土した寄生(蛇行状鉄器)の使い方を解説し、新羅の高貴な人が乗った馬の姿に迫ります」
日程 2015年2月3日(火)
時間14:00 〜 14:30
会場東洋館-10室
ということで東洋館に向かう。二時15分くらい前、すでに大勢の愛好家が待っている。資料を受け取り、開始時間まで朝鮮室の馬具を中心に工芸品を見学・撮影。今日のお目当ての「寄生」も見えた。
トークが始まり、白井先生は最初、この展示品が出土した新羅の夫婦塚古墳は地元では「北亭里古墳群」と呼ばれる。韓国釜山市に接する梁山市は、洛東江を境に金冠伽耶の都・金海市と新羅の勢力圏にあった蔚山市の境にある。大半が円墳で夫婦塚は最大で、韓国では「大墓」と呼ばれる。日本統治下にあった1927年、日本の考古学者らにより一週間の短期の発掘が行われ、馬具や装飾品その他多くの副葬品などが出土した。その時の出土品はすべてその後日本に送られ、東京国立博物館に収められている。地元の古墳群には博物館があり、展示会には日本から出展されることもあるようだ。普段はその後韓国で発掘した多くの遺物に混ざって、復元品が展示されてるようだ。展示品を見ると、当時の朝鮮半島と倭国の深い関係を知ることができる。こうした馬具や装飾品、金工品は倭国各地の王や首長古墳副葬品として観られるものだ。
さて、この「寄生」だが、騎馬兵の馬の後に旗を立てるための鉄器とされる。似たような形の馬の埴輪にこの部品と思われるものがついているものが埴輪展示で時折見かける。また高句麗国の壁画古墳の壁画にこうした鉄器に旗を立てた絵画が描かれている。「寄生」というのは中国南北朝時代の文献に出ている名前だそうだ。
しかし異論も出ており、旗を立てるには鉄器の基の部分が細すぎる、などの異論が日本の考古学者の間から出され、こうした鉄器が中国などで言う「寄生」かどうか、断定できないために、考古学者は「寄生」のかわりに「蛇行性鉄器」と呼んでいるという。またこの馬具の出土状態も問題で、これが他の馬具などと離れた地点から出土していることから、本当に馬具と言えるのか、疑問が出されている。こうした疑問に対して白井氏は近くに展示されている他の馬具―特に鞍の部材の展示品と展示品の蛇行性鉄器を図面上で組み合わせるなどの検証を行ったところ、寸法や形状がぴったり合い、座席にあたる居木と鞍の後輪の旧の部分に鉄器の止め金具を乗せ、その後ろのU字部分を後輪カバーに装着することができるという。これなら鉄部分がやや細くとも、全体としては十分幟を支える力があるという。また他の馬具と「寄生」の位置関係に関しては、朝鮮古墳出土品の研究から、被葬者の埋葬年が一体ずつ異なり、古墳に埋葬するたびに副葬品を移動させ、最後に蛇行性鉄器が残されたために、他の馬具と出土距離が遠くなってしまったということで、こうした例は他にも多いそうだ。この時代の新羅や百済、佳那国の古墳と倭国の古墳出土品の関係は深い。歴史に思いをはせたギャラリートークでした。
写真1)夫婦塚古墳出土「蛇行性鉄器」
写真2)鞍の前輪、後輪(のカバー?)
写真3)同首飾り
その後、もう少し朝鮮・中国の工芸品を見てから、本館特別5室の特別展「みちのくの仏」を見る。この展覧会は
「みちのくの仏像といえば、一木造、素地(きじ)仕上げ、力強い表現などが思い浮かびます。その顔は悟りを開いた超越者ではなく、人間味があります。厳しい自然に生きた人々の強さと優しさが表れているようです。この展覧会には、東北の三大薬師と称される、黒石寺(岩手県)、勝常寺(福島県)、双林寺(宮城県)の薬師如来像をはじめ、東北各県を代表する仏像が出品されます。会期中には東日本大震災から4年を迎えますが、仏像をとおして東北の魅力にふれていただくことで復興の一助になればと祈っています。」
という概要説明があるが、全部で仏像・神像19体という意外と小規模な展示だったが中身は濃い。
最初に岩手県天台寺の聖観音菩薩立像、東北特有のなた彫という荒々しくたくましい作風と丁寧な仕上げのコントラストが実に面白い。また国宝 薬師如来坐像(平安時代・9世紀、福島・勝常寺蔵=東北が誇る国宝仏。巨材を用いた一木造の堂々とした姿は、みちのく仏教文化の繁栄を伝えます。東京での公開は15年ぶりー東博HPより。)や重要文化財 薬師如来坐像(平安時代・貞観4年(862)岩手・黒石寺蔵=鋭い眼差しですが、人々を包み込む優しさがあります。像には貞観4年(862)の墨書銘があり、7年後の貞観地震を知る像=東博HP。)ーー貞観地震を知る仏様なのだ――
また宮城・給分浜観音堂の十一面観音は先の東日本大震災と津波に襲われ、このお寺が高台にあったので直接の被災を免れたそうだ。被災者がこのお寺まで避難してしばらく一緒に暮らしたという。また9世紀の岩手・成島毘沙門堂の伝吉祥天像は東北で最も美しいといわれる仏像で、青森・恵光院の地母神と思われる女神像も印象的だ。最後は円空の修業時代の仏像三点、これも力強い円空らしさが現れている。東北最古の寺は奈良時代の神亀5年(728年)開山という岩手の天台寺で、最初の国分寺は宮城県仙台にある護国山医王院陸奥国分寺で奈良時代740年代創建という。多くの古刹と古い仏像が残されていること、みちのく特有の力強い表現の仏像、都の仏師との交流など、歴史に思いをはせることのできる仏像たちだった。
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