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2015年05月03日 13:08博物館、展示会、美術館など全体に公開

NHK「知られざる大英博物館ー日本の巨大古墳の謎」

大英博物館の日本展示館などに収められている夥しい数のコレクションーーしかし、展示室にはないガーランドコレクションなどの収蔵品から、新たな事実が発見される。同博物館収蔵品は800万点、そのうち99%は収蔵庫に眠っている。アジア関係の収蔵品は15万点、中国の陶磁器やインドの仏像などの他、日本の古墳関係の出土品などの考古遺物が収められている。中でも明治時代に金属加工の専門家として招かれた英国のガーランドは趣味であった古墳時代を中心とした考古関係の遺物が多数収蔵されている。最近、このガーランドコレクションに関する日英の研究者の合同調査が行われ、新たな事実−古墳の謎が解明されつつある。ガウランドが残した明治時代の古墳の姿を撮った写真など、明治大学博物館学芸員の忽那氏らがその貴重さを指摘する。
 とりわけ今は破壊されて失われた東大阪の芝村にあった芝山古墳のガーランドによる調査記録が発見され、博物館の科学調査部による出土品の復元から、合同調査団は、失われた古墳の内部の復元を試みた。二つの御棺とともにあった須恵器の高坏は単なる副葬品ではなく、死者を祀るための御供えをするためのものだった。未盗掘古墳だったために古墳内部の様子が再現された貴重な資料だった。さらに現在宮内庁によって出入りが禁止されている丸山古墳(最後の巨大古墳)をガウランドが中に入って調査していた記録がある。その記録を日本の研究者らが初めて見ることになった。当時まだ出入りが禁止されていなかったため、測量をしてから古墳内部に入って調査。史上最大クラスの大きな石室は長い羨道を持っていた。それが墳丘の中央でなく途中で終わっているのが謎だった。

「おゆみ野四季」さんのブログによれば、
「なぜ日本に巨大な前方後円墳ができそれが消滅して行ったかと言う謎である。
三世紀半ばの卑弥呼の時代から6世紀後半の聖徳太子の時代まで約350年間にわたって日本には4700もの古墳が建造されたが、6世紀に入り最後の巨大古墳と言われた丸山古墳を最後に前方後円墳の時代が終っている。

 この謎を解く鍵は大英博物館に所蔵されているガウランド・コレクションにあると言うので驚いた。
ガウランドといわれてもまったく知らないが、明治5年に大阪造幣局に招聘されたイギリスのお抱え金属技師で、同時に考古学者としての深い素養を備えていた人物である。
ガウランド氏は日本にいた16年間に400以上の古墳を調査し、当時の貴重な写真や測量結果を残しており、さらに未盗掘だった柴山古墳の調査発掘まで行っている。
この柴山古墳から出土した出土品を中心に大英博物館に約1000点の出土品を寄贈した。それがガウランド・コレクションである。

注)当時の古墳の状況は墳墓に畑があったりして、まだ自由に古墳の調査ができた。その後宮内庁が天皇陵の立ち入りを禁じたためガウランド氏の調査発掘はとても貴重な資料となった。

 今回問題になっている最後の巨大古墳といわれる丸山古墳については、ガウランド氏が明治15年に測量機械を持って実測しており、詳細な図面を残している。
この図面では不思議なことに石室が後円墳の中心に存在しなかった。
通常前方後円墳では後円の真ん中に穴を掘りそこに墓室を設置する。
「これはガウランドが間違った測量をしたのではないか。他の墓と違って石室が真ん中にないじゃないか」長い間そう思われていた。

 しかし1991年に丸山古墳の墳丘が崩れ石室の入り口がぽっかりと開いたことから宮内庁が調査した結果、間違いなく石室は墳丘の中央から外れており、さらに2011年に丸山古墳の実測をレーザー光線を使用して行った結果約22mはずれた位置にあったことが判明した。
ガウランド氏の測量は正しかったのだが、このことが考古学界では大騒ぎになった。

 私たちは日本史の授業で古墳は当初竪穴式だったがその後横穴式に変わったと説明されており、それをただ暗記しただけだが竪穴式と横穴式の決定的な違いは、再利用(合葬)が可能かどうかにある。
竪穴式の場合は後円の真ん中に棺を埋めてしまうのだが、横穴式の場合は石室まで通路を作って一旦塞ぎ、近親者が死亡した場合は再び入り口を空けて一緒に葬る方式をとっている。

 なぜそのような再利用をしたかというと古墳を一つ作るのにも大変な費用と労力がかかるからだ。
たとえば日本最大の仁徳天皇陵は全長486mと言う途方もなく巨大な陵で、延べ人数680万人、15年の歳月をかけて建造されたと言われている。
単純計算で毎日休まずに作ったとしても1000人強の人が毎日動員されていたことになる。

 当時の日本は東夷の貧しい島国で大国中国から見たら、現在の中国と北朝鮮位の経済力格差があったはずだ。
そんな貧しい日本で世界最大級の陵墓を次々に作っていては経済的に限界が来る。
「古墳は大王一人だけではなく近親者も合葬しよう。そのためには横穴式にして石室までの通路を作っておかなければならないな」

 こうして後期の古墳は横穴式になったのだが、問題はこの横穴の通路を自然石で作ったことにあったのだそうだ。
同時代の朝鮮では石室はレンガでできており、エジプトでは正確に切り出した石でできている。

 日本では自然石を積み上げる方式で、番組の説明では日本人の自然信仰が自然石の石室を作った理由だと説明されていた。
確かにそうした理由もあったろうが私は単純な経済格差で、石を正確に切り出す技術もレンガで石室を造る技術もなかったので結果的に自然石の石室になったのだと思っている。」

という感想が載っている。ただし終末期の石室では半島から優秀な技術者が来ていて、かなり精巧な切石・石積みによる石室作りも行われている。とりわけ群馬県にはそうした古墳が残されているのを見学したことがある。
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