時刻は10時を回り、この快晴下にぐずぐずしていると雪が緩みますから、すぐに下降することにしました。
補助ザイルを取り出してパートナーとの間隔が7−8メートルで互いの体を結び、残った分を切らずに束ねて私のザックに入れました。
細めのザイルだったので心配するほど動作の邪魔にはなりません。
まづ私が確保しパートナーが雪面に体を向けて1ピッチ下降します。
そこでピッケルシャフトを深く雪斜面に差込み、ザイルをシャフトに巻いて確保します。
確保といっても道具が何も無いのですから、下降姿勢のままピッケルのブレードとピックを掴んで立っているだけです。
合図で私が互いの水平位置が離れるように下降し、パートナーの斜め下、目分量45度で同様に確保します。
今度はパートナーが同じように互いがザイル分だけ離れるよう、私の斜め下45度迄下降し確保にまわります。
8本爪アイゼンですから足元を強く蹴込みたいのですが、壊れた靴のアイゼンが緩み駄目なようです。
左足を蹴込み、右足は雪面にフラットにつけるのですが力が入りません。
道具の大切さをつくづく痛感しました。
雪の急斜面のトラバースは、よくありますが下降はめったにありません。
足元が見えにくく、見えれば高度感で足が竦みます。
この動作を声を掛け合いながら交互に数ピッチ繰り返し、緩斜面迄降り立ったときにはホッとしました。
7−8メートルのザイルの長さは、滑落しても雪面に差し込んだピッケル・シャフトが確実に止める衝撃を予想してパートナーと話合ってきめましたが、10メートル以上でも充分大丈夫ではなかったか、と云うのが後の笑い話です。
滑落はザイルに曳かれて振り子状になり衝撃は少なくなる筈だからです。
マチガ沢本谷を下って雪の無い所でアイゼンを外すともう壊れた靴では歩けません。
思い切って脱ぎ、壊れた靴をブラ下げて靴下で駅まで歩きました。列車を水上で下車し、土産物屋で焼き杉板の女下駄を見つけて買いました。
赤い鼻緒しかありませんでしたが我慢です。
それを素足に履いて、店のおばさんに靴の処分を頼みました。
靴の老朽化が甚だしかったからです。
この時が私とナーゲル靴との決別の瞬間でした。
その後暫らく布製のクレッター・シューズを履いたり、冬は仲間の靴を借りたりして凌ぎましたが、1960年、遂に念願のビブラム型式の山靴を入手したのです。相仲 廉(ainakaren)
*(写真は私の最後の山靴、トップ靴店の注文靴で、もう20年以上履いています。)
*日記前半 http://www.yamareco.com/modules/diary/8042-detail-8983
ナーゲル靴の完品の写真が掲載されたQooPAPAさんの日記をご紹介します。
トリコニー、クリンカー金具や泥除けの返しがついた昔のナーゲル山靴の姿をご覧下さい。ainakaren
http://www.yamareco.com/modules/diary/11156-detail-13798
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