北アルプス縦走(親不知〜五竜岳)途中敗退、ヘリで救助
- GPS
- 632:00
- 距離
- 49.9km
- 登り
- 6,396m
- 下り
- 3,918m
過去天気図(気象庁) | 2023年01月の天気図 |
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アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
日記
1日目(10日)
親不知観光ホテルから8:30頃出発。新潟で大雪がニュースになっていたので身構えていたが、案外少なそうだ。鉄塔からスノーシューを履く。ザックが重い。坂田峠まで辿り着けず手前で幕営。テントが小さい。去年の12月で結露しまくっていたのをすっかり忘れて持って来てしまった。エスパースソロにすればよかった。何度後悔すれば学習するのか。
2日目(11日)
坂田峠からは急登バリズボでキツい。なかなか進まない。シキ割で幕営。この標高で結構寒い。なんでだろう。放射冷却ならいいんだけど。マットの空気が抜ける。夜中に起きて息を吹き込む。確認しても穴はわからない。こういう事があるからエアマットは不安だ。でも小さいから便利ではある。次はダウンマット+キルトor半シュラフで上半身は分厚い防寒具にするとか。こういう構成を考えるのは楽しい。
3日目(12日)
朝一ラーメンの袋が破れているのをテーピングで補修。軽量化(合計100g程度)と称してリフィルの縁を切り取った結果、半分くらい穴が空いている。アホすぎる。カップラーメンリフィルの包装を補修した世界で唯一の男かもしれない。リフィルは嵩張りさえしなければ最高の食料だと思う。軽いし美味い。昔あったチリトマトを復活させてほしい。ラーメンはもう一種類持って来ていて、五木の熊本もっこす棒ラーメン。めちゃくちゃ美味いけど135gとリフィルの倍くらいの重さになる。
白鳥小屋までは深くて腰、稜線は脛程度。下駒ヶ岳まではたまに急斜面オーバーヘッドが出るけど基本ベタ雪の脛膝程度。途中真っ白なウサギが居た。可愛かった。鹿は足跡は沢山あるけど姿は見せない。
白鳥の下りでヘリウムBCの柔軟性とトラクションに感動していたら、その直後に金具とプラの接合部が破損。とりあえずそのまま歩き、テント内で針金補修する。今後はヒールサポートできない。下駒ヶ岳ピークで幕営。SMCのスノーソーは全長50cmくらいあって使いやすい。15分ほどで防風壁が完成。鼻をかむと青鼻が出ている。鼻かみは手鼻で、排便には雪を使うのでロールペーパーはほぼ使わない。食器洗いは禅寺方式。指に逆剥けが出来てきたのでリップクリームを塗ってみる。
4日目(13日)
朝イチでラーメンこぼす。なんだかなあ。テント狭すぎ。夜明け前に行動開始すると、やはりルートミスした。素直に世が明けるまで待とう。連日の好天で雪は締まっている。肩が痛くてペースも上がらない。晴れすぎてベタ雪。しんどい。それでも2日目は1ピッチ50mしか上がらなかったのが100mになって来た。だいぶ身体が山に慣れて来た感じ。これから荷物が減って硬い稜線に出ればもっと早くなると思いたい。
16時頃、栂海山荘に到着。雪で埋まっていて入り口が分からない。それっぽい場所を掘っていると南側に入り口を発見した。中に入ると広くて感動。さわがに山岳会に感謝。陽が落ちると雨が降り出した。雨樋から落ちる水滴を集めてガスを節約する。明日は悪天なので、沈殿してゆっくり休もう。ラジオを聞くと成人式とか受験の話題が出ていた。そういやそんな時期だったな。手袋縫ったり爪切りしたりストレッチしたりして就寝。
5日目(14日)
朝起きると晴れていた。でも休養日と決めていたので小屋でのんびりストレッチやマッサージをする。昼前から霧。午後から雨と暴風。エアマットの不具合箇所が判明した。吹き入れ口のゴムから漏れてるみたいで補修は難しい。吹き入れ口周辺だけ紐で縛れば解決。と、思いきや別の場所に穴があるのを発見した。そっちもテープで塞ぐ。大丈夫かねこれ。明日は風の弱い降雪らしい。amazarashiの「雨男」を寝袋の中で聞いている。今日も土砂降り。そういや10年前の栂海山荘でも雨だった。
6日目(15日)
疲労もあるので今日も小屋で休み。居心地良すぎる。荒れ予報だったけど風は弱い。朝から霧時々雨。午後から雪。まあ焦るまいて。停滞して食糧を減らしたいという本末転倒感。でもこの停滞で確実に身体は回復している。明日から寒気で雪が締まって歩きやすくなる…はず。今回はやり過ぎなくらいリップクリームを塗っている。お陰で唇の荒れが少ない。ラジオのエンディングでLunasaが流れて興奮する。今日はセンター試験(古の呪文)の2日目だそうで応援ソングが流れている。マスク持ってくればよかった。睡眠時の呼気でシュラフが濡れる。口呼吸なら上に吹けばいいけど鼻呼吸なので直に当たる。バラクラバは口元に穴が空いているので抜けてしまう。リフィルに飽きて来たので夕食は業務スーパーのかんたんパスタを食べる。めっちゃ美味い。最高。明日は西高東低だけど風は弱いとの予報。朝小屋から出て、行けそうなら行こう。4日後に寒気と低気圧が来そうなので、それまでに進んでおきたい。今朝までの雨で固まった斜面に雪が乗ってるという状況は怖いけど。
7日目(16日)
今日こそはと思っていたけど、起きてみるとこの山行が始まって1番天気が悪い。風も結構あるし、視界20mのホワイトアウトだ。天気図的にはそりゃそうだなんだけど。今日も停滞。まだあわてるような時間じゃない。地図を見ていたらあまりの進んでいなさに笑ってしまった。
8日目(17日)
6:30山荘発。ホワイトアウトの中バリズボや雪庇の処理で手間取る。雪庇崩落がいくつも見られ、割れた雪庇の間に落ちると出てこられない高さだ。ズボッとなる度に肝を冷やす。さわがに山以降は霧が晴れ、快晴の中硬い斜面を歩く。霧が晴れた瞬間はまさに壮観。思わず声が出た。とても気分が良い。ザックも軽くなり雪も硬くなり、これからスピードも出てきそう。17時過ぎに幕営地に着き、そこから2時間かけて中にテントが張れるイグルーを作る。湿雪とはいえちょっと時間かかりすぎ。寝る頃には23時になっていた。エアマットは潰れてもうほとんど使えない。
9日目(18日)
朝6時に起床。雪が降っているが風は弱い。視界が無いので、雪が落ち着くまで少し待つ。24、25日に最強寒波が来そう。23も二つ玉だし、その辺はレストにしよう。10:30から出発。外に出た時、視界が悪くて後悔する。以降ずっと風雪の中進む。アヤメ平から2071の尾根に上がる時、周囲が見えないのでとんでもない斜面に取り付いてしまう。アイゼンピッケルならなんて事はないが、スノーシューストックだと落ちてしまいそうで怖い。落ちれば骨折しかねない高さに見えた。なんとかザックを下ろしてピッケルに持ち替える。それでも結構ギリギリだった。その乗っ越しで力を使い果たし、15時頃その辺にテントを張る。
10日目(19日)
快晴。やはり天気が良い日に行動するのがベスト。朝日岳までは順調に進む。下りはスノーシューとアイゼンを付け替えたりで手間取る。最悪だったのが赤男山のトラバース選択。朝日岳からトラバースルートが見えていたので行けると思ったが、細かいアップダウンが多く、スノーシューで歩きにくい硬かったりバリズボだったりの微妙なトラバースで、稜線行くより時間もかかり疲労した。雪倉の登り始めから天気が悪くなり、強風とガスでなかなかに辛い登りとなる。たまに出てくるラッセルもキツい。頂上に着いた頃には17:30を回っていた。日没も迫っているし、風が強くて落ち着いて行動食を食べる余裕もない。結局暗闇の中雪倉避難小屋に逃げ込む。なぜか窓が全開で、小屋に雪がたっぷり溜まっている。そのせいか知らないが表の扉のレールが凍りついてびくともしない。仕方がないので小窓から入り込む。超狭くて身体がつっかえるかと思った。手足ぶらりんなので挟まったまま凍死しかねない狭さだ。次の出発までになんとか扉を開けたい。そういった残業もあってもうフラフラ状態。ラーメン食って湯たんぽ作って寝る。
11日目(20日)
今日は沈殿。寒い。24日からの寒波が来るまでに出発して雪洞に移住したいけど、かなり身体が疲労している。今日明日と休んで、22日の気圧配置が緩んだタイミングで出るか?23も二つ玉予報で進退窮まるのも怖い。もうここでゆっくりしてもいいかもしれない。ガスも大量に余っているので、食糧を節約して予備日を増やすか。肛門周りが炎症を起こしている。ステロイド軟膏持ってくれば良かった。パンツが異臭を放っているのでお湯で揉み洗い。ウェットティッシュももっと使おう。電波を取ろうと外に出るもあまりの暴風になす術なし。すぐさま撤退。空身なのに吹き飛ばされそう。小屋の中にいても恐怖を感じる程の風だ。小屋が揺れている。あまりの風に玄関の隙間から雪が吹き込んでくる。全開の窓ではなくこれが吹き溜まりの原因だった。ブロックを積んで塞ごうとするも焼け石に水。小屋の中全てに粉雪が舞っている。ちなみに扉を開けようと頑張ったけど徒労に終わった。慣れないスノーシュー歩きで足を痛めてしまった。もう今週は回復に努めよう。鶴光のラジオで爆笑する。
12日目(21日)
10時くらいから風が止み天気も晴れる。とはいえ今日は進むつもりはない。その後はガスが多くなった。扉の風防を補強する。靴を乾かしたり電波を探したりする。26日までここで耐えるつもり。1週間か〜。今月中に冷池行きたかったけど無理そう。まあなんとかなるやろ。ハンドクリーム欲しい。何か触るたびにざらざらする。
13日目(22日)
モバイルバッテリーの容量がヤバい。ソーラーがおかしいのか、あまり充電できていない。テーピングもっと必要。
14日目(23日)
ソーラーパネル問題がある程度解決した。モバイルバッテリーとの相性が悪いらしい。各機器に対して直接給電すると問題なかった。もしもこのまま充電できないとどうしようと考えていたので良かった。天気は晴れ時々霧。気温も暖かく過ごしやすく。もちろん進める天気だったけど、まあいいや。明日明後日耐え忍んで、26日から出たい。
15日目(24日)
エアマットを諦める。10時ごろから突然風が止む。こんこんと雪が積もっている。風で飛ばしてくれよ〜。天気図を見る限り、26日以降、28日以外は動けそうだ。1月中に冷池まで行けそうで安心。ガスも食料も大量に余っている。5日くらいは伸ばせそうだ。
16日目(25日)
大寒波襲来。シュラフのチャック壊れる。ラジオも電池が切れる。寒い。
17日目(26日)
今日も暴風雪。かろうじてラジオの充電ができたけど、すぐ切れるんだろうな。携帯も電源を切っているし、時計もないので時間感覚が分からない。今日は何日だ。明日は晴れるだろうか?
18日目(27日)
今日こそ行けると朝起きるも今日強風&ホワイトアウト。電波を取りに外に出るとラインにメッセージが。単独行と言いつつ下界との関わりを感じざるを得ない。携帯の電池も残り少なく、ラジオも事切れた。少しだけ残っていたはずのモバイルバッテリーもこの低温の為かいつの間にか無くなっている。やはり中国製。最後の砦は予備スマホだが、こちらは90%以上ある。早く晴れの日に充電したい。小屋の中でやることがない。窓からの光でソーラー充電頑張っても1時間しかラジオが聞けない。仕方がないので寝袋の中で足首を上下させている。虚無に耐えられなくなった時は中島みゆきの歌をあなたにを聞く。どうも1月中は出発できそうもない。あと4日もここに居るのか。16時ころ風が止む。でもあたり一面真っ白のホワイトアウト。寒気って怖い。
19日目(28日)
寒気&西高東低で暴風雪。夜中無風になり、幻聴が聞こえる。ストレスが溜まっているんだろうか。昼間は足先が冷たいのに夜中になるとソックスを脱ぐほど熱くなる。更年期だろうか。二晩続けて胃がムカムカする。というよりよく分からないむず痒さが全身を包んでいる。息が詰まるような苦しさに耐えかねシュラフを抜け出し屈伸や宛てもなくうろうろする。そんなことを繰り返し眠る。帰宅後調べてみると、「レストレスレッグス症候群」の症状に似ている。対策としては鉄分サプリの持参だろうか。
20日目(29日)
今日で日程の半分が終わった。ただ食料もガスも充分に余っているので日程は伸ばせる。朝から暴風、たまに晴れ、基本ガス。水を盛大にこぼす。思わず叫ぶ。動けなくて鬱になる度、これは単なる旅であると思い直す。もっと楽しんでいこう。ダメならそれでいいじゃん。最後までやってみようぜ。ソーラーも調子がいい。携帯も87%になった。ラジオも一晩なら持ちそうだ。こういう山やるなら「SPOT Gen 4」みたいなGPS信号機を持ってくるべきだった。天蓋の中に湯たんぽとインナーシュラフを入れ、機器を温めながら給電する。17時頃電波を取りに出るも、あまりの烈風になすすべなく撤退。死ぬかと思った。19日の時より雪が減っていた。小屋に入り、雪を落とし、呆然とする。小屋の中で聞く風の音としては中くらいだったので出てみたら無理だこれ。その後、ハードシェルを着込み完全装備で再出陣。明後日は晴れるそうだ。ようやく出発できるとテンションが上がる。
21日目(30日)
西高東低で暴風雪。明日はどこまで行けるだろうか。できれば不帰は越えたい。ラジオが満充電に!ありがたい。もう明日にそなえよう。結局謎の体調不良は治らなかった。
22日目(31日)
朝起きると胃が痛い。ここ最近夜中に不快感で眠れなかったので、そのせいだろうか。今山行で1番体調が悪い。朝一番は霧で視界不良。鉢ヶ岳辺りで霧が晴れる。白馬までは気分良く進むも、ペースが出ない。冷凍庫で11日間過ごしたようなものだし、身体が弱っているのだろう。ザックも軽くなったはずなのにすごく重い。唐松まで行きたいとか考えていたけど無理だと気づく。白馬の下りから霧が出始め、鑓ヶ岳の登りで暴風となる。寒気も入っているので-17度くらい。あまりの風に30歩に一度立ち止まり手袋の中で握り拳を作る。身体を傾けないと進めないので、マイケルのsmooth criminalみたいだなとか考える。体感25mくらいの風を受けながら天狗山荘を目指すも視界が5m位になる。レーシックの影響だろうか、強い光を受け続けると視界の中心が真っ白になり、ますます歩きづらい。正直ヤバかった。17時ごろ天狗山荘前でイグルーを作り始めるが、視界不良と疲労で遅々として進まず、テントに入れたのは21時頃、寝たのは24時だった。目が殆ど見えないので最小限の水を作り飯を食い湯たんぽ1lを作る。両手両足とも痺れて痛みもある。あと少しで凍傷になるところだった。というか凍傷の一度ではある。冷たくなった手足を必死に解凍する。このテント内の行動が凍傷になるかならないかを分けると思っている。以前凍傷になった時は固まった足を解凍せずに寝て、その晩激痛に襲われた。極限まで疲労し衣服も濡れテント内が水蒸気に包まれている中、胃の不快感を抱えながら寝る。心が折れそうだ。
23日目(1日)
今日で2月になる。イグルーを貫通した積雪がテントにのしかかり起こされる。心配していた視力は回復。低気圧直撃の悪天なのでもちろん停滞。の割に晴れ間は結構ある。昨日よりええやんけ。と思ったら昼から暴風雪。今後好天が続きそうだとわかり、モチベも回復。少しずつでも体調を戻してもっとペースを上げたい。イグルーの天井が完全に塞がる。天井の下がらない雪洞のようなもので、とても快適。明日は晴れるようだが、風も強いのでどうしようか。風の弱まる昼から出ようか。手足の痺れも取れてないし、ちょっと怖い。明後日からは完全に好天なのでそこまで待っていいかもしれない。寒気も明日で最後っ屁かな。
24日目(2日)
朝一雪掻きで疲れる。天井に穴があるから徒労感。テントが雪で押されて膝を抱えるように縮こまって朝日を待つ。完全武装で戦い穴を塞ぐ。でも今日はこれから雪止むんだよな…。ソックスを脱ぐと左足の親指が軽く紫色になっている。凍傷だろうけど血豆みたいな感じ。腫れはなく水膨れもない。やはり一度かかると同じ場所がなりやすくなるんだな。寒気を避けて進もう。テーピングが無くなる。ラーメン袋修復に使いすぎたから…。あほー。踵にできた靴擦れには仕方ないのでガムテープを貼る。15時頃ようやく霧が晴れる。進まなくてよかった。明日は五竜山荘くらいまで行って、明後日冷池行きたい。明日から4日間で一気に稼ぐぞ。船窪まで行けたらいいな。イグルーからソーラーを出して充電する。風雪強いのにかなり充電できた。太陽とAnkerに感謝。モバイルバッテリーは相変わらず文鎮でしかない。予備スマホは電圧が安定しないと充電できないようだ。それならもう80gくらいの楽天MINIでいいかも。マットも寝袋ももっと良いのを買おう。
25日目(3日)
夜中めちゃくちゃ寒い。あまり寝られない。右足の小指が超痛い。内反小指と凍傷の合わせ技だろうか。見ると赤く腫れている。水脹れはない。見事に両足とも西風の当たった場所だ。辛い。凍傷の原因は低温とアホみたいな風のせいだけど、水不足もあったかもしれない。準備が遅く7:00発。歩き始めは快晴。内反小指が痛すぎる。天狗の下りは2回ほどバックステップ。容易に降りれた。1峰はバリズボで足がとても痛い。不帰は基本的にバリズボでしんどい。核心の2峰に入る。雪庇までは問題なく進むも、雪庇が全く繋がっていない。以前冬場に偵察した時は雪庇崩落の不確定要素が怖いだけで通行は可能だった。この寒波の影響だろうか。一瞬敗退が過ぎったけど、稜線の岩を登れば行けるんじゃないかと思い至る。ザックは引き揚げで、空身で登る。ダブルアックスでドライツーリング。岩に被った雪を払いながら、際どいスタンスに乗り込む。途中ハーケンを見つけ、少し安心する。終了点には残地ロープもあった。唐松側から来る人はここで懸垂するんだろうな。なんとか最後まで登り切り、ザックを引き上げる。その後も際どい登りは続き、トラバースもフカフカの雪を固めながら少しずつ進む。最後の尾根への乗越しは大きな割れ目があって直登できず、左にどんどん追いやられる。辿り着いたのは垂直のハイマツに表面だけ硬いスカスカの分厚い雪が載っている最悪の斜面。しかもハイマツの熱で大きな隙間もできていている。片手で垂直に近い角度のハイマツを握りもう一方の手でハイマツの上の分厚く硬い雪をピッケルで砕く。重荷を背負い微妙なバランスでこれを行うのはしんどい。尾根に乗っても、2峰北峰までスノーシューに履き替えても腰ラッセル。斜度が変わると胸ラッセル。本当に最後まで気を抜けない地帯だった。そこからはバリズボが唐松岳頂上まで続く。平常時なら何でもないけど靴擦れのせいで一歩ずつ悶絶する。幕営は唐松頂上山荘横に雪洞&テント。16時半頃着。かなり雪が硬く苦戦。風無いしブロックだけにすればよかった。とはいえ入り口デカすぎて雪洞とは言いにくい。天井から雪がサラサラと降ってくる。今日も寝るのは24時頃になってしまった。夜中小指の痛みでうめく。本当に辛い。痛み止めも限りがあるので使うタイミングが重要だ。ガムテープで小指を外側に引っ張って寝る。明日は半沈で五竜まで。
26日目(4日)
小指の激痛は少しだけ治った。なんとか持ち堪えてくれ。撤収時テントがアイゼンに引っ掛かり穴が開く。8時出発。大黒岳付近は腰ラッセル。大黒岳の東は物凄い岩壁だった。朝のうちは視界100m程度、10時からはホワイトアウト。13時頃五竜山荘前でテント幕営。湿雪が降り続く。夜中も雪かき。
27日目(2月5日)事故当日
朝から雪かき。出発前に痛み止めを飲み、一気に冷池まで行くぞと意気込む。6時頃出発。五竜岳の登りは途中までは問題なかったけど、頂上直下50mから猛烈なラッセル。雪庇というわけでもない、稜線の1番高いところなのに、前日に降った雪が吹き溜まってオーバーヘッドラッセルとなる。雪など降っていない快晴なのに、その地帯だけ風で舞い上がり猛吹雪のようだった。少しでも硬いところは無いかと探していると足元から乾雪雪崩が発生。下に人がいなくてよかった。その後スノーシューに履き替え少しずつ雪を崩し、なんとか五竜岳の肩まで辿り着くとカリカリの斜面となる。吹き溜まりとクラストが瞬時に入れ替わる感じで違和感。普段もあるけど今日は頻度や規模がおかしい気がする。というか頂上直下の稜線でこれはどう考えてもおかしい。降雪後は雪が落ち着くまで待つのがセオリーではあるが、そうも言ってられない。五竜岳からキレットへの下りは夏道を辿るがルーファイが難しい。この辺ですでに結構疲れていた。
2645からの下りはバフバフの胸まで沈む新雪で、前向きに降りていると突然ガチガチのクラスト斜面になり、尻もちをつく。柔らかい雪だと思っていたので滑落停止が一瞬遅れ、一気に加速してしまう。30m程滑落し、なんとか止まる。正直なんで止まったのか分からない。止まらなかったら黒部の谷底まで落ちて死んでいた。全身が痺れたように動かない。
息を整え怪我はないか確認すると、左膝辺りのハードシェルが破れている。この時点では痛みはなかったので「やっちゃった〜」くらいの感覚だったけど、血が滲んでいるのを見てヤバいと焦る。安定している場所まで移動しズボンを脱いでみると、皮膚が15cmほど斜めにパックリと裂けて中身が見え、血が漏れ出している。本当に恐ろしかった。死ぬ覚悟はしてきたつもりだったけど流れる血を見たらそんなものは雲散霧消してしまった。情けないけど救助してもらうしかないと思った。まずはロールペーパーで患部を覆い、その上からインナーシュラフをキツく巻き付けて圧迫、心臓より高い位置に掲げ一旦の止血を終え、それから携帯での通報を試みる。電波があって助かったけど、無かったら危なかったし、天気も快晴風無しで、本当に不幸中の幸いにすぎない。
救助要請は10時10分で、110で救助を要請する。警察(110)→大町警察→救助隊という流れだった。怪我の状況や周囲の天候を伝え、スマホのバッテリー残量に注意しつつ足を掲げて連絡を待つ。
その後12:30頃これから15分後に救助に向かいますという連絡を救助隊から受け、その後大町警察から事故後の聴取予定などについての電話を受ける。12:50分頃富山県警のヘリが到着し、80lのザックと共にピックしてもらう。ザックは状況によっては回収できないと伝えられたが、天候が安定していた等の多くの好条件が重なり、幸運にも回収して頂けたのだと思う。本当に感謝しかない。飛び立つヘリの中、遠ざかる山を見て情けなさと悔しさで涙が出てしまう。救助隊員の方が側に寄って湯たんぽを服の中に入れてくださった。本当にみじめだったけどありがたかった。計画の内容や山岳部出身かなどの話をしていると、ヘルメットの欠けを指摘される。滑落前に欠けは無かったので、滑落中に頭を守ってくれたのだろう。各所との電話中もヘルメットの有無について聞かれていたし、救助隊はヘルメットをしているかしていないかを重要視しているのだなと感じた。ヘルメットを邪魔と感じるたびに「10m滑落して死んだ人と100m滑落して生きていた人の違いはヘルメットの有無」みたいな話を思い出し、顎紐を締めなおす。
反省
装備関係
・ザックの重量は35kg程度。食料ガスで20kg、装備で16kgくらい。
・テントはなるべく広いほうがいい。狭いと肩が触れて濡れるし、水をこぼす確率が上がる。一番良いのはテントではなくツエルトを完璧に使えること。そうすれば小さいイグルー内にも張りやすくなるし、雪洞の入り口もふさぎやすい。これからはツエルトをどんどん使う。
・マットはダウンマットを買うか、UL系のクローズドを2枚くらい持っていくか。自分なら後者。シュラフは今回低スペック過ぎたし、乾きにくいしチャックは壊れるしでいいとこ無し。もっと勉強が必要。シュラフカバーはアライテントの3層。ちょっと重いけど性能に文句はない。
・ヘリウムBCはとても良かった。普通のスノーシューと比べればかなり軽いし、トラクションも問題なく、何より下りがすごく歩きやすい。MSRのライトニングアッセントも使ったけど35kg以上背負って下るのは難しかった。こっちはめちゃくちゃ楽。ただし耐久性は価格なりだった。ヒールリフターに荷重がかかると金属のトラクションレールと本体との結合部が簡単に破損する。一応公式で耐荷重72kgまでと書いてあるけどそれでもちょっと弱すぎる。もし縦走で使うなら壊れる事を前提に初めから針金で補強しておいたほうが良い。ただ、1340gでも重い。トラクション無視したものであれば700g台もあるし、そっちを使えるようになったほうがいいかも。稜線では結局使いにくかったし。アイゼンと同時に使えて浮力もある、みたいなのほしい。ワカンはもう使いたくない。
・SMCのスノーソーは素晴らしい。今までMSRとかゴム太郎とかの剪定用を何本も使ってきたけどこれがナンバーワン。100g程度の軽さに切れ味も申し分なし。山で枝を払いたいという動機がなければこれ一択かも。
・コッヘルはDUGの「HEATI」。プリムスのP115と組み合わせて使った。普通のコッヘルより40%くらい効率が良くて軽いけど、これだけ長期ならジェットボイルとかの方が効率いいんだろうか。最近までOD缶と互換性無いと思い込んでいたので選択肢に無かったけど今後検証したい。
・ロープは次同じルートを行くとしたらケブラーロープを20m持っていく。
・水筒はエバニュー「ウォーターキャリー 1.5L」×1「ウォーターキャリー 0.9」×2。魔法瓶は持っていかなかったけど、何とかなった。今回はできなかったけど中間着のポケットに入れて体温で温めつつハイドレーションを服の内側に通して首元に配置するなどしてみたい。エバニューの水筒はかなり頑丈で寝袋の中に入れて湯たんぽにしても安心なくらい。一度だけ膝立ちになった時に捩じって口が開いてしまったけど製品の問題ではない。
・モバイルバッテリーはmotteruの20000mAh。ソーラーから充電できずまったく使い物にならない。容量や重量よりもソーラーとの相性を確かめなければならなかった。電圧調整機能とかかな?南アで使ったcheeroは相性が良かった。
・ソーラーパネルはAnker Power Port Solar15W。極寒の稜線でも働いてくれた凄いやつ。結構雑に使って滑落時もザックに外付けしていたのに破損も無かった。そろそろ壊れてもおかしくないので値上げや売り切れ前に買っておきたい。
・ラジオはTY-SCR5。軽くて多機能でよかった。音質もよし。でもプリセットの設定方法がわからなかったので説明書くらい読めばよかったと反省。付属のニッケル水素電池は寒冷地に弱く、温めないと充電できなかった。たまにロックを忘れてライトが付けっぱなしということもあった。
通信関係
・山行中の電波はドコモよりもauの方がよく繋がった。山で携帯を使うならデュアルSIMを導入したほうが良い。
・小屋に11停滞した際、下界との通信ができず余計な心配をかけた。緊急通報時の対応の幅を広げるためにも「SPOT Gen 4」のような衛星信号機を持つべきだろう。
生活関係
・就寝時の呼気を封じ込めるor外に排出する方法をもっと考えなければならない。今のところシュラフを首までにしてシュラフカバーのみで頭を覆って口だけ出すようにしている。追加でマスクによる封じ込めも導入してみたい。
・股間の衛生状態が悪かった。モンベルのウールブリーフはあまり効果を感じられなかった。見た目からして化繊っぽいし。気のせいかもしれないけど。もっとモコモコの「ザ・動物の毛!」って感じの商品を買おう。衛生状態が悪化すると股ずれを起こす。
・医療系で足りなかったのは、非伸縮テーピング、痛み止め、ステロイド系軟膏。これらは余分なくらい持って行ってよい。
・毎日縫物が発生した。裁縫セットはマスト。
・手荒れも予想よりはマシだったけど、もっと対策してもよかったかも。ハンドクリームとか。やっぱり乾燥対策ならVBLが一番だろうか。
・未だ手足の痺れが取れない。大寒波の11停滞後、好天予想に喜び勇んで飛び出した1月31日、hPa700で-16.5度という寒気の中、体感で最大瞬間25m以上の猛風に晒されてしまった。その時に両手足全ての指が軽い凍傷になったようで、特に西からの風を受けた右足の小指の付け根と左足の親指は、腫れなどは無いが軽く変色するくらいには酷かった。右足の小指の付け根は慣れないスノーシュー歩きで内反小指を悪化させていて、内反小指と凍傷の合わせ技で激痛であった。その後は常に歩行に伴う痛みとの戦いとなり、歩行ペースも落ちてしまう。停滞で焦っていたとはいえ、風の強い後立山北部の行動はもっと寒気に注意を払うべきだった。11停滞で身体も精神も弱っていて、胃痛と吐き気を伴いながら歩いていたというのも影響しただろう。
・下山後の体重は65kg程度。入山時73キロだったから大体8kgくらい減っていた。入山27日、行動が11日、沈殿16日だったので行動日に4〜500g減ったとすると沈殿で3kg程度減ったのかもしれない。1日あたり200g。
・停滞が多かったのでガスも食料も余っていた。全40日の予定だったけどあと一週間は伸ばせそうだった。
食料関係
・行動食は飴10粒50g、黒糖10粒50g、ミックスナッツ80g。停滞食はクッキーや揚げ物系のお菓子を少々。
・今後の朝夕食はカップラーメンリフィルとかんたんパスタのみで良い。
リフィル(85g)…味◎手軽さ◎体積〇
かんたんパスタ(85g)…味◎手軽さ〇体積◎
リフィルには乾物系は何も入れなくてよい。もうこれだけで完結している。ただ体積が少し大きい。
かんたんパスタは湯で時間が10分くらいかかるけど弱火ならガスも気にしなくていいし予備日などの暇な日であれば全く問題ない。欠点は一袋2食分なので小分けにするのが手間なくらい。
・持って行った乾物は以下の通り。
裏白きくらげ…道の駅パスカル清美で購入。大容量のわりに安かった。山に持っていくには大きすぎる。個人的には細かく砕いたほうが食べやすくて好き。コリコリとした触感は食べ応えを感じる。主にパスタに使用。
高野豆腐…タンパク質として。味も結構好き。ただ体積が大きいので今後は長期縦走には持っていかないだろう。ラーメンに使用。
切干大根…シャキシャキしてて美味しい。安くて軽くて小さくて食感もよくかなり良し。これは今後も持っていく。ラーメンに使用。
味付け海苔…後入れじゃないと粉々になるし入れるのを忘れがちだしあまり存在感がなかった。主にラーメンに使用。
乾燥キャベツ…アスザックフーズのネット通販で購入。手軽で美味しい。ただラーメンに入れると底に沈む。ラーメンにもパスタにも使用。
乾燥まいたけ…アスザックフーズのネット通販で購入。ラーメンに入れるとあじがぼやけるけどパスタに入れると味が際立つ。
乾燥ひらたけ…アスザックフーズのネット通販で購入。まいたけと同様の感想。
乾燥メンマ…アスザックフーズのネット通販で購入。主にラーメンに使用。まあまあ美味しい。
感想
恥晒しな記憶は全て封印し、口を閉ざして隠れていたい気持ちもあります。しかしそれでは他者の善意にただ乗りしてしまう事になると思い、記録を公開する事にしました。この記録を見て不快になる方も居らっしゃるかもしれませんが、誰か1人でも自分の事として捉え、何かの糧としてくれる事を願い、投稿させて頂きます。
救助してくださった富山県警救助隊の皆様、急患に対応してくださった相澤病院の方々、電話対応をしてくださった警察の皆様、心配をしてくれた家族、見守ってくれていた友人達。全ての方々からのご恩に、少しでも報いる形になれば幸いです。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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コメント頂きありがとうございます。
今山行ではイグルーが大活躍でした。米山さんのおかげです。ありがとうございます。
コメント頂きありがとうございます。
事故事例に対して当事者意識を抱くのはとても難しい事ですので、少しでも何らかの肥やしにして貰えるならとても有難いです。
当方は森◯さんではありませんので、森◯さんの名誉の為にも、一応訂正させて頂きます。
コメント頂きありがとうございます。またお気軽にコメントしてください。
勇気ある記録の公開に心から敬意を表します。
私も、一昨年秋に死亡遭難事故の当事者となりましたが、記録の公開に至るまでに約1年かかりました。
当事者だけでなく、遺族のご意向など、様々な要素が絡み合ったことが理由です。
遭難は決して成功体験ではありませんが、その情報の公開は「他山の石以て玉を攻むべし」の格言そのままと考えます。私自身も事故当事者として、本記録を心に刻みつけ、今後も山に登り続けます。
ありがとうございました。
励ましのお言葉ありがとうございます。
この記録を読んだ方々のヘルメット着用率が少しでも上がれば、その分悲しい事例も減ってくれるのではないかと勝手に期待しているところもあります。
私も他山の石の意識を忘れず、反省できる人生を送れるよう努力します。
コメント頂きありがとうございました。
記録の公開、ありがとうございました。私ができるようなレベルの山行ではありませんが、興味深く読ませて頂きました。
遭難を含む記録をアップするには、なんとも抵抗感があったかと思いますが、こういう事例が公開されることで、他のヤマレコユーザーにも色々と参考になると思います。
なお私(ベルクハイル)は、2014年の残雪期に、爺ヶ岳付近で遭難し、山小屋関係者や長野県警ヘリにより無事に救出された、という苦い経験があります。
その記録も、他の方への参考にしていただければと思い、ヤマレコ内に公開しています。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-439403.html
以外と非難するようなコメントがなく、ねぎらいのコメントが多かったので救われた気持ちになりました。
この記事の投稿はあくまで自己満足に過ぎず、役に立つかどうかは読み手に委ねるしかありません。
それでも参考になると言って頂けると救われます。
コメント頂きありがとうございました。
初めまして、長野県の中山と申します。
不知火〜白馬岳の計画をしていたところ、こちらの記録に辿り着きました。
その後お怪我の具合はいかがでしょうか?
積雪期に27日間も雪山に単独で籠る事は想像できませんが、その強い信念と精神力に感服します。
山行の細かい詳細や感情、冷静なセルフレスキュー、装備品の改善点など学ぶ点が多くあります。
どうしても成功ばかりに目が奪われがちですが、失敗からも学ぶ事がありとても貴重な記録です。
しっかり身体を休めて、再び厳しい時期・厳しいルートに思い描いた足跡を刻んでください。貴重な記録を公開して頂きありがとうございます。
新潟県て蓮華温泉❓まさか親不知❓
てゆうか1ヶ月近くもずっと山の中にいて、その間最強寒波も来たのに、どこでやり過ごしていたのだろうか❓
食料はどうしていたのか❓ガスのカートリッジだって相当な数が必要な筈と、ずっと気になっていました。
そして遭難事故を含む山行記録をよくぞアップしていただきました。
公開にあたって相当葛藤があったと思いますが、その勇気に敬意と感謝を申し上げます。もう尊敬の念しかないです‼️
早速お気に入り登録させていただきました。
めちゃくちゃ詳細に記載されていて本当に助かります。怪我が癒えて、また山に復活される事を切に願います。
貴重な体験の数々の公開、本当にありがとうございました😊
ネットのニュースで遭難の記事を読んで、こちらの記録を見つけて拝見しました。
ニュースを見た時は本当にビックリしました。厳冬期の北アルプス縦走はプロの登山家レベルの挑戦だったかと思います。どんな計画をされて、装備はどうだったのかとても気になっていました。厳冬期の北アルプスは登山をする人にとって憧れでもあり、ましてや縦走はとても実行できない大変な冒険です。それを計画され、実行されたのは凄い事です。
勇気を出して記録をアップして頂いてありがとうございます。是非またチャレンジしてください!
一つ気になったのが、予定のゴール地点はどこだったんでしょうか?良かったら教えてください。
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