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エヴェレストがイギリス隊のヒラリー、テンジンにより初登頂された1953年、日本はマナスルに第一次遠征隊を派遣し7750メートルに到達するも敗退、1954年の第二次遠征隊は現地住民達による登山阻止に遭遇して目的を達することができなかった。
エレヴェスト初登頂と第一次マナスル遠征を大々的に報じたマスコミも、次第に冷ややかに小さく扱うようになって、山岳界の話題も大衆から遠くなっていた。
1956年5月、先人未踏のマナスル山頂は、第3次遠征隊により遂に初登頂される。
そして、それまで冷ややかだったマスコミが掌を反すように賞賛、大々的に報道し、大衆にも登山への関心が盛り上がってきたのである。
それは当に戦後登山ブームの夜明けの到来であった。
思えば私が岳会への入会を決意したのも、日本隊マナスル初登頂の快挙に大いに影響されてのことであった。
私の山登りの切っ掛けは、1953年秋の奥多摩鍾乳洞見学で、山と渓谷の美しさに魅了されてのことである。
同年、数ヶ月前の5月にエヴェレストが初登頂され大々的に報道されたが、当時登山に関心の無かった私にその印象は極めて薄かった。
山に登るようになってから、初めてエベレスト関連の本を読んで海外の山に関心を持ったのである。
1956年11月に、同年5月のマナスル初登頂を記念する切手が発行され、自分に切手収集の趣味もないのにそれを購入して保管していた(写真)。
岳会に入会してその在籍中、海外の山は私にとって手の届かない憧れの存在であり続けた。
今は亡き仲間達にも、遥かなる憧れであったに違いないと思うのだ。
1961年に岳会を離れた私は、海外の山に登ったことがない。
国内でさえ、月山以北と白山以西の山に登っていない。
今後、登ることもないのだろう。ainakaren
*マナスル登頂に関する文献資料
https://jac1.or.jp/info/kiroku/1996/manasr-page.htm
https://ihc-japan.org/about/manaslu/manaslu2
ainakarennさん、マナスル登頂の記念切手が発行されていたことは知りませんでしたが、良くこの切手持っていましたね、
「古い山の本」の中でも書かせてもらいましたが槇有恒著の「マナスル登頂記」は持っていますよ、
ainakarennさんの現役の頃は海外などは夢の中の夢で飛行機でチョイと海外とはいかなくて、ヨーロッパアルプスなどは今と違いシベリア経由でしたから、日数もかかり費用と会社を辞めてからでないと行くしかない時代だと思いますよ、ましてまだ国内には未登攀の岩壁があり、それらの競争が激しい時代だった思いますね、
こんばんは。
マナスル初登場って日本人って、若い人は興味ある人を除いて知らないと思います(たぶん)。
昨日は集会でしたが、みんな海外の山に詳しくて???でした。国内でも私にとっては十分なフィールド。でも、スケールも違い、すごいって話を聞くと行ってみたいなぁ…。
この切手見ると小学校の頃の切手収集時代を思い出します。今見ると、ちゃんとノーマルルートから見たマナスル山頂の格好がデザインされていますね。
naiden46さん、こんばんは。
マナスル登頂記などの主だった登山紀行本が岳会事務所の本棚にあり、皆が読んでましたね。
一般人の渡航が容易になったのは1964年頃ですから私の引退後でした。
それ以前は海外の山は夢の又夢でしたね。
国内の登攀ルートの開発は58年に発足した第2次RCCなどが60年初頭から後半にかけて殆んどを完了し尽くし、海外遠征競争に移りました。
私は61年4月に会を離れましたから海外の山の機会も、国内難ルートの開発にも縁がありませんでした。
それ故無事に過ごしましたが、寂しさもあります。 ren
K_guminさん、こんばんは。
マナスルは8000メートル峰の一つですが、日本の登山隊が初登頂した山なのです。
映像で視てもヒマラヤのスケール感は凄いですね。
行ってみたかったなぁ〜。
若い人は、これからいくらでも行く機会がありますよ。
山行記録、楽しみにしています。ren
yoneyamaさん、こんばんは。
切手少年でしたか。
では山の切手も沢山お持ちでしょうね。
デザインが現場の地形に正確であるとすれば、雪渓を登り詰め尾根伝いに左に廻り込むルートは、まだまだ遠し、の感がありますね。
それに技術的難度が高い山だそうですね。
隊員達の苦労が忍ばれます。
ピッケルの持ち方、ピックを後向きにした昔の構えですね。ren
ainakaren さま
こんな深夜に書き込みお許しを。
1956年。。。
ピッケルだけではなくこの切手じっくり見るとぬわんとザイルの色がやっぱ麻ザイル
油がしみてて結構滑った。懸垂下降には良さげ
いつの時代もその時代の道具を使いこなせてなんぼだと
日頃の訓練
77ms1ksbさん、お早うさんです。
ナイロンザイルが一般に普及したのは60年頃ですから56年は麻ザイルですね。
高級品はしなやかなマニラ麻でした。
12,5ミリが普通で太かったですよ。
ナイロンに比べると伸びが少ないので懸垂下降は気持ちがいいのです。
亜麻仁油を染ませてあるのですが、濡れると重くて大変。
冬、濡れたのが凍ると針金や棒のようになって扱い難かった。
強度も扱いやすさもナイロンと麻では雲泥以上の差がありましたね。
亜麻仁油はピッケルの木製シャフトにも染ませてしなやかに粘り強度を増強を図りました。
あの亜麻仁油の匂い〜懐かしいなぁ〜。ainakaren
はじめまして、
知りませんでした。
この影響などで、私の父は山へ登り、
私は山嫌いになったのでしょうね。
子どもと山に登りたかった父の代わりを私がしていることになるのかも・・・
fuararunpuさん、コメント深謝です。
マナスル初登頂による登山ブームで山登りを始めたのは、高校生、大学生、学生と同年輩の勤労者でした。
中高年の登山入門者が殆んど無かったのが、この時の登山ブームの特徴でした。
お父上が私と同年輩のようですね。
幼児は普通、長い歩きが嫌いで大自然への関心も少ないので、この時期の注意が重要ですね。
学齢に達して暫くすると、自然への関心も出てきて自分から歩くようになりますから親も楽しい時期ですね。
子供さんとの楽しい山行記録、いつも拝見させて頂いてます。
頼もしい相棒のようですね。
ご無事で親子登山をお楽しみ下さい。ren
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