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https://www.yamareco.com/modules/diary/148886-detail-148488
こちらの続き。
あれから38年だそうで、38年もたてばあの頃は中学生だった自分も立派なオジサンです。
山でオジサンでなくて、「おとうさん」と呼ばれる事に感謝しないといけないかもしれません(相手の気遣いに)。
saitama-nの日記:相手が気を遣ってくれたんだよ(「おとうさん」という声がけ)
https://www.yamareco.com/modules/diary/148886-detail-301717
それはそうと、群馬県上野村の御巣鷹の尾根に行くに際して感じた事を(2012年)。
1 途中のトンネル内にえぐいカーブ
御巣鷹の尾根の麓の駐車場まではトンネルが沢山あります。
途中のトンネル内にえぐいカーブがあって非常に驚きました。
基本、トンネルは山を真っすぐに貫通するものと思っていた自分。
「恐ろしいところに来てしまった・・・」と思いました。
2 御巣鷹の尾根周辺の地図を確認すると山に妙な池のようなもの
調べると揚水式水力発電でした。
原子力発電所の夜間余剰電力で揚水して電力消費が大きい昼間に電力を発生させるものだそうです。
原発が軒並み停止な今はどのように運用しているのかしら?
3 報道機関の方はどうやって御巣鷹の尾根まで?
関連本によると最初に乗り込んだ報道機関の方は長野から現地を目指したそうです。
現地を見た自分からすると、「こんな山行考えられない!」です。
tanigawa様のヤマレコ日記:あの日の御巣鷹の尾根で 1985年8月12日
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3964
自分が訪れたのは山開き直後の5月初め。
落葉した木々で無雪の秩父の山と同様でした。
墜落時とは景色が異なります。
それでも、携わった方々の息づかいを感じて非常に苦しい場所でした。
実際に現地に行くと関連本の下らない内容の話は全て吹っ飛びます。
saitama-nの日記:信じたいものを信じる(123便)
https://www.yamareco.com/modules/diary/148886-detail-217241
運命というものがあるのであれば世の中は皮肉でもあり、天寿というのであれば神は情け容赦がない。合掌。
金田正太郎 @climber009様。
当時の報道をご存じの方は各々何かしらのエピソードがありますね。
毎年、母と御巣鷹の尾根の慰霊登山をテレビで見ると、「小学生の男の子が甲子園に高校野球を見る為に一人で大阪に向かう123便に乗っていたんだよね・・・」という話が出ます。
墜落当時、飛行機に乗るお金など無い我が家。
飛行機に乗りたいと駄々をこねた兄に母が怒って小さな籠の小銭入れを床に叩きつけました。
小銭を拾いながら兄がポツリと、「こんなのじゃ足りない」と言いました。
自分も飛行機代は不明なものの、足りないと思いました。
関連本も読みましたが、救助隊の方々は想像を絶する苦労をされたようですね。
私は御巣鷹の尾根にはまだ行ってませんが、三国峠から高天原山までの尾根は歩いた事があります。
またバイクで群馬県側からブドウ峠や十石峠まで走って長野県側に抜けた事も何度かありますが、群馬県側から行くとホントに長い。この道は一体どこまで続くのかと思うほどの山奥です。
当時なぜもっと早く救助出来なかったのかとよく言われてましたが、そりゃ無理な話です。
お前、一度でも現地へ行った事があるのかと言いたいです。
現代のようにGPSがあり、墜落地点が特定されているのならまだしもかも知れないですが。
vt250z様。
2012年に現地を訪れた時は麓の駐車場まで舗装してあって、特に道が狭いとかの記憶はありません。
当時と今では道が違うだろうし、林道的な未舗装路がほとんどだったでしょう。
上野村の消防団の方々は現地のあたりがついていたようです。
彼らが普段どのような仕事をしていたのか知りませんが、現地を含む地形が頭に入っている方がいたのでしょうね。
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