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2009年08月12日 15:02山の思い出全体に公開

あの日の御巣鷹の尾根で 1985年8月12日

 520人が亡くなった日航機墜落事故から24年がたちました。あのときは朝日連峰の八久和川を遡行して下山し、帰京。その数日後に事故は起こりました。私は、当時、報道関係の仕事をしていたため、自宅に帰ったばかりのところを呼び出しを受け、墜落したとすれば現場は山岳地帯になった可能性が高いことから、とりあえず雨具と水筒、非常食にヘッドランプだけはバッグに放り込んで、再出勤しました。

 夜通し墜落現場の位置が二転三転するするなか、長野県側の北相木村に午前3時ごろ到着。未明に現場が三国岳の北数キロの群馬県側山腹と判明し、現地のスタッフの支援をうけて、林道を使って車で南相木村から御座山を東側から乗り越して三国峠へと抜けました。
 現場の位置から、踏み跡があるはずの稜線から入った方が早いという判断でした。群馬県側からも支局のメンバーや別行動の東京からの同僚らが、沢ルートで行動していました。三国峠で車のスタッフから行動食と飲料を受け取り、5時30分に出発。三国岳(1874メートル)を越えてすすみました。

 標高1900メートル前後のアップダウン。同僚のカメラマンと共に、当時はときどき切れ切れになるような踏み跡をほぼ稜線通しにたどりました。松本の陸上自衛隊の救助隊と前後しながらの行動でした。彼らはしばしば休憩して指示をあおぐため、途中からこの隊に先行し、御座山への尾根を分け、墜落現場から煙が昇る様子を見ながら、稜線をさらに北へ。煙が斜め下に見える位置から、枝沢を伝って現場へと下降しました。

 同行のカメラマンが途中で斜面を転げ落ち、なんとか止まりました。荷物を任せてもらい、さらに急斜面を下降、そしてトラバース。機体が焼ける匂い。青い煙がまだ薄く立ち昇るなか、後に「御巣鷹の尾根」と呼ばれることになった中腹の支尾根にたどりつきました。

 翼の1つが尾根を斜めに横断し、斜面の赤土を深く削り取って、横たわっていました。燃え残った車輪が逆立ちして、空を向いていました。機体らしいものはそれだけ。後は姿をとどめない破片と、なぎ倒された樹木があり、それらに衣類や紙やバックなど様々のものが絡み付いていました。その時点で、尾根には20人ほどの自衛隊員、報道陣、地元の消防団しかいませんでした。機体のうち胴体は北側の枝沢に転げ落ち、沢の斜面の立ち木は爆風を受けたようになぎ倒されていました。後の事故調査では、尾根に激突する直前、機体は時速600キロを超していたことがわかっています。

 午前11時すぎごろ、その谷底から「そーれ」という掛け声が大きく響いてきました。ハッピ姿の上野村など周辺町村の消防団の方々でした。人の手とロープとで縦につなぎあい支えられて、木の枝で組んだ担架が急斜面を上がってきたのです。助かった母子のうち母親でした。1つの担架を上げるのに30人近い人が手をつなぎ、声をかけあって、登ってきました。母親のその二の腕が生きている人の色だったのを見て、今までに感じたことのない感動を覚えたことを記憶しています。

 2番目にそのお子さん(小学生の女の子)が担ぎ上げられ、3番目に同行した家族で1人生き残った中学生の女子生徒(Kさん)が上げられ、最後にアシスタント・パーサーの女性が上がってきました。4人ともほとんど動く力もないように見えました。
 
 尾根は樹木がなぎ払われ、身を隠す場所がありません。機体などからの熱に加え、真夏の日差しが照りつけていました。1時間してようやく医師がヘリで降りたものの、救助体制に問題があり、4人を迎えるヘリがなかなかきません。ヘリの到着は、尾根に全員が上がってからさらに2時間後でした。地元消防団の奮闘とは異なり、生存者はいるはずがない、という態勢だったと、私は思いました。
 Kさんは大型ヘリに吊り上げられる際、一瞬のことでしたが目を大きく開いたのが印象に残っています。その後、事故で亡くなられた母親と同じく医療の道をすすんだように聞いています。見上げる消防隊員の方々も涙を流していた方もいました。

 油の燃えかすと土ぼこりと汗とで、私たちもぼろ屑のような姿になりました。520人が亡くなった尾根です。現場周辺で目にしたことは忘れてしまいたいようなことが多かった。でも、生存者がおり、あのようにして救助されたことが、心の一つの場所を満たしてくれていたように思います。上野村側から沢を伝ってひどく苦労して上がってきた支局のメンバーや別行動の東京からの同僚らと打ち合わせをし、午後4時すぎ、御巣鷹の尾根を出発。私たちはわずかの水を分け合いながら、三国岳へと登り返しました。

 (写真は三国岳からの往復ルート)
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コメント

RE: あの日の御巣鷹の尾根1985年8月12日
こんにちは。
あれから 24年ですか・・・当時大学生だった私は
アルバイトから家に帰ったら テレビが
日航機墜落事故 一色だったことを 覚えています。
いつもなら ニュースなどで取り上げられていたと思いますが 今年は地震などのせいか 
全く耳にしてません。私が印象に残っているのは
墜落していく 絶望的な状況で書かれた残される家族に宛てた遺書とそれを書くときの気持ちを考えると
今でも 胸が締め付けられます。 絶望的な状況で
自分は冷静に そのような行動ができるのだろうかと
考えさせられます。
2009/8/12 17:08
RE: あの日の御巣鷹の尾根1985年8月12日
tanigawaさん、あの時、現場にいらしたのですか。大変だったでしょうね。

このニュースを毎年聞く毎に「上を向いて歩こう」の歌とこの事故の数年前に亡くなった山友を思い出します。
2009/8/12 19:44
RE: あの日の御巣鷹の尾根1985年8月12日
 miccyanさんへ

>墜落していく 絶望的な状況で書かれた残される家族に宛てた遺書とそれを書くときの気持ちを考えると
今でも 胸が締め付けられます。

 当時、大学生だったんですね。たいへんなニュースだったですよね。

 人生がいまは80年平均とすると、たぶん相当な割合の方が、生死にかかわる体験をしたり出会ったりするというのが実際なのかもしれません。先日は東海地方の地震もありました。本番の大地震は、関東から四国まで数年のうちに3つ続けてやってくるような国が、日本ですからね。

 御巣鷹の尾根で、生存者を目の前で見たことは、私にとって忘れられない体験でした。
2009/8/12 20:43
RE: あの日の御巣鷹の尾根1985年8月12日
 wakaさんへ

>「上を向いて歩こう」の歌とこの事故の数年前に亡くなった山友を思い出します。

 乗客に坂本九さんがいたことは、下山してから知りました。wakaさんにもまた、忘れられない一連の出来事だったんですね。

 あのときは報道機関からはそれぞれ山にかかわるメンバーも入って、動いた様子でした。その一方で、通勤革靴で現場に来た人もいました。救出活動のなか、全体が気持ちを一つにするような、独特の時間がそこにありました。「クライマーズ・ハイ」は私は読んでませんが、地元紙の山好きな記者が実在のモデルですね。あのとき、その人も、同じ光景のなかで時間を送ったのでしょう。

 私自身は、山の体験、登山の経験というのは、別にこの体験だけでいうわけではありませんが、自分の社会観や仕事観、人生観にも、いろいろな下地になるものだと感じてきました。
2009/8/12 20:51
RE: あの日の御巣鷹の尾根で 1985年8月12日
こんばんは。tanigawaさんのヤマレコを毎日少しずつ見させてもらっています。色々な山行記録を興味深く見ているうちにこの日記を見て驚きました。
あのとき現場に行っていたんですね。

私はあの時、お盆休みで実家の秋田に帰ってのんびりしていた時、昼ごろのニュースで「日航機が富士山近くから長野か山梨の山の方に行った所で音信不通となり墜落した可能性がある」とのニュースから始まり夕方になると墜落したことが濃厚となり、夜になってからやっと「日航機、山中に墜落」報道となりどのチャンネルも深夜、明け方までず〜とこのニュースで次の日にはまだ煙の出ている御巣鷹山墜落現場の映像が映し出されたニュースが流れていました。
昼ごろ、その悲惨な現場の映像からいきなり生存者がいるニュースとなり焼け爛れた山肌から若い女性を救助の人が足ではさむようにヘリコプターに吊り上げられて救助される映像を今でも覚えています。たぶん日記に書かれているKさんだと思います。当時は何人が生存していたか明確に報道されなかったと記憶しています。
それと当時は何とも思っていませんでしたが、現場のTVレポーターはたしか背広姿だったと記憶しています。あの山の現場まで普段の格好で行ったのですかね、大変だったと思います。
とにかく大変な事件だったことは今でも鮮明に記憶しています。

*文章が思いつきの羅列ですみません。
2010/1/29 2:07
RE: あの日の御巣鷹の尾根で 1985年8月12日
 lizhijpさんへ。

 御巣鷹山の事故は、みなさん、忘れがたい出来事として、
思い出されているんですね。
 あの事故は、夜通しいろいろな情報が飛び交って、夜明け前
になってやっと、現場がほぼ確定されました。そのため、長
野、群馬、埼玉側
に夜間に入った取材の人びとも、一睡もせずに、駆けつけたまま
の姿で現場へ向かうことになったと思います。

 実はこの日記を昨年、書いたあと、年末近くになって映画「沈
まぬ太陽」を見ました。原作を読んでいなかったので、まったく
不意打ちでしたが、映画の出だしも、途中の段階でも、御巣鷹
山の事故が、この航空会社がかかえる問題の象徴的な出来事とし
て、繰り返しスクリーンに映し出されていました。

 現場の様子は、機体が沢に落ち込んだ地形など、ちょっと違って
いて、また、激突で斜面がえぐれ、赤土が広く露出していた様子
なども、再現できていませんでした。
 とはいえ、あの時の、言葉で伝える限界を超えるような景観が蘇って
きました。
 人の命を預かる航空会社としては、当時もその後も、根本的
な問題を抱えてきたと感じています。

 あのとき、駆けつけた記者は大半が普段着で、水さえ持たない
人が多かったと思います。私は稜線から下降するルート判断をし
て、短い時間で行動できましたが、そもそも沢ルートとして登ら
れてもいなかった沢を遡り、薮を登りあがってきた上野村の
消防団の方々や大半の記者は、登りはもちろん、下降でも、かなり
苦労したことを聞きました。
2010/1/31 20:18
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