八ッ場ダムサイトでは、これまで予想外に多くの遺跡が出土している。今回の報告は、その中でも縄文中期から後期初頭にかけての敷石住居の出た久々戸遺跡に関する発表で、大変興味深いもの。敷石住居自体はかなり多くの例があり、今ではそれほど珍しくなくなったが、かつては村長などの特別な人の住居とか、シャーマンのような祭祀をつかさどる人の住居、祭祀場所などとされたが、今では一般住居と見なされているようだ。ただ今回の久々戸遺跡では出てきたものは、石の大きさや残りが素晴らしく、しかも大型でほぼ未使用の緑色の石棒も出ている。、さらに他ではなかなか見られない壁などがきれいに出ており、今後建て替える長野原町役場の入口菜に復元移設される見通しらしい。
敷石に使われた石は安山岩系で、付近の山から運ばれたものとみられる。石棒は緑色片岩らしいが、これもかなり離れた場所から運ばれたと考えられ、こんなに大きく重い石をわざわざ運んできた縄文人の情熱が伝わってくる
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