写真2)オホーツク文化期熊注口頭木製槽
写真3)オホーツク文化期の銛頭・釣り針など
時間は30分くらい予定より伸びている。羅臼町郷土資料館は羅臼の中心地に向かう途中にあり、小学校の校舎を転用したものか?展示は立派で知床半島の羅臼側にある多くの遺跡の出土品を縄文時代からアイヌ文化期まで整理して展示してある。縄文時代、このあたりは北筒式土器文化圏の東のはずれで、なお青森と南北海道〜石狩の円筒土器圏と対峙していた。
続縄文時代もその延長ではあるのだが、東北北部の弥生土器の影響を受けているらしい。道東の続縄文前期は展示されている宇津内式土器が中心。オホーツク文化期には樺太などの北方から別の文化と人が南下してきたため、多くの土器が残されたが、知床羅臼側では少ないようだ。ここはオホーツク文化と本州の古墳古代文化の影響を受けた「擦文」文化の境界で、ポー川流域の遺跡と同様の特徴がある。その最大の特徴がトビニタイ文化で両方の文化の融合、オホーツク文化が故地の政治情勢=中国やその他の民族などとの関係で、本体が縮小して交易が閉ざされ、擦文文化に吸収されて、今日のアイヌ文化につながる新しい時代に入ったという。続縄文・擦文・オホーツク・トビニタイ文化・アイヌ文化期と2300年前頃から中世に至る文化と人の変遷を感じ取ることができた。
また松法川北岸遺跡からは7〜8世紀のオホーツク文化期とみられる住居跡から大量の木製品が出土、この時期の普通は残らない木製品が低湿地から出土し、実に貴重だ。260点の木製品その他の出土品は一括して重要文化財に指定されているようだ。
またこの地域の遺跡に混在する続縄文・擦文・オホーツク・トビニタイ文化期のそれぞれの骨角器(銛頭・釣り針・縫い針など)、土器、石器など)も多く展示されている。時間があればもっとじっくり見たかったが、今日は知床の遺跡や自然をざっと見る予定で、次の知床峠を目指して資料館を後にした。
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