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日記
7月13日(日)高麗の里「諫早直人氏の講演」
高麗民俗資料館から高麗の里に向かう途中のレストランで昼食をとる。沖縄出身の女性が出している自然食っぽいレストランで、野菜カレーと豆乳のアイスチャイを注文。汗だくの身体を休ませる。十二時過ぎに出発し、高麗の里に向かう。開場では、知った顔が数名おり、古代史に関する雑談をして、開場を待つ。諫早氏は、日本列島に渡来した馬に関する専門家で韓国語も堪能、韓国やユーラシアを股にかけた馬と古代史の探求者だ。戦後すぐに発表された江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説の再考から始まり、ここ数十年で出土資料が激増した朝鮮半島の資料と、中国王朝(前漢後漢)や五胡十六国時代の資料と韓半島の資料を日本列島の資料と突き合わせて江上氏の時代には分からなかった溝を埋める作業を話された。とは言っても誰がいつどのようにして馬を連れてきたのかを具体的に示すような考古資料も文献もあるわけでなく、それぞれの地域での出土遺物などを突き合わせて探るしかない。日本に来ている馬具などは、金官伽耶から来ている可能性が高く、それらは中国で、見られるものとは異なり、北方騎馬民族由来の可能性が高いようだ。本格的に馬が渡来した古墳時代中期、5世紀末から6世紀初頭にかけての国際情勢は高句麗の南下で緊迫しており、伽耶諸国や百済などが倭国を味方に付けるべく様々なものを送った中に馬もあった可能性が高いようだ。馬は輸送や人の移動、農耕作業革命を起こせる一方軍事物資でもあり、そう簡単に他国に渡すものではないらしい。そんな貴重な軍事物資を倭国に大量に作り届けたとしたらかなり切羽詰まった国際情勢の反映なのかもしれない。講演の後元群馬県立歴史博物館長の右島氏が河内湖周辺で始まった古代の馬匹が、程なく伊那谷や群馬の榛名山東麓などに移動した背景などについて語り、諫早氏と議論を少し掘り下げていった。チャリを5時までに返却する必要があり、閉会前に会場を後にして東飯能駅の先の自転車屋までチャリを返却する。思いのほかのぼりが多く電動でないので難儀した。大汗をかき、チャリを返却して、駅に向かい、コンビニでアイスを買って身体を冷やして帰宅の途についた。
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