大園遺跡に関しては、ほとんど予備知識はなかったが、弥生時代から古墳古代における地域社会と王権の関係を知るうえで重要な遺跡らしい。最初に展示解説にも登場した学芸員の三好玄氏が、大園遺跡の変遷と渡来人、須恵器生産流通、豪族居館、ミヤケとの関係の概要を解説、 次に兵庫県立考古博物館館長の菱田哲郎氏がコホリ以前のミヤケと地域形成過程に関して論じた。豪族居館とミヤケをどう考古学的に解釈するかは難問らしい。
文献では、ミヤケは5世紀頃から出てくるが、考古学者の中には5世紀のミヤケを否定する向きも多いらしい。ミヤケとは何かを考古学的に解釈するのも難しいようだが、王権に有益な様々な内容があると考え、のちの時代の駅家、王権のための水田、須恵器や埴輪生産、鍛冶などの手工業生産など、様々な王権に有益な場所を意味したのではないかと推定、また、面白いのは大園遺跡から出土する大量の飯蛸壺や土錘で、文献では、この海域は、王権のための漁労地域で、それ以外の漁労を禁じていることが記されている。地域の消費を越える蛸壺などの出土はこの地域が飯蛸などを王権に献上を義務付けられた地域と考えられる。名代子代も、特定王族に献ずる田畑を提供する人々を指し、こうしたことの積み重ねが王権を支える地域社会形成と見ることができるようだ。
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