上河内岳〜聖岳〜赤石岳☆追憶を辿る山旅


- GPS
- 25:01
- 距離
- 64.9km
- 登り
- 5,179m
- 下り
- 5,192m
コースタイム
- 山行
- 4:38
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 4:48
- 山行
- 11:10
- 休憩
- 0:59
- 合計
- 12:09
- 山行
- 7:40
- 休憩
- 0:23
- 合計
- 8:03
天候 | 一日目;晴れ 二日目;曇り 三日目;曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
https://www.city.shizuoka.lg.jp/000_004645.html |
写真
感想
今年は夏以降、何度も南アルプスへの山行を計画する。勿論、南アルプスは一泊二日は難しいので事前に休暇を予定するのだが、その度に天候が悪く、予定した休暇を返上するか、他の山域に山行先を変更するということを繰り返す。この週末はようやく晴天が期待出来そうであり、以前より幾度となくシミュレーションした計画を実行することにする。畑薙から上河内岳、聖岳、赤石岳と周回する山行計画である。このコースは今から35年前の夏、両親と妹と共に歩いた山行のコースである。
南アルプス南部に公共交通機関を使ってたどり着くには京都から延々と車を運転すると畑薙ダムを越えたところにある沼平の林道ゲートまでたどり着くことが出来る。下山後に京都まで一人で車を運転するにはこの南アルプスはあまりにも遠すぎるので、公共の交通機関を使ってアプローチしたいところである。しかし、一日一本の井川地区の自主運行バスが通じているのは畑薙ダムの4km手前の赤石温泉「白樺荘」までであり、ここから延々と林道を歩くことになる。沼平まではコースタイム上は丁度100分、およそ6kmの道のりが追加されることになる。
この井川地区のコミュニティ・バスに乗るためには静岡からしずてつジャストラインのバスを二本乗り継いで横沢に向かう必要があるのだが、このバスが静岡駅を出るのが平日は8時02分、京都から始発の新幹線が静岡駅に到着するのが8時09分、ギリギリ間に合わない。これ東京始発ののぞみに接続するのが前提であり、関西からの新幹線に接続するということは完全に想定外なのだろう。静岡で前泊する可能性も考慮したが、仕事の都合もあり京都を前日に出発することは難しい。バスに乗り継ぐためにタクシーを使うことにした。
【1日目】
静岡駅で新幹線を降りて、駅の構内にあるコンビニでこの日の行動食を調達するとすぐさまタクシー乗り場に向かうが、この時点で8時15分をまわっている。タクシーの運転手にバスの路線を説明し、バスを追い越してもらうことを依頼する。果たして15分ほど走ったところで前方を走る梅ヶ島温泉行きのバスが見えてきた。
タクシーがバスを追い越した次の停留所で停まってもらうが、すぐさまバスが来たかと思うと停まっているタクシーを避けてバスが先に行ってしまう。再びタクシーにバスを追い越してもらい、次の停留所でようやくバスに乗り継ぐことが出来た。
横沢に到着すると井川地区の自主運行バスが乗り継ぎを待っていた。ここは畑薙ダムからの夏季の登山バスが途中で休憩するところでもあり、綺麗なトイレがある。ここから白樺荘まで二時間以上のバス旅となる。勿論、乗客は私一人のみである。
井川ダムの湖畔、てしゃまんくの里で突然、前の車両に乗り換えるように言われる。てしゃまんくとは変わった名称であるが、井川の古い民話に登場する英雄のことで、手者万九と記すそうだ。
大井川に沿って狭い道を北上すると大型ダンプカーと頻繁にすれ違う。どうやらは畑薙ダムの方から来るようだ。運転手が最近、ダンプカーが多いと話される。リニアの工事は知事の許可が降りていないですよね」というと「リニアの工事が始まったらこんなものではないだろう」とのこと。
白樺荘に到着したのは予定時間を数分過ぎて12時前であった。宿の前の水道の栓をひねってペットボトルの一本を満たす。白樺荘でもペットボトルに水を入れて頂けるそうだが、一本百円である。白樺荘から登山口の畑薙大吊橋まで、コースタイム上は2時間20分。二年前に長男と池口岳から聖岳までテン泊縦走し、下山した畑薙大吊橋から白樺荘まで歩いた時はコースタイムをほとんど短縮出来なかったのだが、今回は荷物はテン泊縦走の時よりはかなり軽いはずだ。
まずは白樺荘から畑薙第一ダムまでは丁度4kmの道のりである。眼下の深い谷に畑薙第二ダムが湛えるミントグリーンの水を見ながら第一ダムを目指す。わずかに一つのダムを挟むだけで第一ダムの碧い水とはどうしてこれほどに水の色が違うのかと見るたびに不思議に思う。ここでも、やはり大型のダンプカーが何台も私を追い越してゆく。
畑薙第一ダムが近くにつれて、大井川の谷の彼方に岩鋒が見える。上河内岳だ。その左手には茶臼岳も姿を見せている。畑薙ダムを堰堤の上にたどり着くとダム湖の上にこれらの山々が並ぶ様は壮観だ。
堰堤の上では若い女性二人のバイカーが談笑している。登山でも若い女性の単独行者が多いことに驚くが、ツーリングの世界でも同様の現象が生じているのかもしれない。
沼平ゲートの前に登山者駐車場が設けられている。平日でもあり、登山者は少ないであろうと予想していたが、驚いたことに二つの駐車場に合わせて30台近くの車が停められている。ゲートを通り過ぎてまず驚いたのが林道が綺麗に舗装されていることである。林道上は舗装が完了したばりのアスファルトに特有のコールタールの匂いが鼻をつく。
道路脇の立て看板には「林道東俣線の道路改良工事を行っています」と記されているが、その施工者である東海フォレストの上に記されている発注者を見て驚く。JR東海中央新幹線推進本部とある。中央新幹線とはつまりリニアモーターカーのことだ。静岡県においてはリニアの工事は知事の認可が降りていない筈ではあるが、近い将来の知事の認可を見越して工事のための準備を着々と進めているようだ。
畑薙大吊橋までは白樺荘から1時間半弱、すなわち13時半前に到着する。これで茶臼小屋に明るいうちにたどり着ける可能性が出てきたと、少し安心する。畑薙大吊橋のたもとには工事関係者と思しき男性が立っており「歩行者通行禁止」と立て看板が出ている。どうやらこの先は工事のため歩行者は通行できないらしい。下山予定の椹島から林道が通行出来ないと困るが、日曜日は工事は休みだろう。
この大吊橋は一人でも吊り橋が大きく揺れるので緊張を強いられるところであるが、以前の家族の山行時は高所恐怖症の私の母親がこの吊り橋を渡ることが出来るかどうか、山行前から非常に心配していたことを思い出す。
吊橋を渡り、九十九折りの急登が終わるとヤレヤレ峠に向かって斜面のトラバース道が続く。斜面は急峻ではあるが、樹高の高い自然林が広がり、林相が美しいところだ。
ウソッコ沢の手前の水場でペットボトルの水を清水に入れ替える。ウソッコ沢の小屋は二年前に通った時には小屋の手前で黒いホースからふんだんに水が流れ出していた記憶がある。ここで水が汲めることを期待していたが、なぜかホースが見当たらない。
ここからはシラビソの樹林の中の九十九折の急登が続く。横窪峠に出ると、樹間から正面に大きく上河内岳が視界に飛び込んでくる。尾根から右手の斜面を下るとすぐに横窪沢の小屋に出る。ここで水が補給出来るものと期待していたが、小屋脇の水場の蛇口の栓は全て外されている。
展望ベンチにたどり着くと南側の展望が開け、依然、快晴が続いている。この分では茶臼小屋に到着してから、稜線から日没を見ることが期待出来そうだ。展望ベンチからは少し登るとすぐに水呑み場に到達する。糸のように細い流れではあったが、念のためここで全てのペットボトルを満タンにする。
樹林が低くなり、紅葉した低木が多くなったかと思うとすぐに森林限界を抜け出して、茶臼小屋が現れた。振り返ると雲の上に大きく富士山が見える。
小屋のすぐ近くに男性が一人おられる。稜線から急にガスが降ってきたかと思うと。急速に気温が低下するのが感じられる。
綺麗な小屋に入ると、通路を挟んでロフト形式になっているのだが、一階部分の反対側には二人分のシュラフが敷いてある。二人組が光岳への往復に出かけているらしいとのこと。単独行の男性は二階を使われていたので、一階の西側を一人で使わせて頂く。どうやら稜線からの日没は期待できなさそうだ。稜線に上がることは諦めて、早々に夕食の支度にとりかかる。
月が綺麗ですよと男性が教えて下さる。小屋の外に出てみると、富士山の上から黄橙色の満月が昇ってゆく。正確には前日の10/1が満月であったらしい。今月は10/31にも満月となるので、一月に二回満月が巡る月の二度目の満月をブルームーンという・・・ということを白樺荘に来るまでの井川町のバスの車内で流れていたラジオで知った。
シュラフの主達はなかなか小屋に帰ってこない。空はすっかり晴れている。万が一ヘッデンがなくてもこの月明かりがあれば十分に明るいだろう。シュラフに潜りこんで眠りかけたところで「ようやく帰ってきたようです、これで一件落着」と男性が教えて下さる。
【二日目】
明け方、目が覚めると周囲が明るい。西の空から月の光が枕元を明るく照らしているのだった。5時前に小屋を出る。東の空の端を背景に富士山のシルエットがくっきりと浮かび上がっている。
稜線に出ると足元は十分に明るく、すぐにヘッデンのライトは必要なくなった。明るいのは東の暁の光ようも西の空にの高いところに残っている月の光のおかげのように思われる。
上河内岳に向かってハイマツの間に広がる砂礫を辿る。登山道が稜線の西側をトラバース気味に下降すると再び樹林帯の中を通過して、二重山稜の間の広い草原に出る。正面に上河内岳を仰ぐこの草原は規模は小さいながらも景色の壮大さを感じさせてくれる魅力的な場所だ。
草原を抜けて左手(西側)の尾根に乗ると東の空が朝焼けに染まってゆく。富士山の上のあたりで雲に線状に明るく輝いているので、どうやら太陽が昇ったようだ。
竹内門が近づくにつれて富士山は上河内岳から東に伸びる稜線の肩に隠れてしまう。かつて歩いた時の記憶で竹内門をすぎるとすぐに上河内岳の肩にの分岐点に到着するような気がしていたが、それは大きな勘違いであった。竹内門を潜ると上河内岳の肩までは思いの他、時間を要する。竹内門の手前でご来光の瞬間を待っていればよかったと後悔するが、今日はまだまだ先が長い。
上河内岳の肩の手前で聖岳や背後の茶臼岳が朝陽に輝き始める。どうやら山の東側で朝陽が昇ったのだろう。西側の雲海の上に上河内岳の三角形のシルエットが写り始める。その彼方には朧げに恵那山のシルエットが見えている。
上河内岳の肩でリュックをデポすると山頂まで一気に登る。太陽はすでに富士山よりもかなり上に昇ってしまっていた。それでも、山頂からの光景は十分に素晴らしいものであった。北に聳える聖岳の森林限界の下では樹林が黄色く紅葉しており、壁のような岩肌と綺麗なコントラストを呈している。その手前では聖平小屋がかなり下に見えている。南には光岳へと伸びる稜線の先に一昨年に辿った加が森山、池口岳を認めることが出来る。
上河内岳を後にすると南岳に向かう。森林限界に入るまでは天空の稜線が続く。足元には松虫草が多く咲いている。まもなく一人の単独行の男性とすれ違う。昨晩は聖平小屋に泊まられたらしい。小屋には他にもう一人の男性がおられ、テントも一張あったらしい。
標高2700mのあたりで再び森林限界に入るというのは高度が高すぎるような気もするが、よくよく考えてみると最南端の3000m峰である。森林限界の標高が高いのは当たり前だろう。
まもなくもう一人の男性と出遭う。先程の男性が聖平小屋で一緒だったという方だろう。聖平小屋も水場の栓は閉められていたために、沢の水を汲んで煮沸したとの情報を教えて頂く。聖平への分岐にたどり着くが、聖平小屋で水が得られない以上、小屋に敢えて寄り道する理由はない。ズボンの下に履いていたタイツを脱ぐと早速、聖岳への登りに取り付く。
樹林帯の中で黄葉していたのは多くは白樺であった。白樺の黄葉に癒されながら急登を登る。森林限界を出て小聖岳から見上げると上の方から男性二人が降ってくるのが見えた。小聖岳から前聖岳の南斜面へのコルの手前で二人とすれ違う。一人の方は外国人であったが流暢な日本語を操る。テン泊の方々らしく、今日はこれから聖沢を降って畑薙に戻るとのこと。
この前聖岳との間のコルは登山道からわずかに西沢の源頭にトラバースしたところに水が湧いている。一昨年の夏の山行の時には連日の降雨のせいか水が袞々と湧き出していたのに比べるとこの日の水量はかなり少ないが、それでも時間をかけて全てのペットボトルを満たす。
聖岳の南斜面の九十九折の急登は唐突に終わり、突然なだらかな山頂広場に飛び出す。正面に大きく赤石岳が見える。山頂には小さな小屋が見える。近く見えるが、赤石岳との間には深い赤石谷が横たわっており、兎岳、中盛丸山、大沢岳と赤石谷の源流域を取り巻くピークを辿っていくことになる。その彼方には恵那山と中央アルプスの山々が見える。さらにその右手には穂高岳から槍ヶ岳への北アルプス南部の稜線が明瞭に見える。
時刻は9時を少し回ったところだ。まずは奥聖岳を訪れることにする。一昨年の夏に聖岳にたどり着いた時は山頂で激しく雨が降り出したため、奥聖岳を諦めたのだった。奥聖岳への吊尾根を辿ると、荒涼とした南斜面とは雰囲気が一転して、ハイマツの間に数多くの高山植物が見られ、その多くが赤く紅葉している。緋毛氈を敷いたかのように岩綾の間で一面に赤い色が広がっているのはチングルマの紅葉だろうか。
再び聖岳の山頂に戻るといよいよ赤石岳へのトレイルに踏み出す。最初は兎岳だがその最低鞍部が見えないほど深い。急下降を下り続けるがなかなか鞍部にたどり着く気配がない。聖岳の山頂からは低く見えた兎岳がみるみるうちに目の間に高く聳えるようになってゆく。
ふと足元をみると登山道の岩石がすべからく赤い。赤石岳の由来となった岩石だろう。キレットを通過して、兎岳への急登を登りかえす。振り返ると聖岳の西側斜面が荒々しい様相を見せている。
兎岳の山頂からは赤石岳の左手に荒川岳と塩見岳が姿を現す。これらの山々の
小兎岳へとハイマツ帯の展望尾根が続く。小兎岳の手前で東側の斜面への水場の案内が現れるが、聖岳への登りで十分に給水していたのでここはパスする。
中丸盛山への下降と登り返しが見えてくるが、先程の聖岳からの急下降とそのあとの兎岳への登り返しに比べればはるかに平和な道のりに思える。いつしか空には雲が広がり、青空はすっかり消えてしまった。幸いにも稜線に雲がかかる気配はないように思われるが、予断は許さない。
中丸盛山からは大沢岳を眺めると、その東斜面に広がる黄葉した白樺の樹林には百間洞にかけてのトラバース道が見える。トラバースの分岐から大沢岳のピークには登りは大したことがないように思われる。その西側に広がる北又沢の源頭を覗いてみたいと思ったこともあり、大沢岳に立ち寄ることにした。
昔の山行の記憶がほとんど残っていないのだが、聖岳を北斜面の姿は克明に脳裏に焼き付いている。聖岳を振り返ると目の前の光景が古い記憶にある映像とシンクロナイズする。記憶に残っていた映像はこのあたりから眺めたものであったことに気がつく。
大沢岳のピークで一息ついて、マフィンで軽いランチをとる。大沢岳の東斜面の下りはハイマツの急斜面をジグザグと降ってゆく。道は明瞭ではあるが地図に記されている通りゴーロが続き、極めて歩きにくい。下降するにつれて斜度がましてゆくで下降してゆく方向がわからない。谷が近づくと美しく紅葉した樹林帯が見えるようになり、その奥には百間洞のテント場が目に入る。
谷筋に降りるとすぐに沢音が聞こえる。水の音に導かれて谷を下ると、岩の下から滾々と湧き出す水を見出すことが出来た。マグカップでブドウを冷やすと十分に冷たくなった。谷の下には黄葉した白樺の谷間に抱かれるように百間洞の山の家の赤い屋根が見える。
百間平への登り返しを登る。すぐに黄葉した白樺の樹林は終わり、再び森林限界の上に抜ける。九十九折の登りが終わると文字通り、広い台地状の百間平の一角に飛び出す。南には聖岳、北側には荒川岳をみながら、なだらかな尾根を辿る。
雲が厚くなりつつあるせいだろう、徐々に薄暗くなり、風も冷たくなってきた。赤石岳の草木のない荒涼とした山容がますます険阻に思われる。赤石岳への最後の急斜面に取り付く。登山道は斜面をトラバース気味に登ってゆくので、意外と斜度はきつくはないのだが、長距離歩行の疲労のせいか、この日の午前中のようには足が上がらない。十分に17時前には到着するだろうという見込みもあって、コースタイムをほとんど短縮することなく赤石岳の山頂部にたどり着く。
山頂直下にある避難小屋が目に入る。山頂に目を向けると、驚いたことに一人の男性がおられる。避難小屋の前で男性と会う。鳥倉峠から来られて、この日は荒川小屋に泊まられるとのこと。男性とお話しているうちに悪沢岳を往復して来られたという若い単独行の男性が来られる。
この日はこの若い単独行の方と同宿になる。避難小屋の階段の下にはビールと酎ハイが水につけて冷やされている。ビールはプレミアム・モルツの500ml缶とアサヒのスーパードライ350ml缶だ。どうやらご自由にお飲み下さいとのことだ。鳥倉峠から来られた男性が賞味期限が今年の2月であることに気がつかれるが、勿論、山の上でそれを気にする者はいないだろう。
なんと小屋の中にはいくつかカップ麺もあり、これも自由に食べて良いとのことだった。入口にはタンクには満タンに水が用意されていた。広い避難小屋の室内にはシュラフや毛布まであり、至れり尽くせりである。
若い男性はモンベルでバイトをされている大学生であり、天理から原付ではるばる18時間、下道を運転して来られたとのこと。易老渡から入り、昨晩は兎平の避難小屋に泊まられたらしい。荷物の軽量化のために食料を大幅に減量されたとのことであり、私が夕食に調理したソーセージとマッシュルームの炒め物を半分、樽熟成の焼酎と共に分けて差し上げると大喜びであった。
避難小屋のシュラフをマットの代わりにして、毛布をかけて寝たので寒さを感じることはなかったが、夜通し小屋の外ではかなりの強風が吹いており、その音で幾度か睡眠が妨げられる。
昔泊まった赤石岳の避難小屋はプレハブ小屋であった。この小屋に泊まったのは聖岳からの山行ではなく、その前年にやはり家族と共に千枚岳、荒川岳を越えてきたのだった。赤石岳の手前から暴風雨となり、雨風を避けるためにこの避難小屋に泊まったことを思い出す。
【三日目】
若い学生さんは2時頃に出発していかれる。その後、軽く食事をして朝4時半に小屋の外に出ると相変わらず曇り空ではあるが、稜線にはまだ雲はかかっていない稜線はそれなりに風が強かったが、下山路に入り尾根から東側に下降すると風の影に入ったのだろう。途端に風がほとんど感じられなくなった。
東の方角には富士山が雲海の上に浮かび上がっている。樹林帯に入ると東の空が綺麗に色づいているが、写真に撮ることが出来るような展望が得られる場所がないままに東の空の彩りは急速に色褪せていく。
突然、視界が大きく開けた小ピークに達する。富士見平だ。地図に記されている通り、360度の展望が開ける。丁度、ここでご来光のタイミングとなるように小屋を出発してきたつもりであった。日の出の時間のはずであるが、東の空の富士山の傍らで空が一瞬、赤く煌めいたかと思うとその光はすぐにも雲の中に消えていった。
この日はここでタイツを脱ぎ、リュックの中に入れて顔を上げると、なんと先ほどまで明瞭に見えていた赤石岳を含め、一瞬のうちに視界の全てが白いガスの中に消えていた。富士見平からは再び樹林の中を下ると赤石小屋が樹間から見える。
赤石小屋から間違えて水場に下降してしまうが、水場ではホースの先から勢いよく水が流れ出ていた。再び小屋に戻るとシラビソの森の中を黙々と下る。
歩荷返しから少し降ったところで、単独行の男性と出会う。私のコースの逆周回の予定らしいが、トレランで日帰りの予定らしい。
椹島には丁度8時に到着する。ここからは白樺荘まで地図のコースタイムにして6時間半、約23kmの林道歩きだ。勿論、昔は椹島からは東海フォレストのバスに乗った筈だ。
林道を下ると外国人の三人組のパーティーとすれ違う。次に出会ったのは小さい子供二人を含む自転車乗りの家族連れだ。林道を歩く間に自転車に乗った単独行の男性が二組、後ろから追い越していかれる。一台は先ほど聖岳の登山口で見かけたものだった。
畑薙橋を渡って左岸に移動すると畑薙大吊橋まではあとわずかだ。広い河原に真新しい道が作られている。林道を歩き、青薙岳への登山口にたどり着くが、その先で林道が大崩落している。先程の河原の道はこの崩落地をバイパスするためのものであったことを理解する。
このあたり一帯が工事中のために歩行者は通行禁止となっていたのかもしれないが、日曜日のせいか工事は行われていないようだ。河原の道を歩いて崩落地をバイパスすると再び林道に復帰する。
途中で食事休憩をするつもりであったが、結局、少しでも早く白樺荘にゴールインしたくて、一気に白樺荘まで歩くことにする。結局、白樺荘には4時間半かかって、12時半過ぎに到着する。
白樺荘に到着すると食堂は大勢の人で賑わっている。まずは温泉に入ることにする。硫黄泉でありながら、ぬるっとした滑りを感じる温泉はなんとも心地よい。露天風呂からは正面の茶臼岳が時折、雲の下から山頂が覗く。温泉から上がっても食堂には多くの客がいる。そばとムカゴ、そしてビールを頂いた。
白樺荘発14時40分のバスに乗り込むと、運転手が「お帰りなさい」と云う。初日に乗った横沢からのバスの運転手であった。バスが白樺荘を出発すると早々に眠りに落ちていくのだった。京都の自宅までは6時間半ほどかかる長い帰路となる。
昔を振り返ると、当時の私は反抗期がきつく父親とは家ではほとんど会話がない状態であった。妹も母親と折り合いが悪く、頻繁に大喧嘩を繰り返す。しかし、家族での山行となると不思議と家族としての纏りを感じるのだった。その後、それが如何に大切で貴重な機会であったかに気がついた時には全てが遅すぎた。この南アルプスの山行は家族が揃って出かけた最後の旅となるのであった。
コメント
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おはようございます。静かな南アルプスの山旅、じっくりと読ませていただきました。しんとした南アルプスや美しいご来光、富士山から登る幻想的なお月さま、そんな中での追憶。気がついたら「南アルプス行きたいなあ」と口に出していました。アルプスはそろそろ微妙な時期ですが、機会を見つけて行けたらなあと思います。レコ、ありがとうございました。
greenriverさん お久しぶりです コメント有難うございます
先週末はgreenriverさんは北アルプス南部を大縦走しておられたのですね。今回greenriverさんが行かれたルートも昔、父親に連れられて何度が歩いたところで、多くの思い出があるところです。
今年はコロナのせいもあるのかまさに静寂の南アルプスでした。greenriverさんが行かれるとまた壮大なコースを歩かれることになりそうですね。
greenriverさんの南アルプスのレコ、楽しみにしています。
yamaneko0922さん、おはようございます。
これぞ南ア!というような素晴らしい山行ですね。
美しい写真の数々や、情景が浮かんでくるような感想、自分もいつかこんな山行がしてみたいです。
自分はまだ日帰り専門ですが、そろそろ小屋泊くらいはできるようになりたいな〜なんて思いました。
P.S.
自分の今のプロフ写真は、昨年のちょうど今頃、上河内岳に登ったときに山頂で撮った写真です。
MonsieurKudoさん コメント有難うございます
昨年の上河内岳への日帰りピストンの壮絶なレコ拝見いたしました。Monsieur Kudoさんの日帰りの山行はそれはそれで感動に満ちていますね。その後、骨折された薬指は問題なく快復されたのでしょうね。
御謙遜を・・・詳細な情報の盛り込まれたレコに驚嘆することになりました。お陰様で私の山行で出会った多くの花々の名前を知ることが出来て感謝しております。
山猫さん、こんにちは。
アプローチの詳しいご説明も参考になります。京都から遠いですよね。高速降りてからがほんと遠い。中央道から下栗へのアプローチの方が近いように感じましたが、林道の通行止めもあり易老渡までが遠くなりましたからあまり変わらないですかね。
色々とプランも作って、自転車を利用するプランを考えたりもしておりました。畑薙大吊橋が渡りたくて頭を捻りましたが、私の足では明け方前に渡らないと行程上無理なんで意味がないわとか。山猫さんの強脚ではこの時間から茶臼小屋へ上がることができるんですね。さすがでございます。
南アルプスの雄大さを感じられる綺麗な写真を堪能できましたし、タクシーでバスを追っかける話も楽しめました。いろんな方との出会い話も。
ののさん コメント有難うございます。
車でアプローチ出来るのであれば、自転車を積んで林道を。レコにも書きましたように林道のサイクリングのために来られているファミリーもいるぐらいですので、自転車で走るのも楽しいところだと思いますので、ののさんには楽しいところかと思います。
しかし、京都からだと車でアプローチ出来る範囲をこえているように思われます。少なくとももう一人、車が運転できる同行者がいれば話は別だと思いますが、いつの間にか一人で長距離を運転できる齢ではなくなったことを痛感します。
今回は自分の過去の山行におけるコースタイムなどを含めて、いろいろとシミュレーション致しました。実は荷物を大幅に軽量化して、30リットルのリュックで望んでいるのです。ガスストーブとも決別したのは大きかったと思います。ののさんも100均で購入された固形燃料とEsbitにしたところでかなりコンパクトかつ軽量化が図られました。
長い文章にお付き合い下さり、どうも有難うございました。
ヤマネコさん、こんにちは。
初め、通常どおり写真とレココメを拝見することから進めていったのですが、これはどうやら先に長編小説を読んだ方が良さそうだぞ、と思い情景を目に浮かべながら素敵な文章に引き込まれてゆきました。
のちに改めて写真を拝見すると感想欄の内容にリンクした形で南アルプスの峰々そのものの素晴らしさ、空や雲や太陽や光や、富士や花や樹々や紅葉の美しさが目に飛び込んできて感動が倍増しました。
そして何よりも、最終の一段落に記載されたご家族との山での思い出、ご両親への想いに胸を打たれました。
ヤマネコさんの山へのスタンス、そしてご家族を愛されていることの起源が此処にあるように感じました。
素晴らしいレコを、ありがとうございました。
ウリさん まず長文駄文に最後までお付き合い下さり有難うございます。
父親に対して中高時代、かなり反抗心が強かった自分ではありますが、今になって振り返ってみるといつの間にか父親の登山のスタイルを踏襲しようとしているような気がします。家族揃っての山行では無理はしていなかったと思いますが、当時としてはかなりのロングコースを早朝から夕方まで、それもハイスピードで縦走するといった山行をよくしていたのでした。小学生の頃からそれが当たり前だと思っていたので、ワンゲルに入ってから先輩達と考え方が合わなかったのでした。
赤石岳からは家族で千枚から荒川三山を経て訪れており、その時も赤石岳から大倉尾根を下ったのでした。今回のこのルートは歩きながら様々な思いが去来し、辛く思えることもあったのですが、登山者が少ない時期に一人で孤独に歩くことが出来て良かったと思います。
家族と一緒にいられる時間はやはり貴重ですが、そう思えるのは過ぎ去ってからなのだと思います。ウリさんも同様のことを感じないることはないでしょうか・・・また近々お会いする機会があるでしょうし、レス返のお気遣いは不要です。
興味深く読ませていただきました。
南アルプス
以前に娘夫婦が甲府に在住していて4年前に福岡へ転勤、それまでは年に二回ほどは孫の顔を見がてら甲府を訪れていました。
私が山登りを始めたのは歩き遍路がキッカケで5年前から、今から思えばもう少し早く山登りを始めていたら、甲府を起点に南アルプスも行けたのにと残念がっています。(笑)
でも甲府最後の1年は、お陰で大菩薩嶺と瑞牆山に行くことが出来ました。
いつも思うにヤマネコさんの紀行文のような感想、今回はPCに感想と写真の2画面立ち上げて、写真を見ながら、自分では行く事の出来ない山旅を楽しみ興味深く読ませていただきました。
ありがとうございました。
今回の山旅、ご家族との色々な思い出に浸り蘇ってきたことと思います。
ご家族で揃っての山行の貴重な時間、ご両親は分かっていて幸せだったと思いますよ。
>・・・・気がついた時には全てが遅すぎた。
私なんかこの年になり振り返ってみると反省することばかりです。(笑)
長文にお付き合い下さり、お礼を申し上げるのはこちらです。
お孫さんが甲府から福岡に来られたのですね。松山からであればフェリーを使えばそう遠くないところでしょうから、sea1020さんには嬉しいですね。
甲府は遠くて大変だったのではないでしょうか。でもお孫さんのお顔を見るついでに大菩薩嶺や瑞牆山とは充足度の高い旅になったことでしょうね。
>私なんか・・・
私もこれからさらに増えることでしょう
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