![]() |
![]() |
![]() |
依頼を受け、情報収集、計画を立てて、捜索開始。遭難者の捜索がどのようにして行われるか、また、残された家族の心情は。といったことが主であって、この人はこんなだから遭難したんだ等と、遭難者の行動や計画を揶揄するような不毛な記述はありません。平易な文体で書かれているので、読みづらさは無い。
実際の遭難事例を通して見えてくるのは、遭難するきっかけは、たいがい些細な事である点。徐々に取り返しのつかない方向へと誘い込まれ、致命的な状況に陥ってしまう。どの段階で気づけるかが、重要。具体的な遭難予防策を、あれやこれやと書いてはいないけども、読み進めれば、何が重要なことか自然と分かるようになっている。登山をはじめて日が浅い方は、実用性という点では、登山入門書より、こちらを読んだほうが役に立つと思う。
実際に先日、私が登った毛無岩であった事例。沢コースにつけられた、ある看板。明らかに矢印が指し示す方向が進路とは真逆を向いていた。つまり、自分が歩いてきた登山口へ向かって、矢印が向いていた。全ての登山者が、間違いに気づくだろうか。中には、矢印が登山口ではなく、山肌を登って尾根に出るように案内してると判断する人もいるかもしれない。本書で紹介されている秩父槍ヶ岳での遭難事例は、この矢印の向きが遭難の原因ではなかったかと推測されている。木に括り付けられているだけで、風で看板の向きが変わり、矢印の方向が変わっていたのではないかと。看板が間違ってるわけがない。いや、この看板が間違っている。どう判断するかが、運命の分かれ道。
写真・右の看板は、実際に毛無岩の沢コースに取り付けられている看板。矢印が山頂とは逆を向いてます。木に打ち付けられているので、そう簡単に向きが変わるわけがない。設置場所からすると、本来は矢印は左に向かないといけない。元々が間違えて設置したのか、誰かが後日、誤った方向に矢印を書き加えたのか。知る由もない。
1つだけ気になったのは。どの事例も公的機関による捜索が打ち切られた後にスタートして遭難者を発見しているけども、これだと、まるで公的機関による捜索が機能していないような印象を受けた。見つかろうが見つかるまいが、一定期間経過したら終わりと、無機質な印象を受ける。実際のところ、よほど遭難者が特異な行動をとらない限り、公的機関によって発見解決されているのがほとんど。その特異な行動により、捜索範囲が広大になり、公的機関による限られた捜索日数では発見できなかった場合が、本書で紹介されている事例となっています。
▼警察庁による令和3年度の山岳遭難件数統計
https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/chiiki/r03sangakusounan_gaikyou.pdf
遭難者 3075人
うち 死者 255人
行方不明者 28人
負傷者 1157人
無事救助 1635人
行方不明者28人とは、全体の0.9%。年によって多少の増減はあるものの、数字が大きく変わることはない。つまり、遭難者の99%が、公的機関による捜索で早期発見されていることになる。という事実を、巻末にでも載せておいてほしかったですね。山で遭難したら絶望的なまでに発見されずに、残された家族には莫大な捜索費用がのしかかってくるかのような印象を与えかねないですから。
実際に十数年間、公的機関で捜索に携わった人に話を聞いたことがあります。十数年間でどうしても発見できなかったのは、1名だけだそうです。その方以外は、生存その他も含めて、全て発見したとのことでした。