写真2)東北の弥生人骨(岩手県アバクチ洞窟遺跡)
写真3)西北九州の弥生人は縄文的な人骨と弥生的人骨の混合
上野の科学博物館の企画展「砂丘に眠る弥生人ー土井ヶ浜遺跡の半世紀」とその関連講演会のために上野に出かけた。まず日本館の企画展を見る。前日のNHKのサイエンスゼロでは同博物館の人類研究部長の篠田氏が弥生時代人のDNA解析から土井ヶ浜でなく青谷上寺地遺跡出土人骨のDNA解析結果を取り上げ、これら地の骨から抽出したDNAのタイプを比較するとそれまでの縄文人タイプとは全く異なり、ほとんど直接丹陸〜半島からやってきた渡来系のDNAを持つ人々だったという。青谷上寺地遺跡は集落として800年くらいの長期間存在したが、これらの人骨は年代測定の結果、2〜3世紀のもので、もともと地元にいた人々とは異なる海の向こうからの渡来者だったらしい。
一方土井ヶ浜の場合、弥生時代前期から中期(2300年〜2000年前)の墓地から300体を超える大量の人骨が出た。歴博の山田氏によれば彼らは大陸から直接来たのではなく、共伴する土器などからすると北部九州からやってきた人々で、頭骨の形態などから渡来系の人々の可能性が高いようだ。おそらくはすでに混血していると思われる。
一方、展示にもあるが西北九州(佐賀県、長崎県など)の人骨では縄文系の形質を持つ人骨がよく見られ、混血が進展している形跡を示す人骨もある。さらに南西九州の場合、展示にある種子島出土人骨では、渡来系ではなく、縄文系とも少し異なる特異な形態を示しているという。
講演では自然人類学で骨の研究者の坂上氏と人類研究部長の篠田氏が話された。
日本人の起源と成り立ちはどのようなものかは、古くから議論されてきた問題で、進化説や渡来説など様々な学説が戦わされた。典型的な縄文人と弥生人骨が異なるとしても、それは遺伝的なものか、環境的なものかは簡単には言えない。人骨の出土状況、考古遺物との突合せと検討を経て初めて議論ができるはずだが、今回のDNA解析の結果(まだ途上だが)、渡来人といっても弥生早期の場合と青谷上寺地人骨のように弥生中期に渡来した人々、さらに古墳時代などの朝鮮半島の騒乱で大量に列島に流入した人々など、単純ではない。また北海道ではオホーツクの北方民族の流入と列島の古墳・古代人らの影響などが絡まって現生アイヌ民族が成立しており、複雑な在地トライ人の混血、文化の混合の信仰があったと思われ、まだまだ日本人の成り立ちの問題は解明すべき課題が山積みということらしい。
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