東京大学や大名屋敷跡の真砂遺跡などから出土する江戸時代の土器・陶磁器からは煤の付いたものが出てくる。これは多くの場合、明かりに使った皿などである。講師て出土するものは「明かり」のパーツであり、現代の照明器具でいうと電球にあたる。土器、陶磁器の中でも特に多いのは、明かりに使う皿とともに、徳利らしい。とりわけ貧乏徳利と呼ばれる、酒屋にもっていって、酒をつけで買う徳利だ。この時代、すでに毎日毎晩お酒を飲んでいる人がかなりいたということらしい。記録も残っているようだ。全国各地に酒造がたくさん作られ、原料の酒米も作られたということのようだ。長い平和のなせるワザか??
1)灯油を使うあかり: 江戸時代の明かりの多くは「灯油」を使うものだ。
「灯台」「行燈」(=「角行灯」「遠州行灯」「書見行灯」「掛行灯」「手行灯」「枕行灯」など)、短檠(茶の湯に使うあかり)、八間(遊郭など天井から吊るす明かり)、・瓦灯(上が細くしたが大きい灯台)、「灯篭」など
構成要素:A:灯火器、打蓋、灯火皿と受け皿、と秉燭(ひょうそく=油皿の一種。中央に臍(ほぞ)のようなものがあり、それに灯心を立てて点火するもの。)
B:火を維持する道具:灯心、灯心立、油容器、油さし、油徳利、油皿など
2)蝋燭を使う明かり:「燭台」「掛燭台」「きったて」「手燭(雪洞手燭、面明かり)」「雪洞提灯」ガントウ」
3)兼用照明器具:雪洞型行灯、灯台兼用燭台、などなど
最初に、灯油を燃やす皿などに関して、多くは土器に釉をかけて焼いたものが多いそうだ。中にはより高価な陶磁器を使ったものもあるようだ。この灯火皿は二枚重ねて使ったようだ。灯油(身分の高いもの、金持ちは菜種油、安物は魚油⁼イワシ油など)が高価なので、大事に使うためにこぼさないよう二重の皿で、残りをまた使えるようにしていた。灯火皿は様々な遺跡から(鎌倉時代のものもある)出土するが、信楽焼や京焼など様々な土器、陶磁器が使われていたようだ)。蝋燭を乗せる秉燭(ひょうだい)の原型はオランダらしいが詳細は不明だ。
様々な明かりやその部品の出土品が次々にスライドで写し出される。案外知っているようで知らないことが多い。ただし、光は弱いので、夜遅くまで本を読むなどと言うことは、あまりないようだ。障子紙を照明器具に張ると、光の反射でより明るく感じるが、それで毛では本を読むのには大変だ。幕末になると、ガラス、レンズを使って、光を強化するような仕組みを作り、書見灯台が作られたようだ。夜なべで勉強するにもお金がかかる時代だった。
その一方、浮世絵に見る八間は今日見る天井燈にそっくりだ。電球の部分が灯火皿だった以外はそっくりだ。こうしたものは吉原などで使われたようだ。
火打石は石は江戸の場合、水戸の北にある石が使われ、それを金属に打ち付けて火花を発し、その火花をガマなどの繊維に写し、さらに硫黄を塗った木片に移して(マッチのようなもの)、油などに移したようだ。火打石は比較的簡単だが、縄文など摩擦で火をおこすのは大変だ。これはよほど年期が入らないと簡単には火がつかないー。火をおこすのも容易ではない。だが江戸時代、こうした火起こしが火事の原因になったことは容易に想像できる。火事と喧嘩は江戸の華とはよくいったものだ。
明治に入るとガス灯が出てくるが、ガス灯に見えて、江戸と同じように灯油を燃やしているものも少なくなかったらしい。明治の浮世絵にも残っている。
江戸の明かりーー知っているようで知らないことの多い分野だった。考古学の重要性を感じ取れる内容だった。
写真1:発掘出土品
写真2:携帯用枕と明かり
写真3:火打道具
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