何十年も前の資料ですが、山はほとんど変わっていないと思いますので、それなりに役にたつと思います。けれど実際、そのバリエーションルートに出かける方は最新の情報を入手してから行く必要があります。槍ヶ岳の北鎌尾根は私が行った頃は湯俣から入って千天出合いから登りましたが、今は大天井岳から貧乏沢を下って取り付くルートがメインになっている、ということなどもあります。
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日記
何十年も前の本ですが、白水社の「日本登山体系」全10巻と「岳人事典」「日本山岳文学史」を山の会に寄贈しました。「日本登山体系」はバリエーションルートを集大成した全集です。私はもう参照することはないので山の会のみなさんの参考にでもなればと思っています。
何十年も前の資料ですが、山はほとんど変わっていないと思いますので、それなりに役にたつと思います。けれど実際、そのバリエーションルートに出かける方は最新の情報を入手してから行く必要があります。槍ヶ岳の北鎌尾根は私が行った頃は湯俣から入って千天出合いから登りましたが、今は大天井岳から貧乏沢を下って取り付くルートがメインになっている、ということなどもあります。
日本登山体系
何十年も前の資料ですが、山はほとんど変わっていないと思いますので、それなりに役にたつと思います。けれど実際、そのバリエーションルートに出かける方は最新の情報を入手してから行く必要があります。槍ヶ岳の北鎌尾根は私が行った頃は湯俣から入って千天出合いから登りましたが、今は大天井岳から貧乏沢を下って取り付くルートがメインになっている、ということなどもあります。
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おはようございます
いつも授業の事などを記されておられるので、あまりクリックしなかったのですが(^^;
以前のお話でも記していただけないでしょうか・・
>槍ヶ岳の北鎌尾根は私が行った頃は湯俣から入って千天出合いから登りましたが
こういった経緯などは、たいへん参考になりますし、いざという時のエスケープにもなり得るやもしれません。
是非、折を見て後世に残しておいてください
でわでわ
わかさん
もう参照することはないとはさびしい限り!ですが、まあみんながみられる方がよいでしょうね。
私は、一昨年北日本から本州中央部に帰ってきたら、俄然登山体系を開く回数が増えました。アプローチに、車ではなく電車やバスの便がかなり書いてあるのが時代らしいですね。林道などはその後さらに伸びて、またそれが崩壊放置されて、とふた時代めぐっています。
沢ルートなどは滝の規模や位置などかなり変わっていて、それがまた面白いです。この本は最近のガイド情報みたいに書きすぎていないところが良いです。あんまり調べつくしてバリエーションに行くのはつまらないことです。
こんな極悪沢からこんなショボいルートにも登ってみた人がいるのだ、と山全体を知るのにいまだに飽きない本です。初登者の名前、かつての山岳会の努力など書いてあって、登った後にももう一回読むと、先人の気持ちがじんじん伝わります。
ウエダさん、
北鎌尾根などバリエーションルートは記録も写真もありませんが、山の会の記録はあるかと思いますので、そのうち転載してみます。
ヨネヤマさん、
ヨネヤマさんも日本登山体系お持ちでしたか。年とともに体力もバランスも衰えてきましたので無理はせず、夏も冬もハイキングレベルにしてます。あと20年位は元気にハイキングをしていたいですね。
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