徳山湖から揖斐、根尾、本巣、武儀川、梅原…と、
私の住む関市を通過して坂祝可児まで濃尾地震の断層が連なっている。
( 昨日の「危険と隣り合わせ」の続きです。)
( 地質学的な地殻変動のスケールから見れば、ダムの堰堤の強度など、
人間がどれだけの事象を想定して計算したところで、
わずかなものでしかありません。)
図1: 徳山ダム(左)と揖斐川断層(右)
( 私の住んでいる団地から南は、各務原アルプスの山があって、
その境にある迫間では、濃尾地震で家屋の90%が崩壊したとの記録がある。
参考:岐阜県のホームページより 災害アーカイブ > 濃尾地震(明治24年)
https://www.pref.gifu.lg.jp/page/5980.html
『 明治24年(1891年)10月28日午前6時37分、
岐阜県美濃地方、愛知県尾張地方を突然猛烈な地震がおそった。
最初は上下、水平方向への動きとともに、北、南へ揺れていたが、
いきなり大きな烈震となり、岐阜地方気象台の地震計の針は振り切れてしまった。
31日までの4日間に、烈震4回、強震40回、弱震660回、微震1回、鳴動15回、合計720回を数えた。
その後も余震は絶えなかった。
震源地は本巣郡根尾谷(現本巣市根尾)。
地震のエネルギーはマグニチュード8.0、世界でも最大級の内陸直下型地震であった。
あの記憶に生々しい阪神・淡路大震災(1995年1月17日)がマグニチュード7.2、
関東大震災(1923年)が同じく7.9であったことを思うと、
いかに大規模な地震であったかが分かる。』
・ これらは、今からわずか133年前、地質学的感覚でいえば、昔の話しではない。
・ 「頭でっかち」の地図遊びでしかありませんが、
図右上に震源地の能郷谷からの根尾谷断層に、
斜めに交差するように徳山ダムからの、揖斐川断層、武儀川断層、梅原断層が、関市までの50kmを直線的に貫いている。
北東に向かって、美山を超え、黒津断層、オリ谷断層、赤石断層等、板取方面にむかって散在する。
この地域は、鈴鹿から北上して隆起移動してくる山体が、
大きく東へ向きを変え、東に大きく押し寄せながら、
南の濃尾平野に向かって崩れていく、
この山体の方向転換しているところが、
断層が斜めに交差している奥美濃の地域です。
( 参考:図3: 濃尾平野周辺の山(川)と断層 )
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