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2018年04月08日 11:29お花見全体に公開

3月31日(土)津久井城山とカタクリの里と磨研土器

現在コンピュータが故障中で今は新しいPC で日記を作成、以前のPCに写真が入っており、カメラに残った写真だけ掲載
写真1)カタクリの里のイワウチワ(これだけなぜかカメラに残った)
写真2)花の苑地ならぬ自宅付近の桜(花の苑地の写真は現在PC故障のため、ダウンロードできず)
夏のような気温が続きサクラも一気に開花、カタクリの里もピークを過ぎてしまうので慌てて出かけてみた。朝食を済ませて百円ローソンの二百円弁当を購入し小田急永山で京王線に乗り換え橋本駅下車、バス停に向かう。カタクリの里シャトルバスの長蛇の列を見てプランを変え、先に城山に向かおうとプレジャーフォレスト行きバスに乗るが、カタクリの里行きバスがもう1台臨時が出るので慌てて乗り換えて先にカタクリの里に向かう。二台目のバスはさほど混んでおらず、カタクリ園も思ったほど混んでいなかった。園内に入る前に入口手前の湿地にエンコン草やシロガネソウなどがあるというので立ち寄る。エンコンソウはキンポウゲ科のエゾリュウキンカの近縁種らしい。リュウキンカは雪解けの直後に出てくる花で尾瀬や東北の山々などでよく見かける。シロガネソウは初めて見たが、これもキンポウゲ科の花で山梨や東海地方の山間にみられるようだが、写真はがくが赤く日本海側にみられる「アズマシロカネソウ」のように見える。いずれもこのあたりに自生する花ではなさそう。
 園内に入ると、この気温上昇でカタクリは一気に開花し、ピークは過ぎてしまった。良い状態の花はわずかだ。しかしながらアケボノツツジやヒカゲツツジ、ミツバツツジなどツツジ科の花は真っ盛りで桃の花などはものすごい色彩のシンフォニーという感じ。やはり一見の価値はある。園内の道を登っていくと黄花カタクリは咲き始め、シラネアオイまで咲いている。さすがに本来、本州では高山の雪解け後に出てくる日本を代表する固有種だが、平地で育てると花は小さい。雪解け水がないのか、土が違うのかーーいずれにせよ、ここまで育て上げたオーナーの努力には頭が下がる。

 花を十分に楽しみ、次の目標、津久井湖城山に向かう。ハイカーのグループが先を歩くが、皆、峯薬師から高尾方面に向かうハイカーで、私は途中から失礼して津久井湖方面に向かう。津久井湖まで歩くのは初めてなので途中で近道をしようとして道に迷い、かえって遠回りとなるのはよくある話。地形や地図を良く見なかった罰だ。途中で気が付き、方向転換して結局のところ、急な崖につけられた簡易舗装の道を津久井湖方向に下って、バス通りに出る。カタクリの里と津久井湖の意外な標高差が頭に入っていなかったため、意外に手間取って、なんとか城山ダムを通過、花の園地にたどり着く。ここはまさに満開か、散りはじめ。個々の園地の桜のピークに初めてやってきた。いつも早すぎたり遅すぎたりーー。ここまで足を延ばして正解だった。ゆっくり撮影しながら、花の園地の一番上まで登り、まだ時間にゆとりがあるとみて、城山山頂に向かう。久しぶりなのと、いつもは、管理事務所か諏訪神社のほうから上るが、花の園地はいつも下りに使っていた。しばらく進むといくつか分岐があり、山頂への近道らしい方向を選んでいくと、ついに女坂とわかる分岐に出る。ようやく現在地が明瞭となり、時間が切迫する中で山頂へ急ぐ。飯縄神社からくる道との合流点を右折し、なんとか12時過ぎに城山の山頂(本城曲輪)に到着し、急いでお弁当を食べる。山頂の桜もすでに散りはじめ、葉桜になりつつある。桜の木の下ではには女性ハイカーが昼食休憩していた。少しゆっくりしすぎて池袋での次の予定に送れそうになり、あわてて下山、すかし予定を大幅に過ぎて1時前にようやく花の苑地に下り、次のバスで橋本駅に戻り、池袋に向かう。14時40分からのオリエント博物館の「磨研土器」の見所解説には5分以上遅れて到着し、何とか後半の解説に間に合う。古代、先史時代の西アジアでは土器は日本より遅れて現れるが、これは当初土器を必要としない生活だったと考えられる。縄文時代には海産物やドングリ堅果類の煮炊きなどで土器を必要としたが、西アジアでは煮炊きよりパンのようなものを焼くなど土器がなくとも暮らしが立った。西アジアの最古の土器は紀元前7千年=9千年前ころ、日本では1万5千年前ころと考えられている。しかし西アジアでは土器が出現すると急速に土器製作技術が進化し、磨研土器などもすぐ現れたらしい。紀元前3千年前後の磨研土器は祭祀用など特別の用途であるらしいが、初期の磨研土器は展示用の説明文では、特別な用途ではないような記述もある。また彩文土器は今回の見所解説の範囲ではなかったが、6千年前くらい、メソポタミアのウバイド期に現れるようだが、中国のヤンシャオ時代のほうがやや古く、どちらが影響を与えたかわかっていないらしい。見所解説の後、学芸員さんと少し話をして帰宅した。
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