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まずふるさと歴史記念館を目指すがGoogleマップがうまく機能せず縄文橋をわたる近道を分からず遠回りの山道に入った。すると合掌造りの下呂温泉合掌村の裏に出てどうすれば目的地に向かうのか分からなくなる。地図をよく見ればよかったのだがGoogleに頼りすぎた。分からずに一旦下って広い道に出て、再度Googleが左折するように指示し、大回りして何とかふるさと歴史記念館に出た。
入口に下呂石が置いてあり、サヌカイト同様金属的な音が出るので石琴や風鈴が置いてあり、風鈴を鳴らすと綺麗な音が出た。下呂石はこの付近にある湯ヶ峰で露頭が発見された「湯ヶ峰流紋岩」で、考古関係者の間ではよく知られた石材だ。今回は時間がないので湯ヶ峰の露頭までいくチャンスはないが、これを機会に少し勉強してみようかと思う。サヌカイト(同じ流紋岩の系統でガラス質で固く金属的な音が出る。)奈良と大阪の県境の二上山や四国の国分台や五色台などの産地資料館などな足を運んだことが何回かある。下呂石をじっくり見たことはなかったのでなるほどと思った。
またミネラル一合遺跡は記念館の敷地内の公園のなかに復元住居などが建てられている。復元はカヤを使ったやや古いコンセプトで作られているが、この遺跡は縄文前期を主体とするいせきで、飛騨高山地方で、最初に住居跡が明確に検出された最初の遺跡だったようだ。その意味でもとても貴重な遺跡のようだ。また、1968ねんなは、竪穴じゅうきょから「パン状炭化物」が出土し、顕微鏡観察により、ギョウジャニンニク、のびるかなどのユリ科の球根だったことが明らかになった。
また、旧石器時代か、使用された下呂石が縄文時代にも継続して使われたことが分かった。近くの遺跡からも下呂石を貯蔵する穴が発見され、この地域の人々は下呂石をとても大切に利用してきたことがわかっている。この下呂石の利用は弥生時代まで継続するのだった。
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