継体の勢力基盤は淀川流域、近江、北陸、東海であり、継体天皇の六世紀前半は大陸アジアの激動が波及し、新しい政治システムが模索された激動のの時代だった。
古墳時代後期、六世紀では、林ノ腰、円山、甲山古墳が築かれ、林ノ腰古墳は、継体天皇の今城塚と相似形といわれる。明治31年に出土した獣帯鏡、日本出土漢式鏡図集で紹介されたが、この三上山下古墳とは野洲市の銅鐸博物館のそばにある甲山古墳のことだと最近の研究でわかったらしい。先に講演を行った草津市の花田勝広氏が詳しく解説されたらしい。午後の大橋信弥氏の講演の前に甲山古墳と円山古墳に立ち寄ってみた。甲山古墳のある桜生史跡公園は過去何度か訪問した記憶があるが、甲山古墳の出土品の鏡がそこまで重要とは、知らなかった。
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