歴史民俗資料館での展示見学が長くなればその後ランチの予定だったが、以外と早く終わり、先に八尾市埋蔵文化財センターに向かうことにした来た道を途中まで引き返し、埋文センターに向かう。高安古墳群のある高台に近い歴史民俗資料館から低地にある埋蔵文化財センターまで、五キロ弱の下り基調で、チャリをすすめると20分足らずで到着。こちらも八尾市の条例で撮影禁止ー埋蔵文化財センターとしては珍しい。八尾市域は古墳古代、大陸や九州から瀬戸内海を通じて、やって来た人々が大和川水系を辿ってヤマトに向かう場合、最初に通過する交通の要衝で、久宝寺遺跡をはじめ、多くの遺跡があり、渡来系の遺物、出土品も多い。今回の展示では八尾市内で出土した南九州から関東地方まで、広い範囲の土器などが持ち込まれたことから、邪馬台国時代における八尾の役割を考える企画となっているようだ。
当時河内平野には河湖が存在し、北は淀川水系、南はヤマト水系の河川が流れ込んでいた。北は上町台地北端で瀬戸内海に注ぎ、南岸は東大阪市中南部に及んでいた。これらの河川流域に弥生時代以降の多くの遺跡が見つかっている。
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