写真2河内の瓜生堂遺跡の讃岐の土器
写真3讃岐の上天神遺跡出土の河内の土器
大阪の弥生文化博物館で開催されている「紀元1世紀の社会変革」展を見る。 紀元1世紀というのは、紀元ゼロ年以降の時代で弥生時代後期の始まる頃と考えられる。弥生時刻中期の終わり頃、池上曽根や唐古鍵などの大集落が、突如として消滅し、人口が減少または、分散化したと考えられている。それは近畿周辺だけでなく列島各地でみられる共通の現象だ。その謎を解く最新の学説のひとつとして注目されるのが酸素同位体年輪年代学だ。この新しい分析手法を編み出した名古屋の中塚武氏の研究を参照して、新たな弥生時代後期社会の変容を理解しようとする試みだ。弥生中期末頃、気温の低下と降水量の増加が起こり、大きな洪水などの被害にあった地域は少し標高の高い場所に移動し、分散して集落を営んだようだ。中期に青銅器を盛んに生産した東大阪の東奈良遺跡が消滅し、滋賀県の伊勢遺跡に大きな青銅器生産集落が出現する。奈良盆地でも桜井市の大福遺跡や脇本遺跡で同様の生産活動が始まる。
一方、河内湖周辺の瓜生堂遺跡では、河内湖に隣接する港として中期には大きな方形周溝墓群を持つ大集落だったが、後期になり河内湖の水位が上がり、狭い微高地に移動、大きな遺構は見当たらないが東瀬戸内ー讃岐や吉備などの土器がまとまって出土し、交易港であったことがわかる。この時期、讃岐の海人集団が瀬戸内海と北部九州を行き来して交易活動を行い、後には吉備の集団がその役割を果たすように変化し、河内の土器などにそうした変化が現れているようだ。
中塚氏の講演は同氏が世界に先駆けて開発した酸素同位体年輪年代法の概要とその開発に至る道筋を素人にもある程度わかるように話をされた。とても貴重なお話だが、その理化学的、数学的な手法を理解ようにもできないところが悲しい。ただ、一年ごとの気象、降水量、気温などの推移を高い精度で理解できることが、歴史学や考古学にとって大きな力になることは疑い得ない。中塚氏は、もともと気象変動の専門家でそれも環境学者の視点から行ってきた。歴史や考古学に対する様々な提言、提案を行ってきたが、ご自身はその分野の素人であることを十分自覚されている。 同氏の新しい年代学は世界でもまだ取り組まれていないアプローチで、日本に近い韓国や中国では、細かい年代測定可能な手法に対する評価は高く、多くの検体が送られてくるそうだ。ズバリノーベル賞ものだろう。今後の研究の進展に益々期待が高まる
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