写真2平遺跡出土土器
写真3深谷市の弥生土器
忙しい1日だった。午前中は、千葉市で九十九里の縄文時代貝塚に関する講演会、午後は本庄早稲田の、ミュージアムで神川町の弥生時代展に関連する講演会をハシゴした。
あさまを1時50分下車し、早稲田の杜に五分後に到着、会場に入る。神川町は、数ヵ月前にチャリで遺跡巡りをしたばかり。確か神川町の施設で縄文遺跡展を見学した。かつてチャリで神流川流域を走ったり、西上州の山々を歩いたときにはよう通過した地域で思い入れもある。
この地域は、縄文時代の遺跡は、そこそこあるか弥生時代の遺跡は少ない。古墳時代になってからは、多くの古墳や集落が形成されてくる。弥生時代の遺跡は4つしか見つかっておらず、それも再葬墓が主で土器片しか出ていない場所もあり、集落や生業の姿が見えない。多くは縄文時代と余り変わらない狩猟採集生活が中心で時期により、雑穀栽培や小規模な水田を営んでいたようだ。
神川町に残された4つの弥生遺跡を説明し、再葬墓について解説した。出土した土坑と土器棺と土器の写真をたくさん見ることができたこれらからは人骨は見つかっていないが、岩間天神山など、他地域の土坑の土器から人骨発見例があり、こうした土坑と土器の組合わせを再葬墓と考えるようになった。土器には東北の大洞式が起源の変形工字文や弧線文、三角文などを施した土器が多い工字文は、東北系の文様で、波状口縁も東北系か?三角文は北関東?他に東海系の条痕文や中部系の櫛描文などわを施す土器ー樽式土器なども見られる。様々な文化が行き来していたことがわかる。古墳時代になると大きな集落が形成され、古墳も多い。この後下の展示室で神川町と本庄市周辺の弥生土器展で、展示解説があり、今日は神川町の弥生時代を学ぶことができ満足。弥生時代
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