まずは展示を一通り見て撮影とメモを取る。久米官衙という列島最古の官衙遺跡の中の回廊状遺構が長年の謎となってきたらしいが解説会では舒明天皇、斎明天皇の伊予道後行幸の際の行宮、弓の儀式の場ではないかと言う長年の調査担当者の話があった。とても興味深い説でそれならなぜ年代が古いのか理解可能だ。その割り地の一角に建立された来師寺跡は、郡衙の第三期に建てられたようだ。
また、徳島の国衙遺跡から出土した木簡は、原物は重要文化財に昨年指定されたもので、国府長官が赴任するのだ米の手配などを行うよう記したもので貴重な史料のようだ。地方の人々が憧れたという暗文土器も出ていた。常設展もざっと見て庄内布留式の古式土師器の時期の土器が並んでおらず弥生時代の後半から、いきなり須恵器な飛んでいる。職員の方に尋ねるとその時期はそうした土師器は出ないのだそうだ。おそらく交易拠点にのみ庄内甕などは限られ、他は在地の弥生末系の土器が主流なのだろうか?
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