神奈川県立地球博物館で、友の会地学グループによる集まりがあり、今回は会員による報告会、私は自分のジオパーク巡りの話をすることとなった。遺跡巡りや山歩きの合間に全国各地のジオパークも巡ったが、今回の報告のために改めてジオパークを巡る様々な問題を考えることとなった。これまで有珠山、知床、アポイ岳、白神、三陸、下北、北茨木、秩父、下仁田、銚子、箱根、伊豆、糸魚川、紀伊半島、山陰、四国の西予、阿蘇、その他多数のジオパークのサイトや関連施設を巡ったものの、あくまでもジオパーク消費者とも言うべき外からの表層だけを眺めてきたようなものだとわかった。この機会にジオパークの歴史、理念、ジオコンサベーション、ジオ教育、ジオツーリズムや各地の活動の評価、運営体制などに関する論文を地学雑誌や大学の研究紀要などからネットで探せるものを10本ほど集めてざっと目を通した。設立期、高校から地学が必修でなくなり、地学教育をどうするかが、問題となったころ、産業総合研究所(産総研)が中心となりジオパーク構想が検討され、ユネスコでは、ジオバーク
正式なプログラムでないと、ユネスコ国内委員会をしきる外務省などの官庁は、乗り気でなかった。しかし、全国各地で機運が高まり、ユネスコも正式プログラムとなることが決まり、動き出した。紆余曲折はあるが、糸魚川を皮切りに次々と国内ジオパークが提案され、さらに世界ジオパークへと向かう地域も現れて国内体制の整備に向かった。しかし、各地の事情は様々で一掴みで把握することは難しい世界遺産も同様で住民のイニシアチブと行政や教育現場、観光関係者等が、どこまで連携して活動を推進出きるのか、また、その背景にある農山村、中山間地の大幅な高齢化、人口減少といかに向き合うか、バランスのとれた国土利用と保全、持続可能な発展とは何か、問われるものは多い。
私の次に加藤さんがアメリカのホワイトサンズや国内の地質学的なサイト訪問記を語った。最後に持ちよった石を見学して終了した。
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