まず土器と生活というテーマに関して、解説。旧石器から縄文、弥生と長い間に生活が変化していくと、それにつれて、道具や器具が変化していく。その姿を土器を通じて感じ取ることが大切ということ。縄文土器は、ダイナミックで華やかで、その美術的なインパクトは、世界的に見ても突出している。弥生時代になると、大胆な装飾性や精神性は失われ、実用本位になり、目的別に細分化されている。縄文土器は装飾・芸術性と実用性、祭祀性などが混然一体となっている。
水田耕作が始まり、権力、王権が生まれ、軍隊が生まれ、戦争が起こり、生活は細分化されて忙しくなるーーそうした生活と社会の変化を土器は物語っているということだろうーー。
土器の形から壺,甕、高坏など(さらには鉢、皿など)に大別される。甕は口が広く、胴の部分に煤がついているものが多い。これは煮炊きをして日の先端が当たる部分に煤がついたものだ。
壺は農耕生活に必要な種やお米などの保存に使われた。首の部分が細く、鼠対策が生活防衛上、重要だった。環濠集落の溝も鼠対策だったらしい。高杯は食事用であり、大きなものはお供え用だったようだ。
さらに須恵器のところで土器製造の変化を簡単に解説、土器と生活の変化を一つづつ解説すると一日では終わらないので、ごくかいつまんだ学部学生向け導入用解説だ。数百度にしかならないたき火で土器を焼いていた素焼きに対して、たき火に蓋をして千℃を越える窯で硬質の土器である須恵器を焼く技術が朝鮮半島南部から入ってくる。さらに釉をかけるなど、陶磁器に発展していくーー。
現代でも素焼の植木鉢や内側に釉をかけるが、土鍋は今でも使われる土器であるーー。30分の短いギャラリートークだが、初心者には楽しめるものだーー。
終了後、最後に展示をもう一度見る。この大学で発掘作業をしてきた栃木や千葉の遺跡の出土品や近年手がけた神奈川県川崎市の加瀬台遺跡の出土品が展示されるまでのプロセスが展示されている。今日は一緒に参加していた教授のお知り合いと思しき年配の参加者が写真撮影していたので、一部写真を撮らせていただいた。
写真1:下高井戸駅から日大通りを歩くと「チェシャ」というおしゃれなケーキ屋さんがある。今回は何も買わず、観察しただけーー
写真2:須恵器の前で解説する考古学科の浜田教授
写真3:縄文晩期(青森)の注口土器
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