「2011年3月11日、日本は未曾有の災害に襲われた。
岩手、宮城、福島を中心に多大な被害を与え、
20,000人以上もの死者・行方不明者を出したこの災害を
人々は東日本大震災と呼んだ。
同年9月、ひとりの女性が同じ仕事をもつ仲間たちを訪ねる旅をはじめた。
「保健師」という共通の仕事をもつ仲間が、
この災害にどう対処し、またどのような教訓を得たのか?
未来の後輩達へ、こうした災害に襲われたときに
より良い活動が出来るように伝えるため、
仲間たちから話を聞いて記録するための旅だった。
「1000年に1度」といわれるこの大きな災害から、
我々は何を得ることが出来たのか?
この映画は東日本大震災をきっかけに、「保健師」という仕事を見つめなおし、
改めてその役割を考えるための旅の記録である―――」
【STORY】
2011年秋、保健師の菊地頒子さんは東日本大震災の被災地を巡り、その当時の様子を記録する活動を進めていた。それは、震災で亡くなった9名の保健師を弔う慰霊の旅でもあった。
本作品に登場するのは宮城県石巻市、岩手県大槌町、そして福島第一原子力発電所の事故により、住む土地を離れなければならなかった福島の9つの市町村。保健師という仕事を通し、彼女たちが何を感じ、どんな行動をしたのか? そして、1000年に一度というこの災害から私たちは何を学び、1000年後の未来へ何を残せるのか? 各地域の保健師たちの証言から、住民の伴走者として、人を支えていく保健師たちの姿を描き出す。
また、岩手県田野畑村で原子力発電所建設の反対運動に尽力し、見事、建設計画を白紙にした保健師の岩見ヒサさんへの貴重なインタビューも行われており、反原発の風が起きている今に一石を通じる内容となっている。そして、菊地さんは全国の保健師たちに呼びかけ、東日本大震災から学ぶための研修会を東京で開催する。そこには改めて自分たちに何が出来るのかを考えた仲間たちが集まった。
震災を機に自分の仕事のあり方を見つめなおし、未来に向けて何を出来るのか考え、行動を起した菊地さんの姿。その様子から我々もまた、震災から学んだことをつなぐために何が出来るのかを問い直させられる……。
保健師(保健婦)の人々の大震災、原発事故の被害住民の健康を支える活動ぶり、その姿に感動を覚える映画だ。あまり脚光を浴びることに少ない彼女たちが、地道に彼らの仕事の意味を問い、慰霊してその役割を問い続ける。住民とともにある彼らの姿、行政と住民の間に立こうした人々の姿はもっともっと知られるべきであり、また評価を受けるべきものだ。この記録映画は地味だが輝いている。
つぎに近くの松涛美術館によって見る。今週末まで、ハイレッドセンター(高松修・赤瀬川源平、中西ーー)のかつて一時代を作った前衛たちの仕事ぶりが振り返られている。松濤美術館はなかなか分かりにくい場所にある。最初にアップリンクから観世能楽堂・戸栗美術館の通りを歩いて、鍋島公園に出て、中を散策しながら池の方に降りる。この辺りは鍋島藩の藩邸があったようだ。戸栗美術館もその関係で鍋島焼や伊万里焼を所蔵している。公園を出て、美術館を探す。やっと探し当て、その立派さに驚くーさすが松濤町ーとても区立美術館には見えないしゃれた外観だ。展示は高校時代、美術手帳などを読んでいたのでその頃活躍した「前衛芸術家」たちの活動―懐かしさを覚えるー興味深い展示だが時間がなくざっと見て次に向かわざるを得なかった。
その後、神泉駅に出てから昨日に続いて両国に向かう。今日は近世考古学の二回目。「飲み物と食」だ。講師は元江戸博学芸員で近世考古学専門、現在は江戸東京建物園の園長の小林克氏。江戸博時代は、文京区の真砂遺跡(現文京区女性センター)の発掘などに携わり、江戸、ニューヨーク、ロンドンの近世都市遺跡の展示会を開催したという。現在は園長の仕事が忙しく、発掘の現場に出ることはないが、江戸遺跡研究会のメンバーとして活動しているとのこと。近世考古学はとりわけ1970年代の高度成長期以降、東京周辺の土木建設工事が飛躍的に増加し、近世遺跡も多く出てくるようになった。著名なところでは一ツ橋高校、東京大学構内遺跡、日本橋東急デパート跡、汐留など多くの発掘が行われたという。大名屋敷跡からは夥しい量の陶器などが出てくるが、町人長屋などの遺構からは少ないという。 その理由 は、大名屋敷跡には、大きな地下室やごみ穴があり、そうした場所から多くの遺物が出てくるようだ。ところが町人長屋は江戸のゴミ収集システムが素晴らしく、ゴミを残さない仕組みが出来上がっていた。下肥のリサイクルシステムも確立しており、その意味でも江戸は世界の先進都市だった。また上下水道の仕組みも出来上がっており、水を売り歩く商売も利用されていた。また発掘をすると焼土層がいくつかあり、明暦の大火、関東大震災、東京大空襲などが主なものだそうだ。また人骨も出土するケースがあり、人骨から顔の復元を行って、町人と旗本などの顔を比較する企画なども行われたそうだ。武士の顔は古くは武骨で太いが、時代が新しくなるにつれてほっそり眺めの顔になるようだ。
土器・陶器類では徳利関係と灯り用の皿などの照明器具関係が多いようだ。江戸時代になると酒造りが各地で盛んになり、毎晩お酒を飲んでいたと思われる人々が現れるそうだ。お酒に関しては、お燗を行う文化が出現し、また泡盛やワイン、ジン(英国などのジンでなくオランダのジン)など様々なお酒が流通し、飲まれているようだ。
お茶の飲み方で注意すべきは庶民の茶屋などのお茶は現在のような煎茶などでなく、煮出して飲むお茶らしい。またお茶でご飯を炊く茶飯などが流行っていたらしい。また庶民の長屋では囲炉裏は禁止され、竈も大きなものはなく、よく食べ物の屋台や売り子から買っていたようだ。またごみの中から魚や獣の骨がかなり出てきており、その量は時代によって増減があるが、基本的にイノシシやシカ肉、イカや鳥の骨などが出てくるという。
また東京大学構内の加賀藩屋敷跡からは江戸の送った品物の荷札が発見された。麹漬けや粕漬けなどが多いという。さらに貝類やフグの骨、大きなサザエなども出てくるらしい。また平賀源内が発明したとされる白砂糖製造用の土器も出てきている。このように近世考古学は知っているようで知らない江戸の人々の生活ぶりを知る上で重要な貢献をしているということが理解できた。
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