室堂〜五色ヶ原〜薬師岳〜雲の平〜鷲羽岳〜新穂高


- GPS
- 50:52
- 距離
- 54.6km
- 登り
- 4,088m
- 下り
- 5,417m
コースタイム
- 山行
- 4:56
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 5:36
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 0:02
- 合計
- 9:02
- 山行
- 7:56
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 9:01
- 山行
- 5:40
- 休憩
- 0:39
- 合計
- 6:19
- 山行
- 7:16
- 休憩
- 2:07
- 合計
- 9:23
- 山行
- 5:01
- 休憩
- 1:23
- 合計
- 6:24
過去天気図(気象庁) | 2024年08月の天気図 |
---|---|
アクセス | |
予約できる山小屋 |
立山室堂山荘
|
写真
感想
戦国期の武将、佐々成政が厳冬期に越えたと推定される(諸説あり)ザラ峠を歩いてみたいというかねてからの私の希望をもとに他のメンバーの希望を加えた結果、室堂から新穂高温泉への縦走計画が決まった。富山に前泊するという日に台風が関東を直撃する見込みとなり、急遽一日前倒して出発した。結果、富山での1日フリーができたため、雨晴海岸に出かけたが、今回の山行で起きる出来事を予感させるような海の荒れようだった。
1日目:室堂から五色が原
室堂から雨具を装着、一の越までに雨はやんだ。雷鳥出現。一の越分岐までは石畳の参道。ここから浄土山南峰へ向かう道が登山道の様相になる。龍王岳は、まくものの、鬼岳、獅子岳のアップダウンがあり、ザラ峠に向けての下りののち、五色が原への登り返しが最後に待ち受けている。ザラ峠を越えたのちもアップダウンがあり、やや下りのちょっとした岩場でメンバーの1名が頭から滑りこむように転倒し、瞼の上を切り出血した。すぐに出血は止まり、右胸を強打したものの、自ら歩けるとのことだったので、そのまま小屋に向かった。五色が原への登山道はアップダウンが続き、決して楽に歩けるルートとは言えないだろう。雨や霧でぐっしょり濡れたギア類の乾燥への小屋の配慮が手厚く、有難い限り。
2日目:五色が原からスゴ乗越
鳶山と越中沢岳の2つのピークだがそれ以外にもアップダウンが多い。特にスゴ乗越小屋手前では小屋が見えてからのアップダウンが手ごわい。越中沢岳で大休止。オコジョも顔をひょっこり見せてくれた。そののちスゴの頭に向けて、激下りを含めた下りへ。何でもない岩場を下り終えたところで突然事故は起きた。このくだりは後述。
3日目:スゴ乗越から太郎平
間山(まやま)、北薬師岳、薬師岳を越える。かなり足場が悪い道のアップダウンが続く。「北薬師岳で雨が降っていたら薬師越えは無理」という看板が北薬師岳山頂にあるが、スゴ乗越からここまででも足場が悪い道になっているため、引き返すのも相当難儀であろうがこの先の難路を経験したうえで納得できる忠告だ。この北薬師岳から薬師岳の間に瘦せ尾根が1か所あり、その区間(1、2分間程度だった)はかなり慎重に歩を進める必要があるだろう。命の危険を感じながら通過する区間だ。ふと三国志の蜀桟道のことが頭をよぎる。訪れたことはないがこのような道なのだろうか。隘路の先にあるものに憧れを抱いてしまう。歩くべきルートは示されてはいるが、やや不鮮明で危険。印を見落とし誤ったルートに進むと滑落のリスクが一気に高まる。薬師岳山頂までたどり着ければ太郎平へはこれまでの難路とは打って変わって歩きやすい道になる。この場合の比較は誤解を招くので補足すると、薬師岳から太郎平への登山道も岩下りを含めたそれなりに厳しい道だ。つまり北薬師方面の道はそれをかなりしのぐ難路だということを記しておきたい。
4日目:太郎平から雲の平
薬師沢小屋から吊り橋を渡り、梯子を下りると雲の平への急登が始まる。急登というより岩登りに近い。この道は湧き水の関係でおそらく常に濡れた状態なのだろう。下りで使用するのは余程避けたい。木道が始まると雲の平も近い。早めに小屋に到着し、十分休息したが、午後もガスが出たり日差しが照りつけたりと目まぐるしく天候が変わる。
5日目:雲の平から双六小屋
雲の平からスイス庭園(薬師岳を見晴るかすフィヨルドをほうふつとさせるビュースポット)に立ち寄り祖父岳へ。ここへは急登だが、その先には剱岳、薬師、黒五、笠、槍など北アルプスのオールスターに囲まれる360度の展望が待ち受けていてくれた。岩苔乗越、ワリモ岳を経て鷲羽岳。ワリモ岳は片側が切れ落ちている鎖場がある。ここも足を滑らせると命に関わる。雨天、荒天時は避けるべきであろう。その場合は、岩苔乗越から黒部川水源地標への道がエスケイプルートになろう。かなり後方で歩を進めていたツアーは恐らくそのルートを通り三俣山荘に同時に到着してきた。三俣山荘の展望喫茶室でゆるりと休憩した。同行者のアクシデントが起こった後、山行を続行するなら、怪我も救助要請も今回に限っては絶対NGなんだということがプレッシャーとしてのしかかってきていた。その重圧は、喫茶室を吹き抜ける涼やかな風と窓越しに優雅な姿を見せる槍ヶ岳、丁寧にドリップされた薫り高い一杯のコーヒーによって、心地よくほぐされた。先週はまきみちを選択したが今回は三俣蓮華岳と双六岳の稜線ルートで双六小屋に向かった。やはりこのハードなまきみちと比較するとここでは登りが少々あるが稜線ルートの方がずっと歩きやすいと感じる。
6日目:双六小屋から新穂高温泉
鏡平とわさび小屋で大休止。登りの登山者とたくさんすれ違った。晴れていて樹林帯ではあるが木陰があまりなく風も吹かない。日差しに照りつけられるので登りはかなりへばっている様子の方が多かった。
山行記録を記すにあたって2日目に同行者に起きたアクシデントについて触れるべきか熟考したが、この稀有な経験を自らの糧と戒めにするため記しておく。
越中沢岳においてかなりの急こう配を下った。その後下りが少し緩やかになり、岩が若干ある場所を通過し、平らになったところで先頭の同行者が自分の足と足を引っかけて、いともあっけなく転倒した。(前日の転倒で右胸を強打した影響もあったのだろう)右側は山側。左側は切れ落ちてはいないが急傾斜になっていた。(写真最後)よろけたのが右側だったらなんのことはなかったであろう。運が悪く左側に転倒し、斜面に並行するように軸回転が発生し、フィギュアスケートのジャンプのようなフォームで、全身くるくると回転し、ザックの重量による遠心力のためであろうか、加速してあっという間に視界から消えていった。写真は登山道復帰後のもの。滑落時はガスの状態はこのように濃い状態ではなかった。滑落地点から30メートルほど先は登山道からは切れ落ちたように見え、滑落者の状態は不明だ。呼びかけにも応答がない(実際は答えていたが肋骨6本の骨折では大きな声は出せなかったろう)ので降下を試みることにした。ザックを登山道に置き、できるだけ安全に降下できる入り口を見定めた。進行方向に木が茂っているところがあり、それを支点にして傾斜地への進入が可能なように感じた。もう一人の同行者には自分が進入を開始した場所から動かないように頼み、ジグザグに慎重に降下した。最近購入したばかりのモンベルのアルパインクルーザー1000、トレイルグリッパーのグリップ力のおかげでスリップすることは全くない。滑落時に吹き飛んで散乱したポール、ウエストポーチ、水筒などを回収しつつ、登り返すときの目印になるように置きながらさらに降下を続ける。登山道から見えた30メートルの地点を越えたのちさらに20メートルほど降下した時点で滑落者を発見した。少し言葉をかけ励ましたところ自力で立ち上がれたので、滑落者のザックを背負い、自分が降下してきたルートでなら必ず復帰できると伝え、先導した。下りも恐怖感を味わったが、登りは草や木を頼りにしないと上がっていけない傾斜だ。下ることはできても、登ることはできないというのを初めて経験した。普通はその逆だ。自ら下ったルートをきちんと、たどれるかどうかが復帰への重要ポイントだと感じた。滑落者が再滑落しまいか気が気ではなかったが、自分も滑り落ちはしまいかとの恐怖に襲われた。降下時に残してきた目印を頼りに登り返し、登山道に残った同行者が見える地点に到達。そこからの傾斜はさらにきつく、最後はブルーベリーの枝に助けられつつ登山道に復帰した。この場所は恐らくわたしのような素人が手を出せるぎりぎりの傾斜だったのだろう。滑落者のザックはチェストベルトが破損。ウエアとパンツが破れている。かなりのダメージを受けたことが窺える。これでよく自力で歩けたものだ。腕に複数の切り傷と頭のてっぺんにも切り傷があったが、出血は止まっていた。消毒液とバンソコウで応急処置を施した。その後、落ち着くのを待つ。滑落が恐らく10時半頃、登山道復帰に1時間、滑落者の休息に1時間弱かけ時刻は12時頃であった。そこから滑落者はふたたびザックを自力で担ぎ、歩いたが、歩行バランスが非常に危うく見えたため、滑落者のザックを受け持った。2つザックをしょって1時間弱、歩いてしまったが、かなり無理をしてしまった。こういった無理は今後は二度としまい。下りの岩場で危うくバランスを崩しかけることが数回あった。1時間弱歩いた地点で滑落者が歩を進めるたびに胸にかなりの痛みを感じると訴えた。歩けないので先に行ってくれと言う。ここで自力での小屋到達は不可能と判断し、また滑落者が救助要請の意思を示したため、救助要請を決めた。しかしながら電波が入らない。12時45分の時点で滑落者をその場に残し、スゴ乗越小屋に向けて電波が受信できるところまで歩き、110番通報することにした。山アプリの緯度経度情報をスクショしておいた。滑落者を風の当たらないハイマツが茂る場所に誘導して、食料、水、ダウンジャケットを渡した。かなり濃いガスが発生していて、ヘリの救助は本日は難しいのではと感じた。非情な選択であったかもしれないが滑落者のみをその場にとどめ、2名で小屋に向かった。途中からわたしのみさらに先行し、電波がつながったのが14時20分。すでに小屋のすぐ手前であった。110番後、富山県警から折り返し入電。滑落者の位置詳細や状況についてやり取り。場所の特定(緯度経度のみならずおおよその場所)遭難者の衣服やギアの色、保持している食料、水、火器の内容、パーティの構成、体の状態、ビバーク地点から動かないように伝えたか否か、通報者の身元情報、現在いる場所の天候状態などであった。たとえ事故現場が電波が通じなくとも遭難者の携帯番号は求められる。やりとりの後、10分程度でスゴ乗越小屋に到着。14時半。小屋番の方からも太郎平派出所へ通報。(ご迷惑な出来事に対しテキパキとご対応いただき大変感謝)派出所の方とも同様のやりとり。16時過ぎ同行者も小屋に到着。ほどなくヘリの音が聞こえた。ガスは非常に濃い。このような天候では到底、救助は無理とおもったが、ガスの合間を潜り抜けるようにして隊員を別の場所へ降下させる作戦を実施していただいたようだ。降下地点から現場に向かい、保護したとのこと。自力で歩ける状態だったのでヘリがホバリングしているポイントまで移動し、16時半に救助されたと小屋番さんより伝えられた。富山県警ヘリ「つるぎ」の隊員の方々の卓抜した救助技術と勇敢さにただただ驚嘆し、感謝しかない。その後、今回の山行を中止すべきか検討した。太郎平から折立に向かうか否かということになる。遭難者がもし、最悪の事態となっていたら当然出頭せねばならず、続行と言う選択肢はなかったであろう。幸いにも救助され、遭難者から直接メッセージが入ったこともあり続行を決めた。翌日、太郎平小屋の派出所で救助の御礼。
不幸中の幸いが続いた。滑落時、人の頭ほどある岩に2回ほど激突しそうになりながらわずかにそれたこと。濃霧の中、救助していただけたこと、その後の私たちの山行が好天に恵まれ無事に下山できたこと。山に行って無事に帰るという至極当たり前のことが、実は幾重もの幸運に包まれたものであることが今さらながら身に沁みた。一度の山行における数万歩、数十万歩のうちの1歩でも、踏み誤り、たとえそれが小石につまずいただけだとしても、運に見放されればとんでもない事態はたちまちやってくる。わたしは集中力が続かなくなったなら山にはもういくまいと心に決めた。
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