( 木曽川がチャートの山にあたってカーブしている、栗栖の村はその内側の、砂が堆積している平坦な場所にある。)
写真1: 上流下流の厳しい岩肌の中で「栗栖の渡し」は砂地の竹林。
写真2: 3D地形マップ( 国土地理院オンライン3D、地形図+色別+傾斜 )
( 正面に坂祝勝山方面、左手手前に鵜沼、右手が犬山の栗栖周辺、木曽川をはさんで流れの向きが変わる部分、両岸にある堤防道路と川原をつなぐ斜めの道に挟まれたところにある。)
( 水面が盛り上がって、表面張力のコップ酒みたいな木曽川の流れが面白い。)
・ 素人の想像ですが、流れの内側の砂の堆積部分同士を結ぶ直線部分にかけられている、この自然に作られた地形が渡し場を作るのに適していたのかもしれないと…、増水時には砂地の部分にまで流れが広がっても、乗り降りの安全性が確保しやすかったのではないかと思えます。
( ワイヤを固定した柱と標識のあった場所は川と堤防をつなぐ斜めの路の終点の、砂地でないしっかりした所でした。)
<追記>
写真3: (2)に航空写真を重ねてみました。( 国土地理院オンライン3D、地形図+色別+傾斜 + 航空写真 )
( こちらのほうが、流れの中心がわかって、岩で方向を変えられ、ギザギザののこぎりの刃のように流れているのがわかって、面白いかもしれません。)
・ 対岸の鵜沼側は、どこにつなげたかも、興味があります。
makobeさん、おはようございます。
「栗栖の渡し」で船が水流を利用して対岸まで移動する発想には感心しました。
また、「栗栖の渡し」がそこにあるかを考察するmakobeさんも凄いです。
乗り降りの安全性に加えて、川の直線部は流れがほぼ一定(厳密には中心部が一番速い?)なので、船の移動速度もほぼ一定で安全だった、が私の直感です。
fujikita さん こんにちは コメントありがとうございます
・ 考察とゆうよりは、史跡の案内板を見て、いろんな?がいっぱい沸いてきて、タラレバ&かもしれない…と、興味がつきません。
( 地元の方にとっては、当たり前のわかりきったことなんでしょうが、たまたまの訪問者(ヤカラ)にとっては、全てが新鮮にうつります。)
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