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( なんとなく中途半端なので、第一幕のまとめとして、イベント年代順に図を並べて、ふりかえってみます。)
図1:(左)(250Ma)日本海隕石、衝突前
(右) 隕石衝突後、日本列島「ハの字開列」、日本海の原型(まだ太平洋とつながっている)できる。
( この時点で西南日本の南に沿岸海底には、ペルム紀の付加体があった。 )
図2:(左) 開裂した西南日本の南側と、東日本の西側に、
ジュラ紀(201Ma〜)、白亜紀(145Ma〜)、古第3紀(66Ma)にかけて、付加体が順次堆積。
( フィリピン海プレートの北上開始30Ma )
(右) 太平洋プレートの向きが西北西に変わり、23〜18Maにかけて、西南日本と東日本が接合。
( フォッサマグナ形成(20Ma))
( 東日本日本海側の火山活動により隆起、沈降、グリンタフ形成。(15Ma))
図3:(左) 現在。
( 開始前は太平洋プレートの海溝だった中央構造線から南に、四国南部形成。)
( 小笠原諸島の北上に伴い、櫛型(12Ma)、御坂(9Ma)丹沢(5Ma)、伊豆(1Ma)等、順次衝突。)
(右) 日本列島と日本海の姿。
・ この5枚の図は、日本列島の変異点の様子を描いたものです。
( それぞれの図の解説が、日本列島の地史年表となります。 )
・ 図3の右と左は、どちらも現在の日本ですが、
日本海隕石衝突前(図1・左)と、現在の日本(図3右)を比べて見てください。 特に日本海の海底の様子が、大陸プレートの薄い(深い)場所と、衝突前の朝鮮半島と、能登半島の形が影のように… 重なって見えます。
( それぞれの向かい合う海岸の形も、ぴったりマッチしています。 )
( 日本海の北と東の海底は深く、日本海盆/大和海盆は、海洋性の地殻で、 西と南の海底は浅く、大陸性の地殻で形成されています。 )
・ 上記隕石衝突後は、大和海盆はもっと広かったと創造できます。
( 接合で東日本がつながって、日本海が閉じられたとき、大和海盆や周辺の沿海海底も、東西圧縮変形をうけてせまくなったと考えています。)
・ これらのストーリーは、私個人の想像で、どの本にもこんなとんでもない話は載っていません。 しかしながら、これまでの多くの地質データを積み上げてこられた地質や地史、地球科学の方々のデータは、 これまで説明のつかなかった「謎」として、たくさんの方々の資料や論文に記録が残されています。
( この日記を、6月から始めた「第1幕」のまとめとさせていただいて、 明日からの「第2幕」も、仮説トンデモ説がいっぱいで、当分悩ましい夜が続きそうですが、気長にお付き合いいただければ幸いです。)
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同日補足:
・ 図2の「太平洋プレートの向きが西北西に変わり、西南日本と東日本が接合した」… そのときに東日本が、押されて元に戻るほど大きな影響があったのに、 西日本がほとんど動かなかった理由は、日本海の地殻の違いからで、西日本の日本海側は大陸プレートでできていて、厚みもあるので、影響を受けなかった。
それに対して東日本では、押される後ろ側は海洋プレートしかなく、重いが薄い海洋地殻で、そもそも東側と西側両方が同一太平洋プレートなので、それ自体の向きが変われば、一緒に動くだけで、反対側からのベクトルを支える力は皆無だったと想像します。
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