もう少しで山頂に到達するかどうかという時のことでした。
「あれが、山頂?」
年配女性の声でした。確かにそう聞き取れました。この時、私は、単に先行登山者がいるのか、あーあ、山頂で鉢合わせかな。自分ひとりで山頂を独り占めしたかったのに、残念だくらいにしか思っていませんでした。
ここに至るまで、何かしらの声は聞こえてはいました。それは、男性と女性の声。会話しているようでしたけども、風の音でかき消されて、何を言ってるのかはわかりませんでした。ただ、聞こえてくるのは、進行方向の先からでも、後ろからでもなく、何故か、進路の左手からでした。現在位置と地図で確認しても、そちらの方角には登山道はありませんでしたが。山ではあらぬ方向から声が聞こえてくることた多々あることなので、きっと、山にコダマしているだけだろうと、この時は思っていました。
それから、ほどなくしてP岳の山頂に到着しました。到着した当初は、ガスで辺り一面が真っ白でした。はて。先ほどの声の夫婦らしき登山者の姿が見えない。声の感じと会話内容からして、P山荘へ往復するのだろうという印象でしたけども、いない。ここまでくる時にすれ違ってもいない。まあ、山頂から、北方にあるK岳への縦走路があるから、きっと、そっちへ行ったのだろうと勝手に納得していました。この時は。
せっかくのP岳登頂にも関わらず、視界不良。何も見えない。満を持して天気の良い日を選んで登ったのに、これだ。恨めしい顔つきで、空を眺めていると、不意に空が明るくなり、青空が広がり出す。おおお。私は奇跡や目に見えないモノは一切信じないが、このタイミングでガスが晴れてくるとは。一瞬にして、P岳山頂周辺の景色が丸見えになった。
一人だけの山頂で、ひとしきり眺望を欲しいままにした後、ふと、さきほどの声を思い出す。きっと、K岳への縦走路を歩いてるのさ。すれ違っていないから、そうに違いない。そう思うと、私はP岳からK岳へと続く、長大な稜線に目をやった。おかしい。K岳の山頂は見えている。いくら探しても、縦走路上に登山者の姿は見えない。途中に分岐は無い。声が聞こえてからの短時間で、K岳を経由して通り過ぎてしまったのか。いや、この距離をこの短時間で踏破できるはずはない。しかし、いくら探しても姿は確認できなかった。
K岳への縦走路は、私もこれから行くところ。ま、どこかハイマツの陰にでも隠れて見えないのだろう。いつか追いつくこともあるさと、K岳へ向けて出発する。K岳に着くまでの間に、追いつくことも、姿を見ることもなく到着する。ここで、やっと不思議に思い出す。もし、声の主に実体があるのであれば、ありえない速度で歩いていることになる。もう、P山荘へ下山したのか。
訝しい気持ちでP山荘までの標高差1000mのくだりを一気にくだる。P山荘は今宵の宿。宿泊者は10名ほどいたが、その中に年配の夫婦の姿は無かった。P山荘はシーズン中であれば管理人が常駐しているので、聞いてみた。自分が到着する前に、年配の夫婦は来なかったかと。来ていないという。仮にP山荘を素通りして下山したとしても、間もなく日没のこの時間からでは、シャトルバスの最終便に間に合わない。登山口のプレハブ小屋で一泊することになる。まして北海道では日没後の下山や渡渉は危険である。ならば、誰しもが、P山荘に泊まって翌日下山するのが常道。だが、年配夫婦の姿はどこにもなかった。
写真・左 P岳からK岳へと続く縦走路。身を隠せる場所は無い
写真・右 途中にあったフシくれだった木。苦悶の表情を浮かべている顔にも見えた
こんにちは。
もしかしたら、遭難してしまった方なのでしょうかね?
声について行ってしまったら、自分も遭難してしまうかもしれませんね。
どこでも見えない物は怖いですね(;>_<;)
miwa1218さん、コメントありがとうございました。
なるほどなあ。そういう考え方もありますね。あくまで実体があるという話で。
もしくは、生者を自分たちの仲間に引き込もうとしているのか。
かといって、悪いことばかりでもなくて、かつて聞こえてきた声に助けられたこともあったことは事実。その時も、姿はありませんでしたけど。
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