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別名:ツタノハイヌノフグリ(蔦葉犬陰嚢。ツタバイヌノフグリ)
小さな花が絨毯状に広がっている。タチイヌノフグリとは明らかに違う雰囲気で,フラサバソウと察しがついた。
この植物の肝心


>本種は、ヨーロッパ原産の帰化植物で、明治8年(1875)に長崎で採取さ
>れ、フランスの分類学者Adrien Franchetとフランス人医師で横須賀製鉄所
>の医師として勤務する傍ら日本の植物を採集したPaul Amédée Ludovic Sa
>vatier両者の共著『日本植物誌』に記録が残されていたが、その後、60年間
>存否が不明のままであった。昭和12年(1937)に、その前年に田代善太郎
>が長崎で採集した標本の中に本種があるのを植物学者の奥山春季氏が発見
>し、学会に発表し、フランシェ並びにサヴァチェ両氏に因んで「フラサバ
>草」と和名がつけられたという。その後、昭和25年(1950)に奥山氏が長
>崎から持ち帰ったものが逸出し、今では我が国各地で帰化状態にある。
外国の方の名前では,漢字の当て字は難しい訳である。
ところで,標本採集時期について,
>1937年(昭和12年)奥山春季が1911年(明治44年)に田代善太郎が長崎
>で採集した標本を発見し、最初の採集者FranchetとSavatierの名を記念し
>てフラサバソウと名付けた。
と記載するサイトがあった。前記の「昭和12年(1937)に、その前年に田代善太郎が長崎で採集した標本の中に本種があるのを・・・」(1936年採集ということになる。)とは時期を異にしている。何れかの記載違いであろうが,ご存じの方はお教えいただきたい。
長崎で採集された「その後、60年間存否が不明のままであった。」との話は有名であるらしく,
>ほとんど見た者が居ず、昭和10年代に入ってようやく認知されたらしい不
>思議な植物だ…
との記載が多く見つかった。
>その後、水戸市で発見され、各地で見られるようになった。(日本の帰化植>物)
とのことであり,ここ茨城が潜伏からの発現


ところが,この記載についても,前記「その後、昭和25年(1950)に奥山氏が長崎から持ち帰ったものが逸出し、今では我が国各地で帰化状態にある。」とは多少内容を異にしている。
>発見当初は、海外の窓口たる長崎にしか生えていなかったようですが、第二
>次大戦後には日本全国で見られるようになりました。
とあり,現在はポピュラーな存在である点は,何れも共通している。
この花の絨毯の撮影のおり,一部にオオイヌノフグリが混生していた。大きさ比較のため,その写真(右)も掲載する。
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