今回目を引くのは蓑毛小林遺跡の旧石器時代の石器類で、尖頭器は投槍器を使ったという想定―石材は主として黒曜石や安山岩らしい。約2万年前くらいの時代か?
また柳川竹ノ上遺跡の縄文中期の石器は、黒曜石とチャートの石鏃に加えて、硬質頁岩製槍先形尖頭器、ヒスイ原石などが展示され、講師のおひとりのかながわ考古財団の加藤久美氏にお聞きたところ、おそらく、頁岩は東北、蛇紋岩も北陸などからの移入品ではないか、ということだ。詳細はまだこれから専門家による分析にかけないと確実なことは言えないが、少なくとも頁岩もチャート(秩父?)も蛇紋岩もこの付近にからは出ない石材のようだ。また講演の冒頭で、新東名関連遺跡では、ほとんどがまだ整理中かこれから発掘・整理がこれから始まるような遺跡が多く、工事に合わせて忙しく掘って掘って掘りまくっているという状況らしい。その中で、最初の報告書が、東田原・象ヶ谷戸遺跡期に関して完成し、この中で注目すべきは弥生時代の土坑からイノシシの頭の骨が出土し、加藤氏によると落とし穴に落ちたイノシシを何らかの理由で回収し損ねてそのまま息絶えて土中に埋まって頭骨が残ったものという。弥生時代のムラの暮らしが浮かび上がってくる。お米を作っていたとしても、そのほかの暮らしは縄文人とあまり変わらなかったか??
また次の講演は同財団・福佐美智子氏による「菩提横手遺跡で見つかった古墳群の調査」。会場の桜土手古墳群は水無川右岸と四十八瀬川の左岸の間にあり、菩提横手はその少し北西、葛葉川の右岸に立地していずれの古墳群も太平洋にそそぐ小河川の流域に立地している。桜土手古墳群は6世紀末から8世紀、主として7世紀の古墳だが、菩提横手遺跡で見つかった古墳群はそれより少し古い古墳らしい。どちらもすべてが円墳で横穴式石室、桜土手は無袖型、菩提の4号墳のみ両袖型でこれは7世紀のある時期に流行ったものらしい。
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