展示の解説では、婦中町田島地内の住宅地に置き去りにされた石棒は、全長81.9センチ、最大幅17.5センチで重量37キロ、幅が10センチを越えるものは大型石棒と呼ばれるらしい。並べて展示された妙川寺遺跡出土の石棒は推定94センチ、幅15センチて、先端部がない。これは凝灰岩質砂岩で田島地内のものは凝灰岩だ。
石棒は縄文時代前期かつ5ー6千年前、関東地方で出現し、瞬く間に北海道から九州まで分布が広がった。中期には北陸、中部、関東各地で大型化し、最大の北沢大石棒(長野県佐久穂町)は2.2メートルにも及ぶ。これは数年前に考古サークルのツアーで見たことがある。平坦地に立られていた。後期には小型化してやがて終焉を向かえる。呪術や祭祀のための第二の道具、祈りの道具とされる。生殖器型祭具とも立石の一種ともいわれ、住居内に配置されたりお墓に副葬された事例もあるらしい。焼かれて割れたものも少なくない。縄文人の心の動きを探るのも容易でない。石棒を拝んで富山駅に向かい帰宅の途についた。新幹線から見る北アルブス、鶴来、立山、また妙高山などの山並みに見とれながら東京に向かった。
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